弐 天蟲殺
上に戻ると空が薄暗い。
暑い雲に覆われた、雨の日のようだ。
だが、親父のスマホに映ったドローンが映した境内の上に雲はない。ドローンの下にある黒い霧が境内を飲みこもうとしていた。
「ここを狙ってきたということは。里に生きた人間は残っていないな」
「くっ!」
それはつまり戒兄もみこも生存絶望。
多分、親父はそれを言いたかったわけじゃないが――ともかく、口を開けば気分を悪くする男だ。
「お兄ちゃん! お父さん!」
一七が慌ててやってくる。
いつもの巫女装束――だけじゃなくて水干姿だ。
上を見て先にお祓いの準備をしていたんだろう。歳が離れた妹だが、出来た子だ。
「一七どうした?」
「二三君、戻って来たよ!」
「二三人が――良かった。すぐ行く」
一七の束ねた後ろ髪、揺れる紅の水引の後をついて境内を走る。社務所から参道に横から入り、左手に折れる。
鳥居のある方だ。まだ蟲は来ておらず明るい。そこには車が転がっていた。黄色い甲虫のようなデザインの小さい車――一七のだが中には場違いにデカい身体。
「二三人!」
エアバッグが開いている。ただでさえ小さい車にデカい身体が、エアバッグに押しやられて小さくたたまれたみたいだ。衝撃で頭を打ったのか反応がない。
ドアを開けて、引きずり出そうとしても二三人はガタイがいい。挙句神職の格好で布が色々引っかかりやがる。
「親父! 何ぼさっとしてんの。手伝ってよ」
「親使いが荒いなぁ――よっ!」
二人係りで外に引っ張る。
一七が胸に耳を当て、口元に手を持って行く。
「大丈夫、心臓も動いているし、呼吸もしている。気絶してるだけだよ。目だった傷もないし、ちょっと顔が腫れてるのはエアバッグのせいかな?」
「そうか、良かった。ほら、二三人。起きろ」
「う、うー」
「大丈夫か? ここが分かるか?」
「あ、うん――兄ちゃんか。神社まで逃げられたんだ――」
「ああ、ごめんな。俺が竃土の本家に行けだなんて言うから」
「いや、こっちこそ――うっ、いたたたたっ!」
「おい、親父!」
目覚めた二三人の坊主頭に、親父が何故かアイアンクローをかましていた。しかも思い切りだ。袖から覗いた前腕の血管の怒張がマジの奴。
「やめろって! どうしたんだよ。いや、いつも通りか? やめろって」
「痛い痛い痛いっ! 痛いよ父ちゃん!」
「ふむ、どうやら本物の二三人らしいな」
「お父さん酷い! もう、二三君大丈夫?」
「う、うん――もう、なんだよぉ」
「高校球児がこれくらいで泣くもんじゃない」
「引退してるって――もう」
一七が二三人の頭を奪い取るとようやく離れる。
「なんだ? ヤバイ奴を見るような目で? 言ってなかったか、蟲は擬態する」
「擬態?」
「化けるってこと?」
「あの中に取り込んだ人間の皮を被ることが出来ると考えるべきだろう」
「うん、俺も見たよ。公ちゃんが――その小木坂田の爺様と戦ってるところ」
「みこが――!」
「ごめん、兄ちゃん。俺――なんにも出来なかった」
「いいんだ――俺のせいだ。しかし乙爺か。ようやく今朝死んでくれたと思ったのに――くそがっ!」
「おいおい、荒れるな。幾人。里の者たちが見てたらどうする? いつも言っているだろ? お前は余裕たっぷりでいろと」
「どうでもいいっ」
「良くはないぞ。築いてきたお前のイメージが、今後に大いに役に立つのだ」
調子が狂う。
親父が口を開く度に。
正直、元からヤバい親父だった。
4度の離婚、5度の結婚。今の母さんなんて俺より年下だ。
とっとと隠居してpcオタクにガジェットオタクを併発しながら身体を鍛えて――悠々自適な楽隠居中にまだ子供を若い嫁に仕込む。
だけど、ここまでだったとは思わなかった。
前の儀式に帯同させられた時だって、あの儀式中の最中でだって、ここまでヤバい素養を表に出さなかったってのに。
「お父さん!」
「兄ちゃん! 姉ちゃん!」
残りの妹と弟、四八と五六が慌てた様子で走って来る。
四八は来年高校に上がる。母違いなのに一七にそっくりだ。
五六はまだ10だ。神職の服が借りて来たみたいに大きい。
「あっち来たよ蟲」
「あっちも、お札は張ったよ!」
「二人とも良く手伝ってくれた――後は兄ちゃんたちに任せとけ」
「うん、お兄ちゃんも気を付けて」
「今日はハンバーグなんだって、だから早くね」
二人とも気丈に見えるが、抱いた肩が少し震えていた。
「うわ、こっちまで来たっ! 四八ちゃん、五六君。こっち側も張って行こう」
「うん!」
「任せろー!」
空が黒くなっていく。
ただ、蟲たちの隙間は意外とあるのか。割と明るい。
陽の上り始めた明け方くらいだ。
ついに神社の上空にも――蟲が来た。
「しかし、何時の間に一七に仕込んだんだ?」
「ふっ、何時も準備は怠らないのが私の流儀でね」
「あれ見てもビビんないし、一人で除霊でもさせてた?」
「それは肝が座ってるだけだろう。あの子の母親もそうだった。普段のほほんとしているのに、いざと言うときの胆力は私以上――良い女だったなぁ。ふむ、麗那も子を産んだらすぐ28だし。次はまたああいうタイプにしよう」
「ほんとクズだな」
「旬が過ぎた女ほど醜いものはないぞ。我執と嫉妬は増幅していく一方だというのに美しさは削がれていく。ヒステリーな母親が居ない素晴らしい家庭を作るために、私は不断の努力を惜しまないぞ」
本当に言葉に出来ないくらい――クズ
「おっと、準備準備と。二三人、立ちなさい。動けるだろう?」
「うん、頭以外は大丈夫」
「そうだな。これからは勉強もしなくてはな」
――そうじゃねぇだろ
親父のヘアースタイルをぐしゃぐしゃにしてやりたがったが。正直、俺も二三人は都合よく使うことが多い手前。何も言えねぇ。
「ん? まあいい。お爺ちゃんとお婆ちゃんを呼んできなさい」
「はーい」
「じゃあ、幾人」
「何かあるまで待機でいい?」
「そんなわけあるか。里の者たちを安心させねば。ほら、心配がってるだろう」
本殿から出て来た爺婆が拝殿から何人か顔を出していた。
空を見上げ、怯えた表情で。
「あれなら中で引っ込んでてくれんじゃない?」
「駄目だ。それだと神社という神域があったから助かったと思ってしまうだろう? 神社があって良かったではなく、辰巳家が助けてくれたと思わせねばならない」
「同じじゃない?」
「全然違う。恩義を感じさせておけば――まあ、後が楽なんだ」
悪い顔だ。きっと悪いことを考えている。
といってもどうせいつも悪だくみしてるんだが。
「分かった。あんま不安がらせて寿命縮めるのも可哀想だもんな」
「ああ、いつもの調子で頼むぞ」
うちの本殿は割とデカい。拝殿から奥に入って、中庭みたいにな場所にある。建物は外陣内陣の二重構造。多分めっちゃ詰めれば1000人くらい行けそうだ。
俺が拝殿から中庭に入ると、そこには10人程度の爺婆。
「おお、辰巳様。空が、空が――」
「なんなのでしょう。あの黒いの! 蟲ですか! 私たちどうなるんでしょう!」
最初に声が上がると、本殿の中からぞろぞろと出てくる。
100人はいるだろう。
神社からこっち側は全員、それと東側の農家と林業やってる家族もいる。
9割生きているというのは嘘や誤魔化しじゃなさそうだ。
「あれは100年前にあった災厄だってさ。ま、でも安心してよ。見ての通り、ほら入って来れないでしょ?」
「そうですか。そうですよね」
「うん、僕らに任せて。それに援軍も来るからさ。長く待ってる必要もないよ。畑もすぐにやり直せるさ」
「援軍――!?」
「な、親父?」
「ん、ああ、諸君。安心してくれたまえ、上が陰陽師を派遣すると返事をしてきた。ほどなく到着するだろう」
「おお!」
「陰陽師――なら、安心だ!」
「じゃあ、もしもの時に危ないから本殿に入ってて。そこは一番厳重だからさ」
「はい、ありがとうございます。ありがとうございます」
拝む里の人たち。
張り付いたような満面の笑みの親父。
胸が痛む。拝んでいるのは親父に仕込まれた偽りの俺だからだ。
やたら余裕があって、大物ぶって、既存の価値観に捉われないような格好をした別の俺だ。
「それでいい。老人の前では幼く見せたほうがウケはいいからな。調子出て来たじゃないか幾人」
「静かにしていてくれた方がいいと思ったからだ」
親父の言いなりはしゃくだ。
だけど結局そうなる。
腹立ちまぎれに足早に、親父を起きざるように拝殿を抜けた。
「お兄ちゃん!」
同時に一七が駆け込んできて、ぶつかる。
「何だ。急いで――なんだこれ?!」
ミシミシと音がしる。
一七が指を差した黒い空には――ヒビが入っていた。
「おい、親父。あれ――」
「駄目だな。持たない」
「準備はどうしたんだ」
「想定外は常にある。想定以上にあの蟲の規模が大きいということだ」
「ちっ、陰陽庁は本当に大丈夫なのか?」
「ん? 嘘は言っていないぞ。本当に来る」
親父が来ると言ったら来る。
そういう嘘は付かない。けど、親父は嘘を吐く。
「何時だ?」
「ふっ、分からん」
「ちっ、そういうこったろうと思ったよ」
「ただ、急ぎとは伝えた。今の状況も沿えてな。出来得る限り早く来るはずだ。そのための人脈なんだ。やってくれると信じようじゃないか」
「やるしかないなぁ。一七、全員に楽器を持たせろ。爺ちゃん婆ちゃんもだ。母さんは――まだ腹が大きいからなぁ」
「いや、出て貰う。あれが割れたらどの道生きてはいられんからな」
「うん、みんな呼んでくるね!」
「よし、俺は身を清めてくる。親父はみんなと一緒に鳥居の前で準備してくれ」
「鳥居?」
「結界を開けて迎撃する」
「なるほど、参道か」
「ああ、もっとも清い場所だろ?」
「そこに引き入れて一族総出のお祓いで迎える」
「そういうこと」
たまには親父と分かりあえた。
なんて思ったけどーー
「――楽しい家族行事になりそうだ」
やっぱり親父は分かんねぇ。取り合えず腹が立つ。




