参 蓼の蟲は蓼に果てる
なんてこともなかったな。
力を出しても
そのせいでまた人が死んでも。
「まるで虫みたい」
倒れた婆の姿はとても無様で、首が捻じ曲がって、手足がぴくぴくと動いている。
それを見ているだけで、澄み渡る風が身体の中を吹き抜けていくみたい。
太陽は私に向けて微笑みかけてるみたいだ。
気分がいい。
暫く日光浴をしてよう。
こんなに太陽を一杯浴びるなんて、浴びてて気分いいなんて、いつ以来だろう。
本当に気持ちがいい。
「あれ?」
けど、その太陽はすぐに翳った。
風は濁りを運んできた。
「うわあぁっっ」
「何でこんなことに――」
「逃げなさいっ! あんたたち、発砲を許可するわよっ!」
空には羽虫。
家の外からは悲鳴。
――蟲が来た。
里は霧に喰らわれていくようだった。
黒い霧、数千、数万、いや数十万の蟲が転げながら、飛び回りながら、空を地面を家を畑を道を、里を飲みながら向かって来る。
「む、無理だぁぁっ!」
「すみません警視!」
「ちょっと! あんたら警察官でしょうがっ!」
そんな霧の最前線に見知った人が居た。
特徴的な喋りと癖っけの警察の偉い人。
婆の弟とは思えない良い人だ。
一人で勝手に逃げていく警官たちと違って、逃げ遅れた老人を助け起こしては肩を貸て連れて来る。
「叔父ちゃん!」
だから私が守る。
「公ちゃん! あんた早く逃げて――うわっ! 何! これ! こわっ!」
石を飛ばして蟲を払う。
叔父ちゃんに集まろうとしている蟲を、背後に近寄る霧ごとだ。
全然勢いは止まらない、けど止まるまで投げ続けるだけだ。
「もっと! もっと、土公様!」
「ええ、これ公ちゃんがやってるの」
「うん、叔父ちゃん。ここは私が!」
「うっそでしょ? マジ? もう何もかも思ってたのと違うわね。あんたたちの儀式って何やってたの。普通ここは噴火とか洪水でしょ。なんで虫なのよ。食べるもんが襲って来ないでっ!」
礫を投げる。霧に穴が開く――けど、すぐ塞がる。
「みんなを連れて逃げて! ここは私がっ」
「でも、公ちゃん――いや分かったわ。少し耐えててね」
「うん! 土公様行くよ!」
全開だ。左手は家の門から、右手は隣の家の門から。
更にその隣、更に隣と、手をスライドさせていく。
各家の門から手が伸びて来る。
土くれで出来た、石の鎧を纏った、土公様の腕。
「行けっ!」
10本の腕は蟲を払う。
上から叩いて、横に薙いで、両手を合わせて、石を使って。
霧を少しづつ晴らしていく。
確実に、徐々に減っていく。
「まだまだぁっ!」
土を巻き上げ、上空で固める。
幾つもの槌を作って地面に打ち据えていく。
工事現場で地面をならすみたいに。
槌を連打連打連打連打連打。
「はぁはぁっ、どうだ!」
大量の蟲の霧は霧散していく。
黒い霧は晴れ――その背後が露わになる。
「なっ――」
そこに居たのは赤茶のシミの目立つ禿げた頭、それと同じ色の作務衣姿の老人。
「ふへぇへぇ、久しいのぅ、公子」
汚らしい笑顔、気持ち悪い手つき、吐きそうな声。
知っていたくはない見知った顔――違うのは、目だ。黒目だけが蠅のようになっている。沢山細かく集まった虫のような目をしている乙爺がした。
「乙爺っ!」
「これ! 乙太様じゃ! ああ、いや旦那様でもよいか。まったく躾が足らんかったかのう」
「うあああっ! 死ねぇぇっ!」
全部の腕で石を投げる。
頭に、腹に、腕に、足に全身を見えなくなるまで石を投げた。
「これこれ、少しは躊躇わんか」
乙爺は霧のように散る。
けど散り散りになった蟲がまた、元に戻って、乙爺になった。
「なんで、蟲にぃぃっ!」
同じように石を投げる。
勿論、すぐ戻って――一歩近寄ってくる。
槌を作って、踏みつぶす。
けど避けられた。
「ふへぇへぇ、諦めい。公子。大人しく儂の物になりゃええ」
「なるもんか!」
「しかし、お前は変わらんな。3年間、結局一度も辰巳の餓鬼に相手されていないと見えるのう。勿体ない。勿体ない。それだけの身体を持て余すなどとこりゃ罪じゃ。やはり儂が面倒を見てやらねば」
「黙れぇぇぇぇぇっ」
あの気持ち悪い手が、わきわきと動く手が――見たくない一心で壁を作った。
土をせりあげ、壁を作って、取り囲んで閉じ込める。
逃げ場を無くした、どこにも行けなくして。
上から槌で叩いた。
「うあああっ!」
叩いて叩いて叩いた。
そしたら炎上した。
「イエーイ! やっぱり、虫には火よね。たーまやー!」
「叔父ちゃん?」
「昔取った杵柄って奴よ。あ、部下には内緒よ?」
叔父ちゃんは笑顔で、瓶から出た布にライターで火を付ける。
そして投げる――大炎上だ。
多分、どこかの建物に引火したのかもしれない。
「あらぁ、良く燃えるわ。虫も大分減ったわね。お手柄よ公ちゃん」
「ううん、でも――叔父ちゃん。家の中見たよね?」
「ん、絵里姉さん?」
「うん」
「まあね。でも報いってものでしょ? それにあの人だって栄ちゃんのところの方が幸せかも」
「そう――かな」
「案外喜んでんじゃ――な――あれ、なんか痒っ」
多分私も叔父ちゃんっも呆けた顔をしていただろう。
互いに目を合わせて、目が丸くなってて、下を向いた。
地面の下から長い蟲が這い出て来て、気付いた時には何匹も何匹も沢山の足で私と叔父ちゃんの足を登って来て――痒かった。
「公ちゃん!」
叔父ちゃんは凄く早かった。
私が足の蟲に気付いた時には身体が宙に浮いてたから。
「叔父ちゃん! 土公様っ!」
叔父ちゃんは、私を持ち上げ空に投げた。
私の足から蟲が剥がれていって、代わりに叔父ちゃんが蟲の中に落ちていった。
光の届かない土中へと――
「そんな叔父ちゃん! 叔父ちゃん!」
叔父ちゃんの代わりに地面から、また黒い霧みたいに細かい蟲が現れる。
「おのれ、乙爺ぃぃぃぃっ」
「誰が乙太だ。まったく竃土の娘。お前は相変わらず――」
けどそれは女の姿を取った。
乙爺と違って、背の高くて手足が長くてすらっとした。
まるでモデルのような背格好に、モデルしか着ないような尖った衣装。
肩も、ボタンも、ベルトも靴も、良く分からない尖り方をした服で。
「ちっ、折角だから若い時の姿に出来なかったのか?」
それでも思わず見とれる美貌の――相依さんが居た。
「相依――さんっ?! 死んだはずじゃ」
「愚鈍な子。乙太だって死んでたよ。死んでなきゃこうはならない」
「えっ、乙爺が――死んでだ?」
「ああ、知らなかったのか? それにしたって分かりそうな物だがな。本当に阿呆」
相も変わらず、人を見下して、相も変わらず、口が悪い。
間違いなく相依さんだ。知っている相依さんだ。
ただやっぱり乙爺と同じ気持ち悪い目をしていた。
つまり蟲、つまり敵。
「じゃあ死んでてよっ!」
石を投げる、どうせ効かない。
土で囲う、多分見切られる。
だから、今度は大きな大きな槌を作った。
家ぐらいの、今の私の怒りくらいの大きな槌で――
「ぶっ潰れろっ!」
「絵里を殺して一皮剥けたか。私に一歩も引かぬどころか先制してくるとはな」
けど、相依さんは何度身体が潰れても、何度身体の蟲が無くなっても、どこからか蟲が沸いて復活して来た。
だから何度でも潰した。
何度でも、消えてなくなるまでだ。
「やれやれまさか無尽蔵じゃあるまいな? 辰巳が取引をしてでも当主にした理由が分かった。おい、これは無理だぞ?」
相依さんが下を向いて話掛けるけど、まったく関係ない左腕ががさごそと動いた。
左手の肘から先が内側からひっくり返る。蟲が蠢いて、膨れ上がった。
悲鳴を上げそうになった。
何故ならその膨らみは声を発したから。顔を作ったからだ。
相依さんの手から、生えた亜麻ちゃんの顔に。
「あら、母さん。じゃあ次は私に――」
「相変わらず勝手な子ね――それに決めるのは私ではない」
「じゃあ、いい――ああぁ、痒い痒いわよっ。分かった分かったわもう、あぁぁぁ」
相依さんと亜麻ちゃんの全身から鳥肌が立った。
黒い髪から、白い肌から、衣服の部分まで、ありとあらゆる場所が粟立ったように粒が出来て、全身の産毛が逆立つように。
無数の羽根が生えて――震えた。
蠅のように羽ばたき、蜘蛛の子を散らすように飛び立って、蚕のようにぐるぐると回って黒い繭を作る。
「そんなの。やらせないっ!」
何が起こるのか分からない。
だけどやることは一緒だ。
石を飛ばして、石を飛ばして石を飛ばす。
大きな槌の残骸を、更に大きく繭の上へと飛ばしていく。
そしてさっきと同じように潰すだけ。
「潰れろっ! ――なっ!」
繭から生えた手が石を受け止めた。
ごつごつとした大きな手。
頼りがいのある手が生えて私の石を止めた。
「あぁぁ」
繭が晴れると、そこにはいつものように立っていた。
一見不機嫌に見える、肩に、顔に、顎に力の入った立ち姿。
額には血管を浮かして、目は吊り上がって、多分大体の人は怖いと思う姿。
でも違う。
これは我慢している――戒兄だ。
「――に・げ――」
「言わないで。それはやだ」
「すまない――本当に――」
「いいの、言わないで。私にはいいことなんだから。一緒ならどこでもいいの」
私は初めて戒兄に抱かれた。
二度と太陽が見れなくても、それだけでいい。
ああ、なんて幸せなんだろう。




