壱 這って火にいる竃土の蟲
夏は冷え性の私には良い季節だ。
寝相が悪くて、ベッドから手足を良く投げだす。そんな私でも夏は手足が冷えないから、朝までぐっすり眠れる。
だというのに、今日はいつもより早く目が覚めた。
何かを感じたのか。
何故か早く目覚め、けどいつも通りの朝。
ベッドから起き上がり、洗面所で顔を洗って部屋に戻って眼鏡を掛ける。
私の部屋は六畳一間。憧れだった学習机に、ベッドもパイプの奴を置いた。
「あ、電話――? 珍しいな明け方になんて」
枕元のスマホを取り上げると、着信あり。相手は『戒兄』と。
「良かった」
少し声が上ずった。
少しほっとした。
かなり胸が痛んだ。
きっと、戒兄は私に何かを話たいんだろう。
私だってそうだ。
でも、その話題が何かを知りたくない。
『ここから出て、幾人のところに行くんだ』
また、あんなことになるかも知れない。
でも出なければいつか見捨てらるかも知れない。
それでも怖い。
話して決定的な別れを突きつけられるのだけは――嫌だ。
だから着信があれば私の胸は暖かく痛む。
「たまには幾ちゃんとこに顔出した方がいいよね。一応婚約者だし」
あのままでは私がなし崩しで乙爺さんと結婚させられる。
だから、幾ちゃんと婚約を勧められた――というのは私だって頭では分かってる。
一応の婚約だと。
カーディガンを羽織って玄関へ。
不満があるとすればこの靴箱だ。縦一列分、6足しか入らない。玄関自体も狭くて
三和土にもせいぜい4足が限界。
左足の指で横になったつっかけを引っ掛けながら、両足分持ってきて履いて外へ。
「まぶしっ、夏だなぁ。こんな時間でも日差しが強いや」
アパートの階段を降りて、駐車場に出る90度曲がって、木のなくなった植え込みのある”カーサ辰巳”と看板の掛かった門から外へ出る。
道路の向こうにはちょっとした林――神社の敷地の裏手だ。
「お邪魔します」
道路を渡って”関係者以外立ち入り禁止”という看板のある道を進む。
林の中を迂回するように曲がる道、を進むと見えてくる屋根瓦、柱に、玄関。
社務所兼幾ちゃんの自宅。
その前を箒で掃いている巫女装束の娘に見つかった。
「あ、みこちゃん! おはよっ」
「お、おはよう――一七ちゃん」
幾ちゃんの歳の離れた妹。まだ21とかのはずだ。背が小っちゃくて高校生くらいに見える笑顔の眩しい巫女。
そんな娘に”みこ”と呼ばれる。多分、私じゃなくても恥ずかしい。
「あ、あの――」
「兄なら、縁側の方ですよ。何か電話してました」
「う、うん、ありがと」
”手伝おうか”の一言が出ない。
結構な頻度で食事をご馳走になっているのに。そんなことも言えない。
これじゃただ飯を貰いに来ただけだ。
「大体穢土はどこから調達するのさ」
項垂れながら、縁側の方へと回ると声がした――幾ちゃんの声だ。
ただ、穢土だなんて不穏な言葉が出て来たので私は建物の影に身を寄せた。
「竃土の本家が? 当主に断りもなく? あ、それはめっちゃしそう。栄君のこと、未だ根にもってるもんなぁ」
栄――聞くだけで倒れそうになる人の名前が出て来た。
だから挨拶もせずに戻らざるを得なかった。
帰り際に一七ちゃんが何か言ってたのも無視して。
家に戻ってベッドに入って――震えた。
「はぁっはぁっ」
呼吸が荒くなる。
息が吸えない、酸素が足りない。
背中が押されたようで、踏んで潰されているようで。
目の前が真っ黒に染まって、意識が途絶えた。
次に目を覚ましたのは、いつもの時間。
いつもの目覚ましで、目を開く。
寝たお陰で少しすっきりとした。
さっきの幾ちゃんの会話。
”穢土をどこから” ”竃土の本家” ”当主に断りもなく”
つまり勝手に穢土をお母さんが使った。
使うことなんて一つしかない――儀式だ。
虫入りを行っている。
また、あれがどこかで行われている。
多分電話の相手は戒兄だ。
勝手に行われた虫入りの被害者でも見つかったんだろうか。
なら、調べているはずだ。
戒兄はずっと言っていた。
里の者同士が被害を出して里を守る内に入るのかと。
いつか、この儀式を人の犠牲のないよう落ち着けると。
それがタエ様の悲願だったからと。
私もそれに賛成だった。
なんだったら、あんな気持ちの悪い儀式なんて無くても構わないと思う。
だから戒兄なら必ず調べる。
約束を守るため、里を守るために動くはずだ。
ああ、そうだ。
だったらそう、私が本家に行けばいい。
私なら竃の中に入れる。穢土があるか分かる。
勝手に使っているなら――お母さんを――
そうすれば、戒兄の目的が前進する。
そうすれば、ひょっとしたらまた――
「行こう」
いつものスーツに身を包む。
少しきつくなってきたけど、これは一張羅。仕事着。
これを着ている時は頑張る私。
私の戦闘服だ。
竃土の家は里の中央に位置する。
西の平野と東の山と南東の神社の少し西より。3つの道が合流して大きくなり、西の国道まで貫通する大通りの始点にある。
国道沿いの繁華街と違い、古くからの商家が並ぶ。その中心に竃土の本家がある。
昔から商いを生業にしてきた家で、並ぶ商家の中では明らかに一つレベルが違う。
広い庭に合計三つの建物があって、敷地は二面を道路に面する。
「ただいま」
私はその裏手側の道路から家に向かう。
家人が普段使う場所だけど、表よりはそれでも人に見つからない。
それに穢土を使ったのなら、家に人が居ないのかもと思った。店の人はともかく、少なくとも母さんは居ない可能性が高いと思った。
軋まないでと願いながら、裏手の古びた木製の門を押し開く。
誰も居ない庭を足早に三つある建物の内、一番大きな――竃土のある土蔵へと。
けど、土蔵に手を掛けると、それを止めるように腕を掴まれる。
「勝手から押し入りでも入ったのかと思ったら――公子。あんたなの」
「――お、か、母さん」
鬼が立っていた。
薄紅色の着物を来たお母さんの顔は着物より顔を赤くして声を荒らげた。
「裏手からこそこそと――また奪いに来たの!」
「ち、ちがっ、ちがっ」
「何が違う! お前が、お前がっ! どの面下げて敷居跨いでんだい!」
「あ、あ、今日は――」
「お前のせいで! お前のせいで! ええいっ何黙ってんだい!」
「だから、私は」
「五月蠅い! 勝手に口を開いてんじゃないっ!」
目は吊り上がり、歯をむき出しにして、私の言うことなんて聞いちゃいない。
理不尽に怒鳴り、頭を抑え付け、私は腕を掴まれ引きずられていく。
楽観視していた。
気楽に考えていた。
いつもそうだったのに。
頑張っても抵抗一つ出来やしないのに。
お母さんが立ち塞がると身体が竦んで何も出来はしないのに。
こんな服一つで何も代わりはしないのに。
ここには戒兄だってしないのに。
「ほら、挨拶は!」
引きずられた先は、思った通りの縁側。
母屋の南側、庭に面していて一番日当たりの良い和室の前。
だから私は頭を上げられない。
「やだやだやだっ!」
「何が嫌だっ! ごめんなさいとか。申し訳ありませんでしたとか! 言うことあるだろうがっ!」
「違う、違うの。今日は――」
「泣いてんじゃないよ! お前が! お前のせいで!」
手で縁側に頭を擦り付けられる。
足で縁石に身体を押し付けられる。
一番いい――中にはもう蒲団は敷いていない、無人の部屋に向けて。
中にあるのは神棚だけ。橘の葉に挟まれたモノクロの写真が一枚だけだ。
きっとそう、ずっとそうだった、今でもそうに決まっている。
お神酒の中には甘いソーダを入れて、サッカーボールを供えている。
お母さんはずっとそれだけだった。
多分、今の私ならお母さんを跳ねのけられる。
土下座をさせられ、後頭部を踏まれて、でも抵抗はしない。
頭を上げたくなかった。
そこにある、中学生に上がりたての、あの頃から何も変わらない、変われなかったお兄ちゃんの顔を見たくないから。
だって思い出してしまうから。
「――栄太は殺されたんだっ」
あの日の赤を思い出してしまう。
真っ白になったお兄ちゃんの、真一文字に裂いた喉を思い出してしまうから――




