参 怒蟲に平伏す
――3年前
高校の授業が終わってすぐのこと。
まだ、帰りのHRも部活もあるというのに、吾妻の屋敷に呼び出された。
「失礼します。西原です」
「入れ」
吾妻 相依。
相変わらず美しい。切れ長の目に、長いまつげ、細く尖った顎。モデルのみならず芸能界でもそれなりだったのも分かる。立っているだけでも気品がある。
その上、年を取らない。40は越えていたと思ったが、そうは見えない。10年は見た目が変わっていない。俺と同じ年と言われても誰も可笑しいと思わないだろう。
派手な見た目の格好と、シャープなフェイスラインに違わず。
相依様は行き成り本題から入る人だった。
「竃土の娘は乙太にやる」
「は?」
「嫁にやると言うことだ。分からなかったか? 難しいことは言ってないぞ」
「いえ、その――無理かと」
「可能だ。竃土の娘は女として機能するだろ? 乙太もまだ元気だ。子供は作れる。実際孕まされて自裁した女も去年居た」
「いえ、そうではなく」
「そうなんだ。私が言ったからにはそうなる」
「しかしっ」
「いいじゃないか。どうせもう穢れた女だ」
「穢れ――何を。そんな、あれは穢れとかそういうことじゃ」
「ああ、違う違う。栄太のことじゃない」
「なら一体何のことでしょうか」
嫌な予感――相依様の顔は両眉を上げたとぼけた顔で、口角を歪ませた。長い舌が真っ赤な唇をなぞり、たっぷりの水分を含んで言葉を発した。
「自裁しないといいなぁ?」
「バカなっ!」
「おい、待てっ! どこへいく。まったく冗談だ。このくらいのことで慌てるな」
「相依様。冗談が過ぎます」
「ああ、今は移動中だろう。まだ手を出すには早い」
「っっ!」
「あはは、これも冗談。時間を考えろ。まだ4時過ぎだぞ? 仕事中、病院だろう。いい加減にお前もスマホを持て」
ほっと一息撫でおろす。
みこを乙爺に嫁がせる。などという強烈な冗談からの解放で全身が、精神から弛緩してしまった。が、目の前の女は吾妻の当主――一瞬、ほんの一瞬、抜け落ちた。
「ま、もうすぐ冗談ではなくなるがな」
「――ふざけっっ!」
敵と認識してしまった。
目を合わせ、あまつさえ殺意を抱き――暴言を吐く。
「良い顔だなぁ。西原。やはり皮は剥いで見るものだな。本性が良く分かる」
「みこを使って脅しですか?」
「まさか、命令だ。何故吾妻の私が西原のお前に言うことを聞かせるのに脅しが要るんだ? 脅される謂れがあるということかな?」
「い、いえ――」
「いいんだ。それで、野心は大事だ。それでいい。それでこそ吾妻に必要なこと」
「吾妻? 何を私はそんな――」
「嫁ぎに来い。代わりに娘をやる」
「御冗談はおやめください」
「冗談ではない。亜麻子は私と違ってここも元気だ」
お腹を――子宮をまさぐる。
相依様は子を一人しか身ごもらなかった。
いや、出来なかったのだと今知った。
「だから――彼女を――」
「まあ、推察通りだ。頭も回る。しかも、口数が少ない。嫁というのは五月蠅くては適わん。昭雄さんのように、静かで、仕事は出来て、それなりに見栄えが良くて――なら言うことはない」
「しかし、本人の意思というものがあります」
「ないよ。そんなものは。亜麻子は我がままは言わない。言われるがまま男を娶り、望むがままに子を孕む。あの子にあるのは虫入りへの執念。見てれば分かる」
「いや、私の意思は。私は私は――」
「ふふっ、その先は竃土の娘が帰って来てから聞こう」
前から機会を伺われていたのだろう、泳がされていたのだろう。
隠していた翻意も、胸ポケットのベルベットのケースの中身の指輪についた宝石もも見透かされていたのだろう。
だから幾人に渡したんだ。
結局、俺は守れない――どころか守ることすら諦めた。
「みこ!」
小木坂田の丘陵から出るなり、スマホを取り出す。
意識することもなく、開くみこへの電話帳――電話は繋がらない。
当たり前なのだ。
出るわけがない。
守るのを諦めて、別の男に籍を入れさせた。
やったことは相依様と変わらない。
そんな男の電話に出るわけがないというのに。
頭をどこかに叩きつけたい気分を抑えて、幾人に電話を掛けた。
「幾人!」
『どうしたのみこならさっき起き――何かあった?』
「相依様は恐らく虫入りを行った」
『は? マジ? 早すぎるでしょ。つか俺ら抜きって、じゃあ――』
「ああ、何も後始末が出来てないはずだ」
『馬鹿なの、あの人。それで死んだの? じゃあ100年前の再現? なんで手順があるのか知らないわけないだろうに! ああ、くそっ!』
「知ってても分からないんだろ。俺たちと違って知覚出来ないんだから仕方ない」
『仕方なくないって戒兄。甘いよ。本当贄を出すからって殿様の立場守らせたうちの先祖ぶん殴りたいんだけど。いや、もう今年は神酒供えないね、絶対!』
電話が遠くなり、衣擦れの音がする。
畳みを擦るような音、大きな布地――恐らくは神主の装束だ。
「来る気か?」
『あったりまえでしょ。戒兄一人でどうすんの?』
「いや、俺だけで鎮められないならもう諦める。あれは人がいるほど危険だ。かつてタエ様に聞いた伝承でもそうだったはずだろ?」
『ああ、そうか。取り込まれる――大人しくいつも通りやっててくれればこんなことにはならないのに。ああぁうざいな吾妻の奴ら! ってもう居ないか』
本気で怒ったと思ったら、いきなりお茶らけて見せる。
人を馬鹿にしてる――なんて言われることもあるし、実際生徒には真似させない。
でも助かる。幾人はいつでも明るさを失わない。
多分、今、みこがまともに生活できているのも幾人のお陰なのだ。
「ああ、そうだ。警視に警察の避難もお願いしている。幾人も里の人間を出来るだけ神社で守ってくれ」
『じゃあ戒兄はどうすんの』
「行くさ、鎮められるに越したことはないからな」
『いや、安全を第一でしょ。戻って来なよ。あ、そうだ。陰陽師を呼ぼう! こんな時のための陰陽師でしょ。俺らが命張らないでいい――親父! 陰陽庁に連絡っ!』
「ああ、それでいい」
多分、俺も戻るべきだろう。
行っても出来ることはないだろう。
様子を見たって、意味がない。
儀式をしたかしてないかは、遠くに居ても分かることになるはずだから。
振り払いたかった。
取り戻したかった。
守ることを――
ここで何も出来なければ、きっとこの後も同じままだ。
ここで何かできれば、きっとまた胸を張れるはずだ。
だから、電話を切ってアクセルを思い切り踏んだ。
吾妻の屋敷の警察は大分少なくなっていた。
警視が手を回したからか。はたまた単に丘陵に向かったからか。
何にせよ。お陰で気にすることなく進める。
人の少なくなった屋敷の奥の山に遠慮なく入った。
まだ日中、昼前だと言うのに薄暗い飛鳥馬の山の中腹の黒い屋根の煉瓦の建物へと向かって。
「どうした。ちぃっ! お前じゃ重すぎるか」
俺の車は部活での遠征で使えると思って買った大きなミニバン。
高校生8人でも余裕で運べるが、流石に山道では力不足のようだ。
――が、どうやら違った。
「これはっ――!」
目の前が波打った。
山の斜面が波打った。
ただ、それは地面ではない。草でもなく、獣でもなく、木々でもない。
鬱蒼と茂る草木、枝葉は――蟲。
地面を覆い、木に纏わり、目の前の黒い景色全てが滑るように向かって来る。
「こんなに――既に蟲になってるだとっ!」
蟲とは虫入りにて生まれた怨念の受け皿。
一つの釜で生まれた虫と虫と人の怨みが、数多の蟲に統一された意志を生んだ――とでも言うのだろうか。
それはまるで一つの生き物かのように、統一された動きだった。
行く手を遮る蟲たちは、手のようにグリルを抑えつけ、足のように車軸に絡む。
もはや車は一歩も動かなくなった。
既に俺は笛を吹いているというのに。
「駄目か。やはり俺如きの笛では――」
龍笛は偉い神社で清めて貰ったものだが、使い手がへぼでは蟲には効かない。
怨みの一端に触れて変貌した、虫霊を祓う程度程度。
「出られもしないか――」
扉も開かない、窓も駄目。完全に閉じ込められた。
そもそも、外に出ても蟲だらけだが。
いや、既に内側にも蟲は入って来ている。
エンジンから、車軸側から、入り込んだのか足元に黒い影――見たこともない甲虫とも多足類とも付かない蟲が続々とマットを、靴を、シートを覆って行く。
「いよいよこいつの出番か」
腰に差した拳銃。
どうせ蟲には効かない。効いてもほんの少し減らすだけ。
なら、こっちの発炎筒の方が効きそうにも見える。
「両方行くか?」
『あら、駄目よ』
「なんだっ!? どこから!?」
声が聞こえた気がした。
蟲の羽音が、震える羽音が声のように。
「気のせい――か」
「ふふっ、怯えないで――」
助手席の蟲。盛り上がった何百もの蟲たちは一斉に羽を広げた。先程よりも明瞭な人の声を出して応える。
続々と増える蟲、溢れ出る水のように下から下から蟲が沸いてくる。長く長く上へと伸びて、生まれた形は丁度人間が一人そこにあるようだった。
飛んでくる蟲は細く長く連なり、頭の部位に連なっていく。長い髪が生まれる。
髪に目を奪われていると、肩も腕も、胸も盛り上がり、腰はくびれ、足はマットにまで伸びた。
そして蟲たちは一斉に方向を変える。くるりと回って――
それは人の肌のように。蟲の甲を合わせた、切れ目の入った白い柔肌で。
10cm単位で節目が見えるが、艶のありすぎるくらいの黒髪を生み出し。
茶羽根のような嫌悪感は残るものの、赤茶のセーラー服を象った。
「ね、先生?」
「お嬢様――っ?!」
蟲で出来た吾妻亜麻子が、かつての母親よりも怪しい笑みで座っている。
故に俺は拳銃の引き金を――全力で引いた。




