Act.94 閃光と雷鳴
火蓋は、シェリルの構成術によって切って落とされた。
「ペンデュラム!」
彼女の口から発せられた言葉が、黒の騎士の聴覚を刺激したか否か。
シェリルの右手に握られた銀の自動式拳銃から純白の光の帯が迸り、異形の背面へと殺到した。帯電する粒子の奔流に焙られた大気が熱く渦を巻き、周囲の空間を圧倒する。
着弾と同時。舞い上がった粉塵の先に、敵の姿を視認することもなく。
HNSに思念波を送り込んで疑似詩素装甲を発動させたシェリルは、素早く後方へと飛び退いていた。
一拍遅れてヒトの形をした異形の鎧の隙間からワイヤーのような触手が踊り、寒気すら感じさせる高音を立ててシェリルの眼前の空を薙ぐ。
「貫け――!」
着地と同時、シェリルは再びペネトレーターの引き金を引き搾った。
放たれた熱線が怪物の肉体から発せられた黒の霧によって撹拌され、消失する様を流れる視界の端で捉えつつ、彼女は空港の駐車場に横たわる大型車両の影へと身を潜ませる。
対し、黒の騎士は右腕を水平に掲げる。
ジジッという羽虫のシバリングにも似た奇妙な高音と共に異形の手の内に燦然と輝く光弾が現れ、凄まじい速度で前方へと撃ち放たれた。直線運動を続けたエネルギーの塊はシェリルの隠れた大型車両に着弾、その熱量を以て周囲の物質ごと跡形もなく消し飛ばす。
生じた爆風の中に、シェリルの姿があった。
降り注ぐ金属片をするすると避けながら怪物の方へと肉薄、再び銀の銃身を構える。だが、左右上下から突き出された触手の群れを全て避けきることは叶わなかった。
強靭な触手の束を前に、引き金を引く間もなく、シェリルの身体が細切れに引き裂かれ――、
光の粒子となって霧散した。
『アろぉろ?』
身を包む黒の鎧から覗く無数の目が、ぞっとするような声と共にぎょろぎょろと左右を見渡す。
そして、突如として眼前に現れた黒い影をその瞳孔に捉えた。
(遠距離が無理でも、零距離ならっ!)
ゆらりと滲んだ景色の中に姿を現した黒い影、否、シェリルはその手に肉厚のコンバットナイフを構え、異形の身を包む鎧のような甲殻の隙間へとその切っ先を突き立てた。
接触と同時に、柄に刻んだ術式を発動。
刀身表面に付着していた荷電粒子が振動し、摩擦帯電を引き起こす――。
刃から生じた高電圧電流が直接怪物の体内へと送り込まれ、彼女が発動させた「落雷針」は的確に対象の行動選択の余地を奪った。
生じた隙は、一刹那。
その限られた猶予の中で、シェリルは異形の背後へと繰り出されんとする鋭い一撃を視認した。
「やぁぁあっ!」
黒のツインテールを揺らしながら虚空から突如として現れた椿は、詩素を込めた回し蹴りを異形の首元へと繰り出した。それは構成術でも何でもないただの蹴りではあったが、HETマジックによって強化され、高濃度の詞素を込めた一撃は決して軽いものではない。
常人ならば首の骨を折るどころか、首から上を持っていきそうな勢いで放たれた一撃はその軌道上に的確に対象を捉えた。異形の首が振り抜いた足と同じ方向に跳ね上がる。しかし、怪物はその場から一歩として動く事なく踏み留まっていた。
(何コイツ!?尋常じゃなく、重たいっ…!)
蹴りを放ったままの体制で宙を漂う椿を、一瞥する、悍ましい眼球の群れ。
感電の硬直から脱したのか。黒の騎士がその拳を上段に構え、空中の椿を叩き落さんと拳を振り下ろしてくる。
(避けられない――!!)
来るべき衝撃に備え両の腕を胸の前で交差させた椿の前に、突如光の障壁が展開された。
「させませんっ!」
それは、シェリルの左手に握られた黒塗りの自動式拳銃型AIU、レベニューシェアから放たれた「バリアバレッド」によって形成された力場であった。
「うわぁっ!」
幾重と重ねられた光壁と怪物の拳が衝突。生じた衝撃波によって椿の身体が後方へと押し飛ばされ、背中を激しく路面に強打する。直後、障壁の全てがガラスのように砕け散り、黒の拳が勢い余って路面と衝突。転倒した椿に追い打ちを掛けるようにアスファルトの雨を横殴りに叩き付けてきた。
それでも負けじと身体を起こした椿に対し、今度は怪物の左腕が突き付けられる。
「――っ!」
全身に走る死への恐怖を何とか噛み殺しながら、椿は両手を上着のポケットへと突っ込んだ。忍ばせた掌を開きながら当てずっぽうに中指を伸ばし、ヨーヨーの紐の輪に通す。
無事に紐が固定されたことを確認する間もなく、今度は異形の腕目掛けて椿は右腕を伸ばした。その掌には金属製のヨーヨーが握られている。
右手首が前後へと振られ、鋭い銀の輝きを帯びた金属製の円盤が掌から滑り出した。高濃度の詞素を纏った円盤はその運動エネルギーを以て、突き出された黒の腕を上方へと撥ね上げる。
続けて、もう一投。
左手首を返すように投擲された円盤が異形の頭部、甲冑の兜のようなのっぺりとした顔面を叩き、後方へと押しやる。直後、よろめいた怪物の左手から光弾が放たれ、遥か上空に光の瀑布を撃ち立てた。
「一旦下がって下さい!」
頭上から吹き付ける熱風に気を取られるでもなく、後方より掛けられたシェリルの言葉に促され、椿は震える自身の身体に感情の鞭を打ち素早くその場からの後退した。
駆けてきた椿に向けてシェリルは再度「インビジブルバレット」を放ちつつ、体制の立て直しを図るべく次なる行動へと移った。
バヨネットと呼ばれる細見のナイフをレベニューシェアの銃口に取り付け、直後繰り出された触手の連撃を刀身で受け流しながら後方へと飛び退く。
攻撃の隙を突いてシェリルは両手の拳銃を一旦ホルスターに収め、両足に巻き付けられたレッグホルスターから左右三本ずつ計六本のスローイングダガーを取り出し、両手の指の間へと挟み込んだ。
「行け――」
その全てに詞素を込め、両腕を交差させるように投擲。素早く「吸蔵操作」を発動した。
詞素によって操作されたスローイングダガーが緑色の輝きに包まれるや、同一方向へと飛翔していた六本の刃がそれぞれの軌道を描いて全方向へと散り、異形を囲むような位置へと移動する。
そのうちの刃の一つに向けて、シェリルはペネトレーターの引き金を引いた。
銃口から迸った純白の火線が宙を漂う刃に当たり、反射するようにその軌道を変える。その後は次々とダガーの――厳密には、スローイングダガーの表面に展開された淡い緑の力場に触れ、怪物の周囲を光線が飛び交い続ける。
スローイングダガーの柄に刻まれていた詞法陣は、「偏向場」。
詞素を光に例えるならば「偏光場」は鏡のようなもの、とでも言えばいいだろうか。
荷電粒子と化した詞素を偏向し、収束、加速させる行程において、フォノンライフルの内部機関にも用いられている術式である。
その偏向場目掛け、続けて三射。追随して放たれた光軸も「偏向場」によってその軌道を変え、怪物の周囲に高熱の檻を形成した。
その檻の中に捉えた対象に対し、シェリルはペネトレーターの銃口を突き付ける。
――詠唱と同時、
「ミスティック・バースト」
引き金を引き搾る。
刹那、異形を取り囲むように行き交っていた光線の全てが偏向場によってその軌道を変え、新たに銃口から迸った光軸に交じるように黒の騎士へと殺到。ハイパワー・フォノンライフルにも勝るとも劣らない極太の光軸となって異形を呑み込んだ。
網膜を焼く眩き閃光。
立ち昇るは暗き白煙。
ばりばりと空気が爆ぜる音が耳朶を打ち、熱された風がオゾンの臭いを周囲の機体へと混ぜ込む。
やった……?
シェリルの胸中に浮かんだ問いは、懇願にも似た響きを帯びていて。
その願いが叶わなかったということを、彼女は白煙の中から横薙ぎに放たれた触手の軌跡より悟った。
接触の間際、シェリルの思念に応じるかたちで発動した疑似詞素装甲が、淡い青の輝きを放つ――。
「ぐっ――!?」
反射的に飛び退いていたシェリルの脇腹を黒の触手が叩く。弾かれるように水平方向へと吹き飛ばされたシェリルは途中、照明灯と衝突し根本から圧し折ってから突き刺さるようにアスファルットへと落下する。
――打たれた。
呼吸の度、生じた激痛がシェリルの思考を削ぎ、それでも立ち上がろうとする少女の足取りを不確かなものへと変える。
ふと、前方から熱を感じた。
熱された大気と反比例するように全身を襲う寒気に顔を上げると、数百メートル先。「ミスティック・バースト」によって穿たれた凹凸の中央から、こちらに向けて右腕を突き出し、巨大な光弾を放たんとする異形の姿を瑠璃色の双眸に捉える。
しかし、その側方から飛び出す椿の姿が。
「はぁぁああっ!」
彼女は手にした一対のヨーヨーを自身の身体の回転と共に放り、銀の円盤を叩き込もうと黒の騎士へと肉迫した。
緩やかな軌跡を描いた円盤は凄まじい加速度を以て対象へと迫り――鎧の隙間から伸ばされた触手の一撃によって粉々に粉砕された。
えっ――?
声は聴こえなかった。されどその唇の動きから、シェリルは椿の驚愕と動揺を悟っていた。
先端の錘を失って漂うヨーヨーの紐を異形の黒の腕が引く。椿もその場に踏み止まって抵抗の意志を見せたが、アスファルトを易々と砕く異形の膂力に逆らえるわけもなく。強引に椿の身体を引き寄せた黒の騎士は、空いた左手で椿のほっそりとした首を掴んだ。
「かはぁっあぐっ……」
無意識的に発動させたのであろうHETマジックの白光が椿の身体を包んだが、続けて繰り出された少女の渾身の蹴りさえ異形に悉く無視された。幾度となく重い打撃音が響いたが、やがてその音も小さくなって――…。
力なくだらりと弛緩した椿の身体を見遣り、シェリルは胸中で絶叫した。
ギシギシと油をさし忘れた歯車のように軋む身体に激情の鞭を打ち、シェリルはペネトレーターを両手に構え「ペンデュラム」を発動。体内から放出された詞素が一際眩い光線となって異形の頭部へと奔る。
(届いて――!)
彼女の強い思念に共振したミーム細胞から思念波が発振され、荷電粒子束の収束率を高めてゆく。
黒の霧を引き裂いて異形へと突き刺さった光線は、じゅっという肉が焦げるような音を立てて強靭な表面組織を焼き熔かし異形の頭部を貫通。蒸発させるように吹き飛ばした。
安堵と共に、シェリルが銀の銃口を下げた――刹那。湿っぽい音と共に異形の頭部が再生、新たに生えた頭と首を巡らしその先にシェリルの姿を捉える。
慌ててペネトレーターの引き金に指を掛けたシェリルの目が、黒の騎士に宙吊りにされたままこちらに何かを訴えんとする椿の口元を見た。
に・げ・て――…。
瞬間、シェリルの全身を支配したのは全身の細胞が震えるような錯覚と、ふつふつと沸き上がる明確な拒絶の意志だった。先刻感じた『熱』にその身を任せ、ひび割れたシールドディスプレイの照準を椿の首を掴む腕へと合わせる。
先程から両の掌から光弾を放つ瞬間、異形は自身の周囲に散布させている黒の霧を体内へと収めていた。ならば、奴が攻撃を行った瞬間が勝負だ。光弾の軌道を逸らすと見せ掛けて怪物の左腕を切り落としてみせる。
光弾が放たれる瞬間を決して見逃すまいと、シェリルは思考を加速させた。
しかし、彼女の意思とは裏腹に、その肉体は痛みを訴えている。ズキンズキンと脇腹を走る痛みからか、徐々に集中力に綻びが生ていく。
最中、異形の右手から巨大な光弾が放たれた。視界を埋め尽くす光源に息が詰まり、椿を拘束する異形の腕へと突き付けた銃口が震える。
だめだ、撃てない――そう悟ったシェリルは、知覚できるかどうかさえわからぬ光弾の直撃に備え、最後の抵抗と、両腕を頭部の前で交差させた。
眼前へと迫った光弾に、視界が白く塗り潰されてゆく。
刹那、彼女の五感を圧倒したのは、
――閃光と雷鳴。
落雷は、シェリルの眼前で爆ぜた。
その中央。蒼の輝きに縁取られた人と思しきシルエットが、その腕を一蹴。迸った閃光と雷鳴を以て光弾を真横へと弾き飛ばした。
遠方にて、弾けた光弾から火柱が上がる。
その爆炎を背に、雷の彼はシェリルを柔らかな瞳で一瞥した。
スモークシールド越しに覗く色は紫。見覚えのある、冷たくも温かな色彩。
「かさね……さん?」
シェリルを庇うように降り立った雷の正体。
それは、迸る蒼の閃光を鎧のようにその身に纏う、襲の後ろ姿であった。




