Act.93 強さ
到着ターミナルの正面口より外へと出た怪物、元々は加々美大志であったそれは「空腹感」に駆られるように周囲を徘徊し、新たな獲物を探していた。
『ドこへェいっタぁァあ?』
黒の鎧を身に纏った異形の足がアスファルトを踏み締める度に路面には蜘蛛の巣状の亀裂が走り、そのモノの質量が外見とは大きく異なっているであろうこと暗に示す。
昆虫類の甲殻のような甲冑に身を包んだ黒の騎士は鎧の隙間から覗く“犠牲者たちの目”を巡らし、周囲の生の痕跡を辿っていた。
逃げられた獲物は四つ。
貪欲な蝕欲に支配された異形が、次なる場所へと移動を始めようとした、刹那。
遥か上空から放たれた桜色の光線が、怪物の頭上へと降り注いだ。
眩い光を発しながら空を引き裂いた荷電粒子の火線は、着弾と同時、白い煙を上空へと立ち昇らせた。
粉砕した滑走路より上がる粉塵と熔けたアスファルトの蒸気とが入り混じり、フォノンライフルを構えた濃灰色の機体、《センチネル》と呼ばれるANIMUSのオールビューモニターを白く塗り潰す。
『対象への命中を確認!』
数百メートル下方にて蠢いていたハンニバルへとフォノンライフルの一射を見舞った兵士の一人が、明瞭な口調で無線を飛ばした。
その脇へとバスーカ砲を彷彿とさせるハイパワー・フォノンライフルの銃身を肩に担いだもう一機の《センチネル》が近付き、着弾地点へと巨大な首を巡らせる。その所作は酷く人間的であったが、オールビューモニターを採用しているパイロットにとっては無意味とも言える行為だ。
それでも《センチネル》が首を巡らせたのはAMの頭部に目のように付いているフリークスセンサーを使用する為であった。ブンッという奇妙な電子音と共にセンサーが起動し、《センチネル》の双眸を妖しく輝かせる。
「フリークス反応消失を確認……ん?い、いや、待て。これは――」
暫しの間を置いて。コックピットの壁面に表示された数値を見た兵士が、言い掛けた言葉を困惑気味に撤回した。
何事かと、フォノンライフルを構えた《センチネル》のパイロットが無線に問い掛けようとした。その言葉を、
灼熱の光弾が遮った。
悲鳴を上げる間もなく、死を認識する間もなく。
下方から放たれた巨大な光弾が《センチネル》の機体に命中。コックピットを押し潰し、その内部に腰掛けていたパイロットの身体を一瞬にして蒸発させた。赤く焼け熔けた機体は血のように液化した金属を宙に垂れ流し、爆発。巨大な火球へと転じる。
「クソッ!やっぱり生きてやがったのか!」
何時の間にか晴れていた霧の合間から、黒の鎧を身に纏った人型の異形の姿が覗く。
その禍々しい双眸は確かに、こちらを直視していた。
「吹き飛べ!」
装甲を吹き抜ける禍々しい気の流れに萎縮した身体が、《センチネル》のマニュピレーターの動作を促し、ハイパワー・フォノンライフルの引き金を引かせる。
迸った光線は純白の奔流を路面へと叩き付け、その軸心に怪物の姿を捉えた――が。
怪物の全身から吹き出した黒々とした気体が荷電粒子の進行を阻み、撹拌。対象からやや離れた路面へと軌道を逸らして見せる。
「ば、馬鹿なっ…!?ハイパワー・フォノンライフルの直撃を喰らって、無傷だと!?」
悲鳴じみた叫びが空しくコックピットに反響し、恐怖に駆られた指先が再度引き金を引こうと操縦桿を操作させる。しかし、ハイパワー・フォノンライフルは威力が凄まじい反面、連射性に劣り次発装填には二十秒近い時間を要する。
そのことを忘却していたのだろう。カチカチと幾度となく操縦桿のスイッチを押し込んだ後で、パイロットはようやく《センチネル》にその場からの退避を命じた。
その背に、怪物の掌から放たれた光弾が迫る。
このままでは回避が間に合わないと無意識のうちに悟るや、僅かに残った男の理性が《センチネル》の背面に懸架してあったLシールドをその手に構えさせ、防御の姿勢を取らせた。瞬間、シールドの前面に緑光放つ粒子の力場が形成される。
直後に男を襲ったのは、網膜を焼く閃光と凄まじい衝撃。
展開された詞素の障壁と光弾とが衝突。蒼白いスパークを散らし、周囲の空気に凄まじい熱を放射する。
しかし、それも一瞬の出来事であった。
怪物から放たれた巨大な光弾は詩素の力場を易々と貫き、機体へと着弾。《センチネル》の躯体を腰の辺りから真っ二つに焼き千切り、羽田空港上空に巨大な光の花を咲かせた。
◇◆◇◆◇◆◇
その様子をやや離れた建物の影から窺っていたシェリルと椿は、怪物の驚異的な強さに冷や汗を滲ませていた。
「軍のAMがあんな簡単に…」
「……ええ。ですが、私たちも役目を果たさなければ」
シェリルの言葉を聞いた椿が、震える唇を無理矢理に結び、震える歯の根を誤魔化すように応じた。恐怖からか、彼女の唇は心なし青く変色し始めたように思える。
「時間稼ぎ……ですよね?」
「はい。《VSS-18便》が空港に到着するまでもう時間がありません。同時に、あの二人の『準備』が整うまでにもそれなりの時間が掛かります。それまで注意をこちらで引き付けなければ」
緊張しているのはシェリルも同じであった。
しかし、シェリルは自身の経験から知っていた。恐怖に身体を強張らせればそれだけ自身の行動に支障を来すこととなり、それが結果的に自身を窮地へと追いやる要因ともなりうることを。
そんな彼女の認識は、一般的に言えば正しく真っ当なものなのかもしれない。
その一方で、それを忠実にこなせる自身の精神が、一般的な人のものから大きく外れてしまっているであろうことを彼女は自覚していた。
思えば、軍事施設での非日常的な毎日を繰り返すうちに、自分の肉体と精神は水と油のように全くの別々のものとして乖離してしまったのかもしれない。
それは果たして本当の「強さ」なのか?
シェリルは自問した。
そして、問いの答えは存外早く彼女の中で導き出された。自分の持っているものは、本当の心の強さとはその根本から異なっているのなのだろうと。
だとしたら、自分の強さとはどこまでも偽りの強さでしかなく、「人間性の欠落」と忌避されるような、ただの感情の麻痺にしか過ぎないのかもしれない。
そもそも自身と彼女との間で生じているこの死の恐怖に対する反応と認識の違いは、単純に場数の違いからくるものなのだろうか?それとも――。
背中に背負っていたエクスーシアを路面へと降ろしながら無為な思考を重ねていたシェリルの耳に、椿の声が届く。
「ほ、放っておいても大丈夫じゃないかな?掛かっても後数分なんだよね?」
「それはわかりません」
「だ、だったら…」と言葉を続けようとした椿に、シェリルは頭を左右に振った。
「ですが、フリークス粒子の接蝕本能は詞素に対して最も強く表面化します。あの怪物が通常のハンニバルと同じように、思念波の揺らぎや詞素の存在を敏感に察知できるのだとしたら、あの二人の行っていることに感付いてしまう可能性も否定できません」
ピシャリと言い放たれた言葉に、椿の表情が歪む。
そんな少女の反応を見てシェリルは自嘲した。これが人として普通の反応なのだろうと。
そもそも一般人の彼女がこんな危険な行為に付き合う道理はない。そう思い立ったシェリルが、彼女に避難を促す言葉を送ろうとして、
震える両の拳を開き、パンッという乾いた音を立てて自身の頬を勢いよく叩いた椿の姿に言葉を失った。
「そう、だよね。……うん、わかった!後悔したくないし、私頑張るよっ」
赤く腫れた頬を擦りながら笑う少女の中に、シェリルは人としての本当の強さを垣間見た気がした。
人間性の中から見出される心の強さ。
それは酷く儚げで、美しく、何より――温かい。
「くれぐれも無理だけはしないでくださいね?」
「う、うん、わかった!」
歪んだ強さでもいい。
願わくば自分の強さが、彼女の――そして、孤児院の皆の笑顔を護れるものであって欲しいと、シェリルは少女の空元気な笑顔を見て強く思った。




