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構成術士の欠陥因子 《OD》  作者: 寺鳥 夜鶏
オーバーダイブ編 <下>
91/124

Act.88 変貌

空中回路が崩落した時刻より、遡ることおよそ五分。


椿と梓は空中回廊にいた。


ただの一般市民でしかない椿には軍役の義務など当然なく、早急に避難するよう梓は強く説得していたのだが。結局、梓を置いては帰れないという椿の想いと、管制塔に向かった直人なおとという構成術士の安否を確認したいという強い主張に、彼女自身が押し切られてしまった次第である。


畢竟ひっきょう、一人でも行ってしまいそうな椿を放っておくわけにはいかず、残存するハンニバルの掃討も九割方終了したとの知らせを受けた二人は、生存者の捜索と称して管制塔へと向かっていた。


「誰も…いないね」

「そうね」


吐き気を、目尻から伝いそうになる雫を堪え、椿は掠れた声で呟く。

梓は縮こまる少女の背中を見詰め、視線を窓の外へと切った。


一旦外に出てから管制塔に向かうという方法もあるにはあったのだが、生存者の救出を目的とする以上、二階の出発ロビーから伸びる空中回廊を通って建物の内部も確認して行くべきだろうと梓は判断していた。

それは恐らく軍人として正しい判断だ。

ただ、友人として正しい判断だったのかと問われれば、わからない。


どちらにせよ椿には辛い思いをさせる。

梓は罪悪感にも似た灰色の感情を噛み締めながら、ただ機械的に足を進めた。


「ねぇ、梓。もしかしたら――」


とぼとぼと歩く椿がその歩調に合わせて進む梓の背中へと声を掛けた。

刹那――。

なに、と応えようとした梓の『感覚』が空中回廊の先に、「何か」が蠢く気配を捉える。

椿への返答は先送りにして、梓は左手に嵌めたAIUに思念波を送信し稼働状態へと移行させた。


「梓?」


歩みを遮るように差し出された梓の腕に、椿が疑問の表情を浮かべる。

しかし梓の視線に気がつくや、彼女も身体の向きを前方へと正した。


「あっ……あの人!」


空中回廊と管制塔をへだてる一枚のガラス扉が開き、一人の男性の姿が現れた。

見覚えがある。

確か、今朝方ショッピングエリアで見掛けた――。


「君たちは?」


問い掛けてきたのは三十代半ばほどの外見の男で、服装自体もTシャツにジーパンと別段特筆すべきに点はない。ただ、椿だけは男の服装が変化している点に妙な違和感を抱いてはいたが。

負傷でもしているのだろうか?右腕を左の脇腹に添えたままこちらへと歩み寄ってくる男の問いに、梓は凛然と答えた。


「EUGF直属、ハンニバル迎撃部隊Aceの者です。一般の方でしょうか?」

「はい、逃げ遅れてしまいまして…」


旅行客然とした服装には疑問を抱くべき要素は見受けられず、ハンニバルにわれた様子もない。

ならば問題ないだろうと、梓が稼働状態にあったAIUを停止させようとした、その時。


「他に、他に誰か見掛けませんでしたか?」


突如として、梓の腕から上体を乗り出すようにして椿が声を発していた。

突然のことに梓が呆気にとられている中、男は首を傾げながら否定する。


「いえ……誰も見掛けませんでしたが?」


「きっと全員避難できたんでしょう」と言葉を重ねてきた男の挙動に、梓は一抹の疑念を抱いた。


空港の関係者たる管制塔の職員が真っ先避難した?

確かに極度の恐慌状態に陥った人間の心理を考えれば、それもありうることかもしれない。

けど、知り得た情報を思い出す限り、空港職員はその二割近くが未だ身柄を保護されていなかったのでは?

もちろん中には逃げ遅れた者も少なからずいるかもしれない。でも現状から察するに、その全てが生存しているとは考えがたい。そこまで楽観視することはできないと思う。


ならば管制塔にいる、いや、いたであろう職員たちは?


もちろんハンニバルが管制塔にも出現したという可能性もある。しかし外見上管制塔の損傷は少なく、騒動の中心がターミナルであった以上、空港の異常に気づくのがやや遅れたと考えるのが自然では?

仮に遅れたと仮定して、彼らが真っ先に取る行動は何?

自分たちだけで避難した?

決死の覚悟で避難誘導に加わった?

いや、管制塔という場所にいたなら、真っ先に行うべきは軍の出動要請を出すことと、被害拡大を防ぐ為に羽田空港に寄港予定の旅客機全てに事態を伝え、進路変更を促すこと。


確かに、『霧』の影響で通信が不可能になっていた可能性もある。

しかしならばこそ、『霧』が晴れるまでその場で待機し通信を試み続けるべきでは…?


しかしこれはあくまでも仮定の話でしかない。

「乗客の安全を第一に考える」という空港の職員としての矜持を彼らが持っていて、実行に移せたという仮定――…。


「嘘だよッ!」


霧が掛かり始めた梓の思考を、迷いなき椿の一声が払った。


「さっき直人さんっていう人が管制塔に向かったから……あの人は、絶対に逃げたりしてないから。だから…」


椿の叫びは悲鳴じみていて、同時に揺ぎ無い確信に満ちていた。

その叫びに、梓の思考が違和感の正体へと辿り着く。


そもそも、何故この男はわざわざ空中回廊利用してまで危険なターミナルへと戻ろうとしている…?

外には空中回廊を通らずとも管制塔の一階から出られるわけであって、単純に避難するだけならそれだけでいい。管制塔の出口が塞がれているという可能性ももちろんあるが、外から見た限りではその可能性も薄いように思える。


もうひとつ、思索する。


この男はつい先程、全員避難できたのではないかと、そう語った。

それはつまり、誰も死んでいない、負傷者もいないということ…。

梓の言葉を信じるなら――彼女が信じている直人という人物を信じるならば、彼はまだ管制塔内にいる可能性が高い。


しかし男は「誰もいなかった」と言った。


この言葉は管制塔を一通り見てからではないと自信をもって言える言葉ではなく、男が管制塔全体を既に見ているということを暗に示唆してる可能性が高い。

直人という構成術士が椿の主張通りの人格者なら、管制塔内で既に接触しているのではないだろうか?

しかし男は誰も見ていないと出張している。


これは不確定な矛盾。

だが、無視できない矛盾にも思える。


明確な結びを迎えていない思惟を抱きながら、梓は一つ鎌を掛けてみることとした。


「右手で抑えている左の脇腹、先程からの挙動を見る限り……負傷していませんね?」

「な、何を言って…」


男の声音に含まれていた確かな動揺を聴き取り、梓は遂に確信を抱くに至った。


「掌を開いたまま両手を上へと上げて下さい」


AIUに思念波を注ぎ込み高励起状態へと転化させた詞素を右手に溜め、男へと突き付ける。


「おいおい、俺は何もしてないぞ…!」

「念の為の処置です。簡単な身体検査を行うだけですので、ご心配なさらないで下さい。貴方の身柄は我々が責任をもって保障致します。

それとも――…何か不都合なことでも?」


酷薄な笑みを口元に湛えながら、梓は男の言動を嘲笑するような言葉を紡ぐ。

一歩、また一歩と歩み寄る少女の姿に、男はたじろぐような動作を示した。


「くっ…!」


踵を返し逃走を図ろうとした男の脇を、梓の放った「光熱波」が掠める。

焼け熔け爆風に散乱したガラス片を男が浴びる中、梓は醒めた声音で告げた。


「次は当てます。死にたくなければ指示に従って下さい」


それは指示などという生温いものではなく、最後通告そのものであった。

先程とは明確に異なる敵意を孕んだ視線を受け、男は――、



狂気を体現したかのような、ぞっとするような笑みを浮かべた。



言いようもない粘り付くような悪意に四足を絡め取られ、梓は声にならない悲鳴を上げた。

次の瞬間男は脇腹の添えていた右手を離したかと思うと、その手の内に握られていたと思しき鈍色の物体を自身の大腿部へと突き立てた。


「な、何をっ!?」


何をしているのはわからない以上、放っておくわけにはいかない。

静止の意図を込めた光の帯が男の右腕を的確に穿ち、妙な物体を突き立てていた右腕を蒸発させた。

必然的に太腿に突き刺さっていた円筒形の物体も吹き飛ばされることとなり、空き缶にも似た形状の物体が金属的な反響音を立てて男の背後へと転がってゆく。


しかし、梓の紫苑の双眸が捉えたのは。


『仕方ねェよなァ…ばれちまったらさァ』


激痛に表情を歪ませる…などという抽象的な変化ではなく、熔け始めのろうの如く溶解し始めた醜悪な顔面が、そこには在った。

梓を凝視する視線。

赤黒く充血し、瞳孔が開き、淀んだ目。

人間の声帯から発せられたとは思えない言葉が肌を震わせ、二人の少女の神経を蝕む。


変化は劇的だった。


関節が外れるような音とともに男の肉体が膨張、二回りほど巨大化した躯体は赤黒く変色してゆく。

身長は梓の倍以上はあろう巨体は糸状の細胞組織を縫い合わせるようにして筋肉を構築すると、背中を丸め、蝶が羽化するような動きで背中から糸状の繊維を屹立させた。


「この感覚は……まさか、ハンニバル!?」


次々と変化する“男だったモノ”を見遣り、梓は全身が液体で形成されているのではないかと思索した。

背中から生えた糸状の繊維は束となり、やがて左腕と一体化するように癒着。ビルの支柱さながらの太さへと転じる。


『ブッ殺すしかねェよなァー!』


化け物が岩のような右手を握りしめた瞬間、梓は後方へと跳んだ。

だが眼前へと振り下ろされる大質量体の速度に対し、それはあまりにも遅い。

潰される――梓はそう覚悟した。


「梓ぁ――!」


後方から椿の声が届く。

そちらへと顔を向けるような余裕もなく、梓は反射的に「詞素光壁ライトフィールド」を発動させていた。

叩き落される拳を防ぐのではなく、肩口から上腕にかけて障壁を発生させ、拳の軌道を僅かに横へと反らす。

狙い通りの位置に発生した力場は対象の行動を封じたように思えた。

しかし直接防いだわけでもないというのに、障壁は一瞬にして砕け散り光りの粒となって拡散してしまう。


確かに軌道は逸れた。

だが、このままでは避けきれない――。


不意に、腹部を圧迫する存在に気づいた。

意識を下へと向けると、ヨーヨーの金属の円盤が腹部に触れているのが目に留まる。

どうやこの圧迫感はヨーヨーの紐が腹部に巻き付けられていた所為せいだったらしく、後方へと引き寄せられる力の中に梓は椿の思念波の震えを確かに感じ取った。


ヨーヨーに釣り上げるようにして後方へと加速する梓の眼前を、化け物の剛腕が掠める。

男だったモノの造形は人間のかたちの権化であり、殺意に満ち満ちた破壊衝動の現れでもあったのだろう。

振り下ろされた拳は易々とコンクリートを打ち砕き、その中に埋め込まれた鉄筋を縫い糸のように抵抗なく引き千切る。生じた亀裂は蜘蛛の巣状に伸び、回廊の端まで届いていた。


支えを失った空中回廊は音を立てて崩落を始め、舞い上がる粉塵の中に二人と怪物の姿が紛れていった。



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