Act.87 合流 <3>
気流を裂く音がヘルメット越しに鼓膜へと届く。
シールドディスプレイの高度表記が百メートルを切ったのを機に、襲はHNSに思念波を送信。起動した各装置が静かな稼働音を上げて起動し、青の粒子が襲の身体の表面を取り巻く。
疑似詞素装甲が発動したことを肉体を覆う粒子の青の可視放射(余剰エネルギー放射)から悟った襲は、来るべき衝撃に備え歯を食いしばった。
着地場所はターミナルから伸びる滑走路上。
ダンッというアスファルが砕け散る音とともに、全身の臓腑が重力に引かれ悲鳴を上げる。
落下時の衝撃によって生じた血流の変化が、僅かながら身体の各部位に異常を来す。
「…あっちか」
だが、視界に生じたブレを意に介さず。襲の身体は着地から数秒と置かずに駆け出していた。
滑走路を見る限り目立った損傷は見られないが…。
一キロほど遠方、ターミナル付近には随所に戦闘の痕跡が見受けられるようだ。
目的の場所に近付くにつれて熔けたアスファルットの異臭が強くなり、デスクから落ちた資料ように散乱する遺体からは饐えた悪臭が立ち昇っている。
バスターミナルから吹き飛ばされてきたのだろう。空港の正面を塞ぐように転がるバスを跳び越えようとした瞬間、死角から人型をしたハンニバルがバスのガラスを突き破って躍り掛かってきた。
回避は間に合わない。
漠然と、だが醒めた感情に裏打ちされた思考が霈を握る手に力を込めてゆく。
「循環刀身」の発動と共に停滞なく翻った刃が異形の首筋を捉え、両断した胴体が黒の鮮血と共に宙を舞った。最中、側方より迫る巨大な羽虫を襲の回し蹴りが捉え、強固な身体をバラバラに四散させる。
続けて前方から現れた三体の人型の異形、うち二体はその両腕を刃のような形態へと変化させこちらへと肉薄しており、やや後方に陣取っている異形の両腕はアサルトライフルが癒着したような歪な銃身をこちらへと差し向けていた。
吐き出されたのは、数十の銃弾の雨。
対し、襲は弾丸の通過領域を冷静に予測する。
襲の思念波によって緑の輝きを強めた刀身は涼やかな高音を上げて空を裂き、まず一発目の銃弾を斬り落とした。
否、高速振動する力場の熱に炙られた銃弾が瞬時に“蒸発”する。
素早く手首を返し楕円の弧描いた緑の軌跡が二発の銃弾を斬り落とした。同時に跳躍、右手を振り切った反動で空中で身体を捻り一回転するや、慣性に従って漂う身体を銃弾が掠めてゆく。避け切れなかった銃弾を空中で斬り落としながら、着地と同時、左右へと振られた刃が残る銃弾を並べて斬り払う。
直後、跳躍と共に肉薄した異形の右の刃を襲は霈の刀身で受け流した。側面より繰り出されたもう一匹の尖突を身体をターンさせて遣り過ごし、返す刃でその腕を両断する。初手で受け流した異形の左の刃が襲の背面へと繰り出されるが、襲は身を屈めて遣り過ごし、続け様に振り下ろされた二匹の凶刃を跳躍して回避。頭を下にして空中で身を捻り、遠方より放たれた銃弾を弾きながら二匹の喉元を横薙ぎに、輪切りにした。
着地と同時、左右へと身体を捌いた襲の姿を銃弾の雨が追い、アスファルトに数多の弾痕を刻む。
背後にて二つの死骸の崩れ落ちた音を背に、残る一体を始末せんと襲が地面を蹴った――瞬間、
遠方より、少女の思惟が、走る。
右へ――そう指示する『声』に促され、襲は加速しようとした肉体に急制動を掛けた。
――上体を右へ傾ける。
直後、一条の光線が左方を掠め、前方のハンニバルの肉体を貫通。バスの爆発に乗じ、ターミナルより湧き出ようとしていたハンニバルの群れを完全に蒸発させた。
続けざまに極太の光線が一射、二射と放たれ、死角から接近してきていた異形の群れを薙ぎ払う。
シールドディスプレイにオゾン濃度上昇を知らせるアラートが鳴るが、襲は視線ポインタで黙らせ背後から距離を詰めてくる“質量体”へと身体を向けた。
「助かりました、シェリルさん」
眼前の空間がゆらりと歪み、襲と同じくHNSに身を包んだ人影が現れた。
恐らく「ステルスクラフト」の類によって気配を消していたのだろう。拡散する粒子の煌めきとともに、急速に人の気配が生じる。
「いえ、それよりどうしてこちらに?」
フルフェイスヘルメット横のスイッチを押し、シールドディスプレイのスモークを晴らした少女が問う。
その手にはライフル型AIUが構えられていた。
「空の掃除は終わりましたので、取り敢えず地上の掃除を手伝おうかと思いまして」
「そうですか、旅客機の方は…?」
「《VSS-18便》には避難勧告は出せましたが、機体の損傷が激しく既に自力での飛行は困難な状態です」
淡々と告白される言葉にシェリルの瞳に動揺の色が映る。
「ですが幸い、乗客が行使している『吸蔵操作』によって飛行状況を維持できています」
「飛行経路の方は変更したのですか?」
「いいえ。術者の疲労状態から鑑みるに、今から別の空港へ進路変更できるほどの余裕は恐らくないかと。
一度発動してしまった『吸蔵操作』は、術式上、目的とする空間座標を変更する為には一度術を掛け直す必要がありますので」
『吸蔵操作』は対象に吸蔵させた詞素を、“対象ごと”目的とする空間座標まで移動させる術式である。
移動には詞素の空間座標情報の順次切り替えが要求されるが、この行程は術者が目的地を定めた時点で詞核の虚数演算領域によって半自動的に処理される為、術者に掛かる負荷は少ない。
だが目的とする空間座標を定めるのは術者自身の意思であり、目的地を変更するということは、術式を一から演算し直さなければならないことを意味する。いくら無意識なれど、これは術者にとって大きな負荷となるだろう。
「では、空港に残存する危険因子の排除を最優先とします」
構成術士として高度な訓練を受けた少女には既知の情報だったらしく、シェリルはすぐさま納得した。
「ところでAMはどうなされたのですか?時間的に考えてもアイハ・フォノニクスまで戻っているような時間はなかったと思いますが…」
周囲を見回しながら放たれた詰問は、察するに、作戦の機密性を危惧したものであろう。
AMはその巨体ゆえにこうも平坦な場所では隠しようもなく、後の行動を考えれば人目に付くのは芳しくない。
シェリルの杞憂に襲はにべもなく言った。
「オートで帰還させましたので、ご心配なく」
「はっ?ですが、AMは思念波がなければ稼働できないのでは…?」
「ええ、ですから思念波を短時間であれば保存できる装置を置いてきました」
そう言って襲はシェリルが手にしているAIUを指差して、
「お渡ししたAIUには、Fパックと呼ばれる残留思念を有した詞素を保存することが可能な装置が内臓されています。
詳しい説明は今は省かせていただきますが、Fパックには注ぎ込まれた思念波を振動情報として保持し、共鳴。一時的に保存する機能があらかじめ備わっています。ですから、保存された思念波を利用すれば一時的にではありますがAMの単独飛行も可能です」
襲は質問攻めにされることを覚悟の上で言ったのだが、思いの外シェリルの動揺は少なかったらしく。
「了解しました。では、僭越ながら同行させていただきます」
首を縦に振ったことに対し襲は無表情ながらも、多少の懐疑心を抱いていた。
詳しい思考過程こそ計れないが、少女の強い使命感が内に生じたであろう疑問を棚上げにしたのだと、勝手ながら判断しておくこととする。
踵を返し襲が到着ロビーへと踏み入ろうとした、その時。
熱された衝撃が大気を伝い、二人の注意を一点へと引き寄せた。
舞い上がる粉塵の先。
ターミナルと管制塔を繋ぐ空中回廊が中心を境に二つ折れになり、音を立てて崩壊を始めていた。




