Act.80 共同戦線 <2>
『AM1。発進準備完了。カウントダウンを十秒に変更します。ハンガーフック、解除まで十、九、八、七…』
格納デッキでは様々な人間が駆け回っていた。
一様に浮かべるは、緊張の色。
沈殿する空気は換気の悪さからか、温く潤滑油を始めとした様々な臭いが充満しており、まるで泥が肉体に貼り付けられたような錯覚を訪れた者へと与えている。
思わず己の意思さえも嫌な空気に呑まれそうになり、ごくんっ、とダリウスは乾いた喉へと唾を流し込もうとした。まぁ、唾が出ないから喉が渇いていたのであって、当然唾は飲み込めるほど分泌されていなかったのだが。
結果、これだけ大きければ機内に自販機の一つでも置いたらどうかと、ダリウスは完全に的外れな思いを抱く。
『AM2も発進準備完了しました。カウントダウンを開始。五、四、三…』
湧き上がる渇きを堪えながら格納デッキ脇の簡素な通路を足音を立てて進むと、ダリウスの視線は格納デッキから貨物ハンガーへと移動させられてゆく機体へと落とされた。
輸送機という性質上《クラウド》にはAMを発進させるカタパルトは存在しないが、代わりになりそうな設備がある。
それは船体の後方ハッチに設置されている、貨物を出し入れする為のスライド式の貨物ハンガー。本来ならばコンテナ等を船内外へと運び出す為の装置だが、AMの巨体を船外に出すにはこれを利用しない手はない。
後方ハッチが開き船外へと迫り出した貨物ハンガーには、二機の機体が横向きに寝転ぶように固定されていた。
貨物用ハンガーに引かれて行った二つの濃灰色の機体は、《孔雀》と呼ばれる中国において最も標準的――総数が最も多いという意味で――なAMである。
背中に背負ったウィングデバイス(大型推進装置)からも察せられる通り、《孔雀》は空中戦を戦闘の主軸に置いた機体だ。
大型のCボックスは長時間に亘る戦闘行為を可能としており、今作戦では搭載されている武装はバズーカ砲のような形状を晒す、ハイパワー・フォノンライフルと呼ばれる超遠距離射撃を目的として開発された高出力な射撃兵装のみ。
極限まで武装を減らした仕様は恐らく、上空からの援護射撃に特化したものと知れた。
『――零、投下!』
金属が擦れ合う音と微震とが機内を震わせ、ハンガーの拘束具を外された二機の《孔雀》が寝転がった体制から俯せへと転がるようにして投下される。
《クラウド》との距離が開いたことを確認した二機の機体がスラスターの白色光を閃かせ、加速。《クラウド》を追い越すように、砂漠の乾いた空気を切り裂きながら空を滑走してゆく。
「明日香様は私の機体へ、ダリウス様は翔泰少尉の機体へ同乗して下さい」
オリーブグリーンの軍服を脱ぎ藍色のパイロットスーツに身を包んだ云烨は、同じくパイロットスーツを着た翔泰という兵士をダリウスに紹介し、明日香を一機のAMへと案内した。
明日香が同乗することとなったのは、特務使用と思しき空色の機体である。
調整用のコンソールに表示されている機体名を見れば、なるほど、どうやら《晧月》と言うらしい。
左腕にはフォノンライフルが握られていた。片や、機体の両肩から屹立した銃身は詞晶石を搭載した対ハンニバル誘導弾を射出する一対のフォノンミサイルであり、巨大な銃身を背中に懸架させた様は機体を一回り大きく見せている。
だが一つ異様だったのが、それらに混じって接続されている巨大な白い箱の存在であった。
見慣れない異物に一抹の不安を覚えたのだろう。パイロットを務める云烨自身でさえも眉を顰めている。
「これだけあれば宜しいでしょうか?」
云烨の詰問に、明日香は無言のまま箱へと右手を翳した。
送信される思念波。
エネルギーを持たない以上電磁波は生じず物理的な色味こそ持たないが、云烨の「眼」は明日香から発せられた青白く美しい思念波の存在を確かに認識していた。
行く末に捉えた「情報体」を解析し、暫しの間を置いて、明日香は微笑む。
「ええ、大丈夫です」
「…そうですか。では、こちらへ」
重力下で横たわったAMの機内に入るのは些か骨が折れたが、紗雪は自身の身体を“浮遊させて”機体のコックピットへと取り付いた。
EGGと呼ばれるコックピットの中央にはリニアシートが据えられ、正面から見て斜め後方に補助席が取り付けられている。
「離陸直後はかなり揺れることが想定されますので、留意して下さい」
リニアシートに腰掛け機体状態をチェックし始めた云烨の横を通り、明日香は補助席へと腰を落とした。
「お気遣い、感謝致します」
答える言葉とは裏腹に、少女の顔は緩んでいた。
緊張感がないわけではない。――ただ、それ以上にワクワクしていただけの話で。
そもそも明日香は搭乗型AIUの操作に関しては全くの素人であり、基本一人乗りのAMには搭乗する機会そのものがない。
不謹慎だとは自覚していたが、湧き上がる感情を抑えることほど明日香にとって難しい行為はなく、視界に入らないのを良いことに明日香は存分に機内見学をしていた。
興味深そうに(挙動不審に?)機内を見回したりしていると、起動と共にEGGの内面壁に外部映像が出力された。思わず感嘆の声を漏らしそうになった明日香だったが、云烨の真剣そのものの表情を見て我に返り、開き掛かった口を噤む。
「ダリウス様も、こちらへどうぞ」
「はい、宜しくお願いします」
翔泰に連れられ《晧月》と背中を合わせるように寝かされている《孔雀》へと案内されたダリウスは、明日香と同じように操縦席の右隣に設えられた補助席へと着席した。
ダリウスが乗り込んだ《孔雀》の武装は、ウィングユニットはそのままに、ハイパワー・フォノンライフルの代わりにフォノン・ガトリングガンとフォノンライフルが懸架されている。
当然ダリウスと明日香にも耐Gスーツの着用を勧められたが、時間も惜しかったこともあり、二人は制服のまま機内へと乗り込んでいた。
否、この二人には必要なかったと言うべきだろうか?
事実は霧の中に。
先行して機外へと飛び立ったAMに追随するべく、二人を乗せた二機のAMも貨物ハンガーへと移動を開始した。
『AM4、AM5。デッキから移動。AM3は投下を開始…』
『第一小隊、第二小隊は降下せよ!』
飛行ユニットと呼ばれるリュックタイプの飛行特化型AIUを背負った小隊が零れ落ちるように降下してゆく最中、続けて投下されていった機体は、薄茶色の丸っこいフォルムが特徴的な中国陸軍の専用機《曙暉》である。
《曙暉》は海外では専ら《サンドマン》と呼称される機体だが、その理由は常時脚部底面で発動している「吸蔵操作」によって、足場の物質の相転移を促している点に依る。端的に言えば、砂や泥などの不安定な物質を「吸蔵操作」によって相対座標を固着化することで、足場の安定化を図っているのだ。
砂場などの足場の悪い戦場でも安定した戦闘行為が可能となった《曙暉》は今や中国陸軍の主力となっており、戦場を選ばないオールマイティーな性能は折り紙つきと言えるだろう。
一方、サイクロプスを彷彿とさせる単眼のフリークスセンサーは、ロングインと呼ばれる特殊なセンサーである。
より遠方のフリークス反応を捉えられる索敵性能を有する一方で、横方向への索敵能力の低さから開発当初は実用化が足踏みされていたが、《曙暉》と呼ばれる機体はセンサー自体を目の如く左右に動かせるように調整したことでそれらの難点を取り敢えずは解消させているらしい。
ずん、という振動が二機を揺らす。
途端にオールビューモニターに投影される映像が薄暗い内壁から鮮やかな青空へと移り変わり、コックピットに居る者へと機体の投下準備が整ったことを悟らせる。
『AM4、AM5。所定の位置への到着を確認。投下準備完了、カウントダウンを開始します』
オペレーターの声が『零』という言葉を発した直後、自由落下を始めた機体が気流を裂き、瞬く間に茶色の地表が眼前へと迫ってきた。その頭上で全部隊の降下作業を終えた《クラウド》が旋回を始め、戦線からの離脱を開始する姿がオールビューモニターのバックモニターに投影される。
予め打ち合わせしてあった通り、《孔雀》はスラスターを焚きながら徐々に高度を下げ、濃灰色の躯体が地表すれすれを飛行してゆく。
『前方に敵影確認!大型が二つ。中型は七つ。小型が多数』
無線はダリウスが同乗している《孔雀》のパイロット、翔泰から入ったものであった。
やや遅れて加速軌道に乗った《晧月》も砂塵の向こうにフリークス粒子の存在を捉え、同時に遥か下方で灯る詞素の輝きをディスプレイの一角に表示した。云烨は各情報に目を通しながら命令を飛ばす。
「AM4はこのまま奴らの頭上を突っ切れ。くれぐれも客人に怪我させるなよ」
『――了解ッ』
苦笑を帯びた返答を機に《孔雀》の背面に点る青白い輝きが強まったかと思うと、次の瞬間には《孔雀》の姿は砂塵の彼方へと消えていった。
前方で交戦に伴って生じた戦火が様々な色彩な閃光を産んでいるのを余所に、《晧月》は減速に転じ戦線の最後尾へと銃身を向ける。
「先ずは戦線の回復を図ります。通信部隊が壊滅した時間から推測するに、奴らは既にこの辺りまで来ている可能が高い。街の安全を第一に考えるならば、少数とは言えど放置できない脅威でしょう。
以上のことから、脅威となる敵の排除を最優先に戦線の回復を図ります。暫しの合間お付き合い頂きたい」
フルフェイスヘルメット越しに響く云烨の声が深みを極める。
明日香は先に最前線へと向かったダリウスに背中を脳裏に夢想しつつ、「了解しました」と頷いた。
緩やかに降下を始めた《晧月》のオールビューモニターが矢継ぎ早に敵の存在を捉える度、云烨は表示されたレティクルへとフォノンライフルの銃口を向け、引き金を引き搾る。
放たれた光軸は地上を這う異形の群れを砂と共に灼き払い、中央にて繰り広げられる戦いの瀑布の外周に色鮮やかな花を添えた。
下方では、飛行ユニットを肩から降ろしたBD部隊が砂漠の上に散り、既に交戦を開始している部隊の援護に奔走している。
彼らの頭上を緩やかに旋回しながら、《晧月》は鮮やかな水色を陽炎に歪む低空へとジリジリと混ぜ込め始めた。




