Act.79 共同戦線 <1>
二千九十八年 三月三十一日。
明日香とダリウスは搭乗した戦闘機がコルラ市に着陸すると、準備に二日要するという云烨の説明を受け、二人は軍が手配した高層ホテルにてやや高待遇とも言うべき環境で宿泊することとなっていた。もちろん別々の部屋で、である。
こうして存分に英気を養った二人は、早朝、今度はコルラ市の詞素学企業が用意したという民間用大型輸送機に乗り込むこととなったのだが。
「これが噂の輸送機ですか…」
「みたいだよ?でも、思ってたよりもずっと大きいかも」
適当に言葉を交わしながらも、用意されていた船の大きさに二人は思わず「ほへぇ…」という風に呆けたような表情を浮かべることとなった。
それを横から見ていた云烨は「これを初めて見た人は大抵そういう顔をされます」と、苦笑とも誇張とも取れぬ笑みを浮かべている。
それにしてもこの船を「大型」と分類してしまうのは、些か――“かなり”謙遜してしまっているのではないだろうか?但し、誰が何に対して謙遜したのかは、思い至ったダリウス自身にも不明ではあったのだが。
まさしく、名を体で表すとはこのこと。
《クラウド》と呼ばれる輸送機は「雲」の名に相応しい程の巨体とステルス機能を有しており、全長に至っては実に百八十三メートルにも達しているという。
しかし、何故輸送機にステルス機能が搭載されているのかと気になり、ダリウスが云烨に質問してみたところ、曖昧な笑みでやんわりと回答を拒絶された。
「機内も想像以上に広いですね…」
「大きいねー。サッカーとかできそう!」
「いや、そんな用途には絶対使いませんよ」
乗り込む際には大してその大きさを実感していなかったダリウスだったのだが、いざ機内を見渡すとなると、考えは一変。再び呆然の色を呈することとなった。
更に言えば、AMを五機は詰めると豪語してみせた乗組員の話を聞いて、中国の充実した軍備も然ることながら、投入されている人員も兵力も日本のBD部隊とは規模が全く違うのだということを、ダリウスは視覚を通じてしみじみと実感させられることとなる。
実に今作戦に際して投入された構成術士の人数は、既に現地入りしている者も含めて二百三十四名。そのうち、明日香たちと共に《クラウド》に乗り込んだ人員は八十七名にも及ぶ。
二百メートル近い巨体が大地を離れ離陸する様は、感想は多数あれど、圧巻の一言に尽きるだろう。
積み込まれた五機のAIUと機体の整備班、実際に降下して戦闘行動に移るであろう兵士たち。
様々な者たちが忙しなく行き交う光景は、空飛ぶ軍事拠点と呼ぶに相応しきものであった。
「ですが、それにしても……何だか注目されてますね」
「そう?いつもこんなもんじゃない?」
「それは部長が目立つからですよ…」
とまれ、中国のBD部隊の中に日本の構成術士(仮)が混じっている光景はやはり不自然さが拭えないものなのだろう。
周囲から向けられる奇異の眼差しとも、忌避の眼差しとも取られぬ視線を受け、早くも精神的に疲労し始めていたのはダリウスである。用意された控え室に腰を落とし俯く様は、何故か見る者にリストラされたサラリーマンを彷彿とさせた。
悲しくも哀愁が漂う。
彼はまた、一段と老けたようであった。
一方、対称的だったのが他ならぬ明日香である。
見た事もない武装やAIUの類が興味深いのか、堪能な中国語と万国で有効なキューティクルな笑顔を武器に、中国の兵士たちと束の間の談話に花を咲かせていた。
そんな中、明日香との会話に夢中になってしまった(明日香の美少女然としたルックスに夢中になっていたでも可、むしろ推奨)兵士の幾人かが、作業の遅れを察知した部隊長などから厳重な注意を受ける、なんて和やかな(?)一幕もあったらしく。控え室に戻って来た明日香は随分とご満悦の様子であった。
そうして大した目的も中身もない会話を交わしていると、ふと、明日香が真面目な話題を突拍子もなく切り出してくる。
「ねぇ、ここ数年何だかこの手の事件が増えたよね?」
突然の詰問に、ダリウスは困惑しながらも適切な回答を模索した。
「そう言われてみれば……そうですね。二十年ほど前までは、ハンニバルの出現なんて世界中で年に一度あるかないか程度の頻度だったみたいですし」
第七学園のデータベースにアクセスした際の記憶を何とか引っ張り出し、ダリウスは明日香の台詞とそれらを参照した上で以上のように同意した。
座椅子に座り、テーブルの上に置いた両腕の上に顎を置きながら、明日香は頷く。
「うん。シャドウの目撃情報もそうだけど、やっぱり段々とハンニバルの出現頻度が上がってるんだと思う」
ダリウスが再度頷き返したのを見て、明日香は滑らかに言葉を続けた。
畏れるような、そんな表情で。
自然と、明日香の言葉使いも普段とは異なりやや硬いものへと変化している。
「構成術とそれを補助するAIUを始めとした装置の普及と発達、何より国の徹底した構成術士の教育推進政策の結果、構成術士の人数と質――つまり構成術士一人あたりのハンニバル討伐数は年々増加してきていると言われています。良いことかどうかはともかくとしてね。
しかしその一方で、構成術士の平均寿命は年々短くなってきています。これらは、一作戦行動における構成術士の死亡率が上昇していることを示唆するものです」
「それは……構成術士の実戦投入年齢が、法令などの改定によって年々低年齢化してきていることが大きな要因として挙げられていますが…」
ダリウスの補足とも反論とも取れない曖昧な返答に、明日香は浅く肯定した。
窓の外へ――壁面ディスプレイに投影された外部映像へと目線を流しながら、彼女はゆったりと言葉を紡ぐ。
「うん、それはわかってる。でも―――、」
明日香自身も何を語ろうとしていたのか、恐らくは、はっきりと認識できていなかったのだろう。
纏まらない思いを口にしようとすれば、必然的にその語彙すら危うくなる。
だが、この場においては要らぬ憂いであった。
――サイレンが、けたたましく鳴り響く。
走り抜ける悪寒は、「感覚」に捉えた「敵」の咆哮。
存在に気がついた明日香とダリウスが顔を上げた直後、船内放送を介して開かれた無線交話がサイレンの音に紛れるように飛び交い始める。
『フリークス濃度の上昇を確認!敵はハンニバル、第三接触禁忌種と思われる!総員、直ちに戦闘体制へと移行せよ!繰り返す、直ちに戦闘体制へと移行せよ!』
『BD部隊は飛行ユニットを装着しハッチへ向かって下さい!』
『AM1、AM2は発進用意!パイロットは何処か!?』
中国語で繰り返される言葉に、「ハンニバル……」と明日香は口内で呟く。
部屋に取り付けられた卓上ディスプレイの表示を見る限り、ハンニバルとの相対距離は二十キロとない。恐らく、数分後には接触することになるだろう。
敵の発見が遅れた理由は何か?
黙々と戦闘準備を整え始めたダリウスを意識の隅に捉えながら、明日香は一人思案した。
ハンニバルを構成するフリークス粒子が発する特殊な電磁波は、他の電磁波を妨害することで『霧』の内と外とを完全に分かつ。――が、逆を言えば、外部からならば特定の電磁波だけを捉えることが可能だということだ。
フリークスセンサーはこうした原理を利用して開発された、シャドウの観測及びハンニバルの索敵を目的とした装置だが、それでも精度は完璧なものとは言い難い。
特に既にBD部隊が投入されているような現場では、交戦に伴い、空気中に詞素が撹拌されることによって、フリークス粒子が発する特殊な電磁波を吸収、弱めてしまうことがある。その結果、フリークスセンサーの精度を著しく低下させてしまうケースは少なくない。
察するに、今回もその最たる例なのだろう。
通常、外部との通信断絶を避けるべく戦線の最後尾に通信部隊が設けられているはずなのだが、それが機能していないとなると…。
以上の事実が事態の深刻さを入実に表しているようで、明日香は不安に駆られた。
明日香の思慮を余所に、ダリウスは翻訳機を片手に何とか現状の把握に努めようとしていた。
通信部隊の機能不全。これが意味するところは――、
「戦線は、既に崩壊している…?」
ダリウスの呟きに、明日香は眉を曇らせる。
回答は、控え室の扉を潜ってきた云烨より齎された。
「もう間もなく《クラウド》は交戦空域に入ります。
先程入った報告によると、地上で迎撃にあたっていた部隊の約六割が壊滅した模様。最後尾にて交信の任にあたっていた部隊も既に機能していないようです」
告げられた内容は芳しいものとは言えない。むしろ最悪の事態とも言うべき戦況だが、席を立ち詰問を投げた明日香の表情は凛然としたものへと変化している。
「では、最終防衛ラインは既に突破された……ということですか?」
「……はい。我々もすぐに降下し戦況の把握及び迎撃部隊の援護に当たりますが、最悪、戦線の破棄も視野に入れなくてはなりません」
「街は放棄されると?」
「避難勧告を出します。こうなってしまった以上、市民にまで被害が及ぶ可能性がありますので」
淡々と綴られる言葉。反して、云烨の肉体から放出される思念波は激情に揺らいでいた。
市民の安全を護ることが彼らの役目であり、誇りでもあったのだろうと、ダリウスは同情を経て思い至る。
戦線の破棄。それはハンニバルに対する屈服を意味する。
中国という国に身を置く軍人としての誇り、何より、一個の人間としての責任感が理性との間で揺らぎ、悲鳴を上げていた。
だからこそ、訊かなくてはならない。
ダリウスは姿勢を正し、改めて云烨へと向き直った。
「ですが、市民全員の避難が完了するまでに、最短でも数時間は要するのでは?」
痛いところを突かれたのだろう。答える云烨の表情も険しくなり、声音は僅かに怒気を帯び始める。
「ええ。予想よりもハンニバルの侵攻が早い。このままでは、市民の避難も満足にいかない可能性も高いでしょう。
しかし我々はこの国の軍人として、この場を奴らに明け渡すわけにはいきません。最悪でも市民が撤退する時間は稼いでみせます」
彼らが抱く、人を護りたいという思念。それは揺るぎなく、確固たる意思となってダリウスの「感覚」を通じて胸へと落ちる。
やがて「熱」と化したそれは、ダリウスにとって命を掛けるに値する十分な理由となった。
剣を模した一対のAIUを腰に差したダリウスは、真正面から“尊敬すべき軍人”を見遣り、拙い敬礼を以て、これから行う行動に対する回答とした。
「我々日本の構成術士も、微力ながら共闘させていただきます。必ずや、この街の暮らしを護ってみせましょう」
異論は、なかった。
明日香は笑み、引き締めてから、口を開く。
「我々も降下します。準備を」
云烨もまた、挙手敬礼だけを返し、二人をAMが格納されている格納デッキへと誘った。




