Act.75 黒いANIMUS
二千九十八年、三月三十一日。
《マーナガルマ》に乗り込みアイハ・フォノニクスを後にした襲は、《マーナガルマ》の飛行高度を一気に上昇させ、上空一万メートル付近にて既に長距離飛行を開始していた。
通常、航空機などの物体は大気中での飛行速度が音速(時速千二百二十五キロ)に近づくにつれて、進行方向(前方)の空気が圧縮され高温となる。更に音速に達すると凄まじい衝撃波とそれによって引き起こされた轟音(ソニックブーム)が生じることとなり、空気抵抗が少ないとは到底言えない人型の物体が音速を超えるような速度を出すことは物理構造上無謀とも言えた。
関節部分の装甲が他の外部装甲に比べて幾段強度が劣ることも然ることながら、同時に、圧縮空気からもされる膨大な熱量が急速に機体を加熱させ、機内温度を上昇させる原因ともなりうる。
だが、現在飛行しているANIMUSUは単なる機械ではなく、数多の電装部品と「構成術」によって稼働する搭乗型AIUである。
黒のHNS(ハーモナイザースーツ)に身を包んだ襲は操縦桿を片手で操作しつつ、もう片方の手をホログラフの画面上へと滑らせた。画面に触れた指先には当然ながら何の感触もなく、それでも求めた指令が正確に機体へと伝わる。
直後、イアノートの声がコックピットに反響する。
『高速飛行へと移行。機体を起点に詞素光壁を展開』
襲に思念波に呼応した《マーナガルマ》は青の粒子を機体の周囲に散布、間も無くそれらは一定の秩序を保ち始める。
展開された詞素はやがて立体格子状に連なり、《マーナガルマ》の周囲に光の防壁を発生させた。
光の防壁が空気力学的に最も最適化された形状へと広がるや、先程までの空気抵抗が嘘のように機体が軽くなる。
『機内温度の低下を確認、現状を保持します』
展開された障壁によって大気の束縛から逃れた躯体にスロットルの鞭を打ち、襲は更に《マーナガルマ》を加速させた。オールビューモニターの一角に搭乗者に対するGが限界値を大幅に超過している旨が表示されたが、襲はそれを無視する。
フットペダルを踏み込むと同時、眼球が飛び出すような荷重に襲われる。されど襲の表情は依然として変わらない。
最適化された動作と思念波、それらを以て大空を闊歩する。
通常、人間が視認し判断し行動に移るまでには最速でも十分の一秒弱。しかし詞素の吸蔵特性によって肉体的に強化された構成術士たちは、それを遥かに凌駕する反射神経を有する。だがこれは超人的な反射神経を有するというだけであって、必ずしもその刹那に思考、判断し実行に移せるというわけではない。
だが、襲には容易なことであった。
そもそも“彼は脳で思考などしていないのだから”。
『十二時の方角。フリークスセンサーに微弱ながら反応があります。如何が致しますか?』
高速飛行を続けていた襲の耳に、イアノートの一報が届く。
視線を流せば、オールビューモニターの一角にフリークスセンサーが前方にて「何か」を捕捉している、という情報を表示しているのが目に留まる。
「距離は?」
『相対距離は21.23キロメートル。対象の移動速度を含む照準データは、照準レティクルを参照』
オールビューモニターのレティクルに表示された情報を見遣り、暫しの合間沈黙を享受した襲は、背中に懸架されていたフォノンライフルを《マーナガルマ》の両手に構えさせ、まだ見えぬ「何か」へとその銃口を向けた。
だが大気中に漂っている詞素やフリークス粒子の影響なのか、フリークスセンサーを除くセンサー類はまだ何も捉えていない。オールビューモニターの映像も然りである。
幾許かの沈黙の後に、フルフェイスヘルメットのスモークシールドから覗く襲の口元が僅かに開かれた。
「遠距離射撃を仕掛ける。照準を合わせた方角の映像を限界まで拡大してくれ」
『了解致しました』
拡大された映像には、やはり何も映らない。
雲や僅かに残留する『霧』が、カメラとセンサー類の機能を阻害しているのかもしれない。
フォノンライフルの威力と射程距離は、基本、パイロットたる構成術士の思念波の強さ――詞素に対する干渉能力に依存する。既存のビーム兵器では到底射撃不可能な相対距離だが、襲にとっては十分に射程圏内であった。
迷うことなく、銃口をある方角へと向ける。
「肩から腕部に掛けての相対座標を固定、同時に機体背面、脚部底面の空間座標情報を固着化」
『了解。吸蔵操作にて各座標情報を固着化します』
術式の発動に伴い、襲は《マーナガルマ》に素早く急制動を掛けた。
瞬く間に減速した機体を今度は緑色の輝きが包み、「吸蔵操作」にて操作された躯体が銃身を完全に固定する。
覗き込んだ照準の先に、襲は異物が紛れ込んでいるのをその「眼」に『視た』。
捉えたのは視覚的な情報ではなく、物理空間における「質量体」の存在。
「情報体」の質量情報を視覚化した襲の『眼』は、高次元空間の中に混入するフリークス粒子の“活性体”を見出す。
(これはAM…?まさか“堕ちて”いるのか)
襲の紫苑の双眸が鋭さを増し、その気配を察したように動作した《マーナガルマ》のマニュピレーターがその指先をフォノンライフルの引き金へと掛けた。
襲の瞳は紫色に似た輝きを帯びているが、これは色促反応によってもたらされた色彩ではない。
正確には“瞳孔に刻まれた詞法陣”によって生じた色味。
彼の肉体が「造られたもの」であること示唆する、呪いにも似た刻印であった。
とかくして、瞳孔に刻まれた詞法陣によって発動した『構成術』が襲に一つの答えを与えた。
(違う、これはまさか…)
より鮮明なった『視覚』に襲は戦慄する。
学園にて感じた不安が、この時、現実のものとなりつつあることを襲は理解した。
瞬間、襲の全身から凄まじい殺気が放たれる。
――引き金が、引かれた。
青の光線が、敵機と思しき機体の頭部を削ってゆく様を襲は「情報体」の海の中に『視る』。
続けて放たれたビームが対象の腕部を射抜き、狙い通り敵機を「保護対象」から引き離せたことを襲は確認した。
間、髪を容れず。
フットペダルを強く踏み込んだ襲は、《マーナガルマ》を急加速へと転じさせる。
『加速を確認。詞素光壁を再展開』
再び音を置き去りにした黒の機体が、遂に「敵」の姿をセンサーの中に捉えた。
確認された機影は、旅客機と思しきものを除いて六つ。その内の二機は日本の自衛隊の識別信号を発している。
誤射されてもかなわないな、と思った襲はホログラフに指を立て自衛隊の識別信号を飛ばした。
『敵影確認。高熱源体、フリークス反応あり』
加速の中で襲は右腕の装甲からフォノンセイバーのグリップを屹立させた。《マーナガルマ》の左腕にそれを握らせつつ、更に相対距離を詰めてゆく。
刹那、意識の隅に警報が鳴った。
反射的に、ではなく襲は自身の「感覚」に従って光刃を振るう。
意識的に――思念波を弱めるという意味で――収束率を落としたフォノンセイバーの刃が、前方から奔る赤の光条と重なり、収束率の低下に伴って刀身に纏わり付くように散布されていた詞素がビームとの間で干渉を起こした。
スパークと共にビームを減衰し、その軌道を僅かに外へと逸らす。
放たれたビームを光刃で弾くという居合の達人も脱帽するであろう行為を経てもなお、襲の表情には迷いも恐れもない。
「先程撃ち落とした機体を鹵獲、他は殲滅する」
『では、いつも通りですね?』
「ああ」
発振された青の刀身が大気を裂き、オールビューモニターに表示されるアラートが敵機と思しき青のAMの接近を知らせる。
スラスターの瞬きが大空に弧を描くや否や、両者の刃が交差。すれ違うように立ち位置を入れ替えた襲は、醒めた眼差しのまま吐き捨てるように宣言した。
「駆逐する」
答えは、随伴機の群れから放たれた誘導弾によって返された。
対する襲は、機体に「詞素光壁」を纏わせることで対応する。
誘導ミサイルの類には赤外線誘導装置を始めとする様々な誘導装置が取り付けられているものだが、その全ては電装部品によって制御される精密な機械である。
襲は外部の放出された詞素に、思念波を通じて電磁波を減衰させる性質を加味させた。
これによって電子回路の機能障害を起こしたミサイルの群れは、その多くが《マーナガルマ》を見失い、動体捕捉システムが搭載されていたらしい超近距離用追尾弾頭の類は光壁に阻まれ、爆散。空中に爆炎の花を咲かせる。
その熱源の中に自機の熱源を紛れ込ませた襲は、一気に高度を下げ、下方から随伴機の一機へとフォノンライフルを照射した。咄嗟に回避しようと身動ぎしたカーキー色の機体だったが、右腕を損傷している影響で重心移動が思うように行かなかったのだろう。青の光線にコックピットを射抜かれ、純白の光輪へと転じる。
爆風に紛れ込んでいたのは《マーナガルマ》だけではなく、先頭に陣取っていた青のAMも同様だったらしい。
背後から振り抜かれた赤の光刃に対し、襲は機体を素早く反転させつつフットペダルを踏み込み、蒼のフォノンセイバーを発振させた。
混じり合い、交錯する荷電粒子の束。
再びすれ違うように通り過ぎようとした刹那に、襲は凄まじい勢いでアームレイカーを操作。青のAMの背後に蹴りを放った。続けざまに仰け反った背中にフォノンライフルを照射するも、姿勢制御バーニアを焚いた青のAMに紙一重で回避される。
舌打ちをする間もなく。
側方から放たれた光線に襲は素早く《マーナガルマ》の機体を反転させた。追い討ちを掛けるように降り注ぐ鉛玉の雨を、フットペダルを踏み込み急加速することで回避する。
加速した機体は、再び、音速を超えた。
青の残像を残し消えた標的を探す随伴機の背中に、《マーナガルマ》が振りかぶる蒼の光刃が翻る。停滞なく振り抜かれた刃は的確にコックピットを灼き斬り、巨大な光球をまた一つと作り出した。
入れ違うように青のAMから放たれたビームに対し、襲は姿勢制御バーニアを閃かせることで《マーナガルマ》を横合いへと移動、回避させる。更に追撃する暇を与えぬようフォノンライフルを応射しつつ、素早く青のAMとの相対距離を詰めに掛かった。
再び蒼と赤の光刃が重なった直後に、襲は接触回線を通じて敵機へと詰問を飛ばした。
「何が目的だ?乗客の拉致か?」
回答は、返らない。
だが、刃に込められた思念波を通じて感じるものはあった。
確信と殺意を以て、襲は青の機体を、その中に居るであろう“異物”を睨み据える。
「お前ら、“人間”じゃないな」
その時、青の機体の頭部にある一対の目が気味悪く嗤ったように錯覚した。
押し合うようにして開いた距離をどちらからともなく詰められる度に互いの光刃が交わり、スパークが周囲の空間を満たす。
切り結ぶその都度に、二機は錐揉むように下方へと落下してゆく。
オールビューモニターに表示された高度計が赤く点滅し、アラートが鳴り響く中、襲は頭上から一本の光線が降り注ぐのを見た。
『援護する!』
日本のBD部隊のものと思しき白の機体《センチネル》のパイロットから無線が飛び、片足を負傷したまま緩やかに上空を滑る。その狙いは違うことなく青のAMだった。
襲は青のAMが《センチネル》の攻撃に回避行動を取った隙を狙い、フォノンライフルの引き金を引いた。放たれた光軸がその直線上に青のAMの脚部を捉え、灼き千切ってゆく。
爆発時の影響でバランスを崩した青の躯体は撤退の挙動を見せたが、襲には見逃す道理などない。射撃の合間に死覚へと放っていたフォノンセイバーのグリップを光軸で射抜き、青のAMの背面に誘爆を起こしたCボックスの小さな火球を押し付ける。
爆風に弾かれた機体は何故か急速に高度を上げ、援護射撃を行っていた《センチネル》へと猪突。何か奇妙な装置を片手に機体へと組み付いた。
『な、何をするっ!?』
共有した無線回線越しに届いたパイロットの悲鳴に、「盾にでもするつもりか」などとまるでゴミでも見るような冷淡な眼差しを向けていた襲だったが、
『や、止めろぉ!!うわぁぁあア!?』
背筋に走った悪寒に、目を見開いた。
見遣れば、フォノンセイバーのグリップにも似た筒状の装置を、青のAMが《センチネル》のコックピット部分へと突き立てている。不吉を感じた襲が瞬時にフォノンライフルの引き金を引き搾り青のAMの腕を貫いたが、背後から放たれた不意の攻撃に追撃を遮られることとなった。
「新手か……?」
ミサイルが放たれた方角へと視線を流すと、増援らしき三機のカーキー色の機体が援護射撃をしながらこちらへと接近してきていた。そこへ一番最初に無力化したはずの随伴機が合流し、首をなくしたまま残った左腕に構えた実弾銃で攻撃を加えてくる。
襲が回避に時間を取られている隙に、青のAMは撤退を開始していた。
追撃するべきかと思案した襲だったが、傷付いた《VSS-18便》を視界に収め、任務の優先度を改めることとなった。
(機体を飛ばしているこの術式…。まさかとは思ったが、何故ここにアイツがいるんだ?)
風穴から唯の姿を捉え、襲は深々とため息をついた。
理由を問い詰めたいところではあるが、今は乗客を無事に空港に届ける方が先だろう。経緯はともかく、彼女が居なかれば旅客機は疾うに墜落していたであろう現状において、襲は笑顔で手を振ってくる少女のことを責める気にはなれなかった。
撤退してゆく敵影を見遣りながら、着陸の件でミルハレーナに連絡でも取ろうかと思い至っていた、刹那。
ぞくり、と背筋が泡立つ。
ESAを通じてコックピットに吹き込む「害意」に、襲は慌てて操縦桿を切った。
「何だ…?」
頭上を掠めてゆく光線の出処を、視線を這わせて探る――と、そこには、
「味方……じゃないのか?」
先程まで援護射撃をしていた《センチネル》が、禍々しい「気配」に呑まれ、ハンニバルさながらに禍々しく歪に変わり果てた姿があった。




