Act.63 東雲哀惜を廃す <4>
二千九十八年 三月三十日。
軍が手配したビジネスホテルに宿泊していたカレンは、湯上りの身体のまま、早朝から六道龍二の電話を受けていた。
テーブルの上に音声回線を開いたTIGを置き、手早く出立の準備を整えながら打ち合わせを進めていく。
『お前が担当する区画は昨日渡した資料の通りだ、変更はない。何か質問はあるか?』
「では、一つだけ宜しいでしょうか」
『許可する』
カレンはタオルで髪の水気を拭いながら、視線をホテルの窓の外へ。その眼下に広がる街並へと流した。
「見たところ我々第三部隊の警備範囲に最寄りの空港は含まれていないようですが、そちらの警備はどうなっていますか?」
『俺たちは管轄外になってるが、確か第七学園の生徒が迎えを寄越すみたいなことは言っていたな。一応《VSS-18便》の警護の任に、軍のBD(構成術士)部隊が当たってるらしいが』
「国からの警護部隊…ということは、やはり……」
カレンの消え入りそうな呟きを耳聡く聞き取っていたのか、龍二はため息混じりに答えを口にする。
『ああ、恐らく普段通りの警戒体制だ。テロしか想定していない。どうやら軍の無能共は現状を正しく理解できていないらしいな』
「増援は望めそうもありませんか?」
『シャドウが出てからなら出せるだろうな。まぁ、連中が慌てて緊急発進したところで、現場に到着するまで飛行機が無事に飛んでるとは思えんが』
カレンは軍服の袖に腕を通しながら、テーブルの上に置いてあった腕輪型のAIUを操作した。
淡い隻光を帯びた詞素が身体を包み込み、温かな熱と共に身体中に付着していた水分を瞬く間に大気中へと拡散させてゆく。
完全に乾いた四足に服を纏わせながら、カレンは己が胸中の杞憂を電話の相手へと発露した。
「となると、心配なのは新入生の皆さんですね……。こちらから人を送ることはできないのですか?」
『無理だろうな。護衛に当たってる連中と俺たちとでは、そもそもの指令系統が違う。
手続きに手間取るだけならまだ良いが、軍の連中が下手な混乱を避けたいとかゴネり出す可能性もある』
つまり事実上、不測の事態には――シャドウが出現した場合には、既存の兵力と第七学園から送られてくるという増援だけで対処しなければならないことになる。
言い様もない不安を覚えているのはカレンだけではなく、むしろ第七高校の生徒会長を務めている龍二その人の方が真に迫るものがあるのかもしれない。
国の対応に対する批判や不安を口にすることは一個人として許されることなのかもしれないが、それをこの場で自分が喚くのは人として恥ずべき行為だろうと、彼女は喉まで出掛かった言葉を飲み込んだ。
『…まぁ、あっちのことは真藍 に任せておいて大丈夫だろう』
「真藍って……もしかしてあの名家のですか?確か特質系の構成術士がいるとは聞き及んでいますが」
僅かに生じた間の合間に、漏れる息。
それが何故かカレンには、問いを受けた龍二が電話の向こう側で口角を上げている姿を連想させた。流石にその心中を推し量ることまでは、彼女には叶わなかったのだが。
『ああ、そいつは七高の生徒でな。今回の件は全部そっちに任せることにした』
真藍家は日本の構成術士でも名高い名家の一つであり、「グレースクラフト」と呼ばれる世界有数の水供給企業の支持母体でもある。
カレン自身もあまり詳しくは知らないのだが、そもそも真藍家が名家として知られるようになったのは、真藍家の構成術士がたった一人で中国の水質汚染問題を解決したという『噂』が切掛であった。
その後も真藍家は次々と世界中の水問題を解決して回り、今では世界中の水不足や水質問題などの水に関する諸問題を解決する組織として名を馳せているわけだが、組織態勢からも察せられる通り、どう考えても戦闘向けの組織ではないだろう。
噂の特質系能力者がどんな人物かは知らないが、龍二が全面的に“任せる”と明言した以上、一高(に入学予定)のカレンが疑問を抱くのはお門違いなのかもしれない。
(まさか、丸投げしたんじゃないでしょうね……)
ぶっきらぼうに無責任な発言を繰り出した上司に内心呆れにも似た感情を抱きながらも、カレンは出立の為の準備を終えようとしていた。
「了解しました。では、これより警備の任に当たります」
髪留めを口に咥えたまま、カレンは背中へと流していた赤い髪を手のひらで掬い上げた。片手で髪を押さえたまま、もう片方の手で髪留めを掴み後ろ髪を結い上げる。
『警備の件だが、お前には新入りの面倒を見てもらう手筈になってる。先月欠番ができたからな、その穴埋めだ』
「それは聞いていますが……で、私は彼らをどこに迎えに行けばいいんでしょうか?」
カレンは緋色の目を不服そうに細めながら、ベットの脇に置いてあった片刃の剣を腰のベルトに差した。
湾曲した刀身はカットラスを彷彿とさせる造形だが、主な役割は“斬る”ことではなく“構成術を制御する”ことにある。
銘は「キルシェ」。桜色の刀身が特徴的な剣型の軍用AIUの一種である。
内蔵されている術式は「高熱装甲」の粒子循環運動の軌道制御を司るものであり、カレンにとっては元々普通のAIUでも扱える術式を少し補助するだけの道具、というイメージが強い。
しかし「高熱装甲」の制御には常に相応の集中力と思念波の精密なコントロールが強いられる為、長時間に亘って発動させ続けるのは流石に負担が大きくなってしまう。要は負担を軽減させる補助装備だと言えるだろう。
もちろん外見的に大変物騒な代物なのでカレンも普段は持ち歩いたりはしないのだが、シャドウ出現時には長時間に及ぶ戦闘行動を強いられる場合が多い為、今回のような軍事作戦時には必ず携えるようにしていた。
『実は既にそちらに待機させている』
姿見の前に立ち手櫛で髪を梳きながら身嗜みを整えていたタイミングで、龍二が突拍子もないことを宣告してきた。
「……え、はい?」
返答を待たずして切断された回線に驚きつつも、カレンは部屋の外に確かな人の気配を察知していた。
倦怠感にも似た感情に苛まれながら、回収したTIGを片手にドアノブを捻り恐る恐る外の様子を伺う――と。
「おはようございます、副隊長っ!」
待っていたのは、カレンと同じ軍服に身を包んだ若い男女であった。
「本日付で第三部隊に配属となりました。クロヴァレンス・アールヴヘイムです」
真っ先に口を開いたのは、金の短髪に瑠璃色の瞳を携えたおっとりとした面差しの少年であった。
紅顔の美少年然とした少年は深く頭を下げ、礼儀正しい礼を魅せる。続けて、隣に立つクリームがかった茶髪の少女も深く腰を折った。
「同じく、本日から第三部隊に配属となりました。桐月梓です」
青紫にも似た輝きが宿っている猫目気味の少女の瞳を見て、カレンの脳裏には幼馴染の姿が過ぎっていた。
ヴァイオレットの瞳はブルーの瞳などと比べても生物学的には稀な色味であり、こうした鮮やかな色彩は混血(ハーフ)でもない限り日本人にはまず見られない身体的特徴である。
整った顔立ちは西洋の血筋を臭わせたが、梓の虹彩の色は間違いなく色促反応からもたらされたものであろうと、カレンは少女の詞素の活性状態と己の経験則から判断を下していた。
そんなことを考えているうちにカレンの視線はある一点へと流されていた。
少女の整った顔立ちを良く見れば、左目の下に何やら見覚えのある泣き黒子が見受けられる。
「あっ、もしかしてあなたは二年前のコルメス奪回作戦の時に合った……」
「はい、その節は大変お世話になりました」
両足を揃えて敬礼した梓の瞳に、惚けたように霞が掛かり始める。
それを横目に、カレンの意識は二年前のコルメス奪回作戦の日まで遡っていた。
コルメスとは、オーストラリアの首都から程近い場所に構成学及び詞素学に関する企業団によって形成された、世界でも有数の生産都市“であった”。しかし二年前のシャドウ襲撃事件によって甚大な被害を被り、十万人近い死傷者を出している。
その後はシャドウ襲撃によって誘発された化学物質の流出などの様々な汚染問題によって住民にはコルメスからの避難を命じられ、今では街全体が廃墟と化しているらしい。
事件発生当時、各国の軍隊によって住民の救助作戦が展開されていた最中、既にAceの部隊員として現地に派遣されていたカレンはそこで梓という少女と出逢っていた。
梓は当時日本のBD部隊として現地に派遣されていたはずなのだが、目の前に立つ少女の服装は疑いようもなくAceの戦闘服そのものである。
「えっと、確か梓さんは日本のBD部隊の所属でしたよね?今日はどうしてAceに?」
詳しい事情を知らないカレンにとっては少々困惑を招く出来事ではあったが、続けて放たれた梓のセリフにすぐに得心を得ることとなった。
「以前は日本のBD部隊に所属していましたが、コルメス奪回作戦にて副隊長の人柄と実力に感銘を受け、願わくばその下で働きたいとこうしてAceへの転属を願い出た次第です」
敬礼と共に送られてくる視線と言葉に目眩を覚え、反射的にカレンは喉を詰まらせていた。
同じ部隊の仲間として行動していく以上互いの仲が良いに越したことはないのだろうが、梓の態度を見る限り些か感情が空回りしている感が否めない。
「そ、そっか…。これからは同じ部隊の一員として行動を共にするようになるから、改めて宜しくね?」
「はいっ。こちらこそ宜しくお願いします」
発せられた返答も歯切れの悪いものとなっていたが、梓は全く気がついていないらしく。カレンが笑顔の合間に垣間見せた表情筋の引き攣りさえも、彼女の瞳には極自然なものとして映っているらしい。
脇に立つクロ(クロヴァレンスは流石に長いので、心の中では短縮して呼ばせてもらうこととした)も、心無しか少し疲れたような笑みを浮かべていた。
「じゃあ、行きましょうか」
扉に鍵を掛け身体を反転させた拍子に、赤のポニーテールが緩やかな曲線を描いた。
緋色の双眸の奥には刃のような鋭い輝きが宿っている。
そこには先程まで見せていた混乱の色はなく、軍人として為すべきことを為すという使命感ともいうべき感情だけが映り込んでいた。
「了解です」
「了解しました」
凛とした眼差しに射竦められるように、引き締まった表情で頷いた二人の新兵は、悠然とした足取りで歩き始めたカレンの背を追った。




