Act.64 mist <1>
二千九十八年 三月三十日。
《マーナガルマ》への武器の積載が終わるまでの合間、襲たちは各々の時間を過ごしていた。
シェリルには駆動系の詞法陣の調整をしている夜宵の手伝いに回ってもらい、イアノートには黒い箱の中身の最終チェックを任せている。
襲は武器の積載作業に追われているミルハレーナの横で、フィルムディスプレイを展開させていた。
「ミルさん、フォノンライフルの銃身なんですが、こっちに変えてもらえませんか?」
「いいけど……。そっちだと少し取り回しが悪くなるわよ?再変換速度も落ちるし。後、ミルって呼ぶな」
対ハンニバル兵器として空中戦の主力となりつつあるANIMUSだが、人型という利点を活かして作戦に応じた様々な武装を積むのが定石である。
《マーナガルマ》の背面に懸架されようとしている「フォノンライフル」と呼ばれる兵器も、そうした外付けの武装の一つ。外見的には、サイズを小さくすれば人が扱うライフルの類に見えなくもないが、その内部構造に関しては全くの別物だと言えるだろう。
そもそもフォノンライフルとは、荷電粒子へと転化させた詞素をビーム状にして銃口から射出するAM専用の射撃兵装のことである。
仕組みとしては、Cボックスから抽出した詞素を射出に適した性質へと詞法陣を介して転化させ、更に「偏向場」と呼ばれる詞素の運動べクトルを任意の方向へと偏向(変更)する術式を併用することで、高エネルギー状態の詞素に指向性を持たせると同時に収束・加速させ、銃口から射出する。
大雑把なメカニズムとしては重金属を用いた荷電粒子砲に近しいものがあるのだが、武器としての性能から言わせてもらえば雲泥の差があると言わざるを得ないだろう。
詞素の運動を操縦者の思念波によってある程度制御できるという性質上、使い手の力量次第では大気中や水中でのビームの減衰が限りなく抑えられる上に、威力も射撃精度もフォノンライフルの方が数段上である。
こうしてAMの兵装に措いて花形となっているフォノンライフルだが、言うまでもなく構成術士以外にはその引き金を引くことすら叶わない。まぁ、AM自体が構成術士しか操れない以上、当然と言えば当然なのだが。
とまれ、雑談混じりに黙々と作業を続けること数時間。
武装の積載が粗方終わったところで、ミルハレーナが手を叩いて作業の終了を知らせた。
「積載作業は今日はこの辺にしましょ。大方終わったみたいだし」
彼女が作業の終了を切り出した頃には、既に時計の秒針が日付変更時刻を指し示そうとしていた。
第七学園の生徒を護送する《VSS-18便》は最終的な到着地点である東京国際空港、つまり羽田空港には明日の午前中には到着する予定らしいが、既に飛行自体は開始していることだろう。
今回の護衛対象である《VSS-18便》は各地の新入生を回収し護送するという役割上、飛行経路が複雑化している。
技術革新によって短時間での長距離飛行が可能になったとは言え、こうも長いフライトでは乗客への負担が大きいと言わざるを得ない。
様々な異臭漂うAMの格納庫から、一足先に屋外へと脱出した襲が、温く頬を撫ぜる夜風に感じ取ったのは、
「嫌な空気だな…」
確信にも似た、不吉な予感――。
作業から戻って来たシェリルとイアノートと共に最寄りの休憩所へと足を運びながら、襲は出立の時が近いことを直感的に悟っていた。
◇◆◇◆◇◆◇
二千九十八年 三月三十一日。
襲たちが作業を終えた翌日、紫菜月椿は朝早くからリニアモーターカーに揺られていた。とは言っても、吉今のリニアモーターカーは制振設計がしっかりとしている為、揺れを感じること自体が少ないのだが。
それはともかくとして、
「…惟月、元気にしてるかな」
仕事へと向かう人並みに紛れるように椿が乗り込んだリニアモーターカーが向かう先は、ウィスタリアから目と鼻の先に位置している羽田空港である。
こうして羽田空港へと向かっているのは、椿と同じく普通校から第七学園への入学を決めた惟月という友人を迎えに行く為であった。
(はぁ、梓にも早く会わせたかったのに)
友人を紹介したいから付いて来て欲しいとの旨を、梓にも口頭で伝えてはいたのだが、今日は大事な用事があると言って素気なく断られてしまっていた。
仕方なく後日紹介するという約束だけを取り付け、こうして一人羽田空港へと向かっているわけなのだが…。
彼女は先刻から、嫌というほど感じていることがあった。思わず、苛立ち交じりにため息を零す。
「それにしても、流石に、今日は人が多いよ……」
リニアモーターカーから降りた椿が真っ先に感じたのは、空港に訪れている人の多さであった。
右を見ても左を見ても、スーツを来たビジネスマン風の人、ひと、ヒト…。空港全体がお祭りのような騒ぎに包まれている。
確かにウィスタリアの存在もあって羽田空港の利用者数が年々増加傾向にあるらしく、それに比例して空港施設自体も巨大化、改築作業が度々行われている。今では滑走路の数も六本まで増え、付随する施設の多くも最早一つのテーマパークのような様体を晒している始末だ。
当然年間発着数や発着地の数も増加しているわけであって、先週ウィスタリアに越してくる際に空港という施設を初めて利用した椿は、その大きさに少々驚かされた覚えがある。
それにしても、少し騒がしいような…?
構成学及び詩素学推進都市において、これらの学問に関する人材は常に不足している為、非常に貴重な存在だ。言い換えるならば、彼らは街にとって「宝」のようなものなのだろう。
詞素大学の卒業式直前の方が企業間の勧誘競争が激化するものであるが、構成術士の金の卵を見出すという意味においては第七学園の入学式は非常に大きな意味合いを有していることは確かだ。
数回に分けて行われる新入生の護送時にも、様々な企業団によって歓迎の名を騙った品定めが行なわれている。
早い話、なるべく早い時期からお目当ての物件(生徒)に唾を付けておきたいという思惑が介在しているのだろう。あまり綺麗な表現ではないが、“穢い”という点においてはある意味妥当な表現かもしれない。
とまれ、これらの事情によって本人たちが望むとも望まざるとも、新入生の護送時には空港全体が騒がしくなる傾向にある。
しかし椿が感じたのはそんな表面的なものではなく、人々の視線や仕草に垣間見える緊張感のようなものであった。
否、緊張感ではない。
むしろこれは、警戒心とも言うべき――…、
「ん、あれって……」
リニアモーターカーの発着地である空港内部の屋内駅から到着ロビーまで延びるショッピングエリアの雑踏に、見覚えのある金属製のタグを左胸に付けた人物を見掛け、椿は思わず足を止めていた。
「オーバー……ダイブ?」
人間の頭部を模したシルエットを包むように広がる三輪のリングは、確か「オーバーダイブ」という企業の象徴だと椿は思い至る。
オーバーダイブといえば、VR(バーチャルリアリティ)マシンの開発及びその販売を手掛ける国内最大手の企業だ。
VRマシン自体は昨今においては大して珍しいものでもなく、信号素子で発生させた特殊な電界で目や耳などの感覚器官を介さずに直接脳内に仮想の五感情報を電気信号として送り込むことで、仮想空間を生成。装着者に体験させる装置である。
開発当初は価格が非常に高価であったことと、仮想空間を生成するという装置の性質から、医療分野や科学分野、産業分野に多く利用されていたVRマシンだが、時代の流れと共に今ではむしろゲームなどの娯楽分野に開発の重きを置かれている節がある。
数十年前までは据え置き型の装置が主流であったが、技術の向上による各装置の小型化によって今では気軽に持ち運べる程度の大きさまで縮小を見せており、同時に価格の大幅な低下によって民生用のVRマシンも多く開発・販売されるようになった。
今世界で主流になっているVRマシンの大半はヘッドギアタイプのもので、このヘッドギアタイプのVRマシンの分野においてオーバーダイブは世界第一位の売上高を誇っており、今、最も世間の注目と人気を博している企業の一つでもある。
でも、どうしてウィスタリアに――?
彼女が足を止めたのは単に有名企業の紋様を見、感慨に浸ってのことではなく、構成学及び詞素学関係の企業が立ち並ぶウィスタリアに、一見無関係とも思える一般企業の関係者が訪れているのは何故だろう、という疑問に思惟を揺さぶられてのことであった。
もちろんウィスタリアを形成する各企業が関与している分野は非常に多岐に亘るが、オーバーダイブのような精密機器を扱うような企業には構成術の応用性はあまりなく、唯一詞素材料工学の分野においてのみ需要を持つに留まる。
確かに詞素材料工学に関連する企業もウィスタリアにはいくつか存在するが、詞素材料工学の分野における本場は第五学園のある愛知県であり、同じく愛知県に本社を構えるオーバーダイブにはわざわざウィスタリアまで来るようなメリットなどないように思える。
「あれ?」
椿が呆然と疑問に思惟を走らせている間に、黒のスーツに身を包んだ三十路前後の男は椿の前から姿をくらましていた。
椿の死角にて、銀のアタッシュケースを提げた男の背中がショッピングエリアの一角に設けられたトイレへと消える。
「うーん、まぁ気にしても仕方ないか」
心の片隅で妙な引っ掛かりを覚えた椿だったが、それっきり、その出来事を記憶の隅へと追いやってしまった。
◇◆◇◆◇◆◇
到着ロビーに据えられた座席に腰を落としていた椿は、左手首に巻いた腕時計の針を見遣り、飛行機の到着までまだ間があるなと肺に溜まった空気を気怠げに吐き出した。
暇潰しできるようなものを持ってくればよかったと胸中で愚痴を零してみたが、そんな戯れで時が大して過ぎるわけでもなく。
進まない時計の針に痺れを切らした椿が、ショッピングエリアでもうろついて時間を潰そうと座席から腰を上げた―――その時だった。
「……ん?おい、何だあれ?」
立ち上がった椿が耳にしたのは、いつの間にやら到着ロビーの一角でできていた人垣の向こうから聞こえた、とある男性旅行客の呟きであった。
「ごふぅ、ごほ、ごぼっ!」
視線を流して見れば、壁のように並ぶ野次馬の先に、一人の男性が膝を床に突いたまま胸を抑えて悶え苦しんでいる姿が目に留まる。
しかし、誰も駆け寄ろうとはしていない。
ただ遠巻きに、不安そうな視線を男性へと向けている。
「すみません!通して下さいっ」
手を差し伸べようともしない周囲の冷たい態度に、椿は言い様もない苛立ちを覚え、人並みを掻き分けるように騒動の中心へと身体を滑らせた。
最前列へと躍り出た椿が、膝を床に突いたまま動けずにいる男性へと声を掛けようとして――、
「な……なに?」
刹那、椿は騒動の『正体」をようやく視界に収めることとなる。
「黒い……煙?いや、違う。これってッ――」
不鮮明で不確かな『何か』が、男の身体の周囲を取り巻くように蠢いていた。
まるで、生き物のような――黒い『霧』が。
男の周囲を取り巻くように這いずっていた『霧』は、突如として、男の口内へと濁流の如く流れ込み、強引に体内へと入ってゆく。
「う、うぐぁぁあッ…!?い、息が…で、でき…な…い」
苦しげな呟きを最後にガクンと男の顎が外れ、ブチブチと筋張ったものが千切れるような生々しい音を立てて頬の肉が裂け始めた。それに伴って鏡のような床に真っ赤な鮮血が飛び散り、周囲からは劈くような悲鳴が上がる。
「き、霧だ!霧が出たぞ!」
逃げ惑う人々の叫びが、耳朶と心を震わせる。
男の裂けた口元からは赤黒い血と胃液らしき液体がごぽごぽと溢れ出し、饐えた臭いを以て空気を侵食してゆく。
この瞬間、椿が感じたのは冷たい刃で背筋を撫でられたような、耐え難い不快感であった。
末梢神経から脊髄に至るまでの全神経を逆撫で、削ぎ落すかのような本能的な不快感。
それは言葉などといった曖昧なもので形容できるほど鮮明なものではなく、視覚情報と同様、狂気を『霧』と混ぜ込み無形の脅威を大気へと含ませているかのよう。
男を中心として発せられる障気を見たその瞬間から、文字通り、『霧』は椿の精神を障ってきているようにも思えた。
「まさか……シャドウッ!?」
床に倒れ込んだ男の身体が渚へと打ち上げられた魚のように跳ね上がり、全身が細かな痙攣を始める。
白く濁り始めた双眸からは血の涙が流れ、腹部は肋骨の構造からは考えられないほど膨らみ始めていた。
「でも、何で……」
常軌を逸した光景に足が竦み、本能がこの場から立ち去るように訴えていても両の足が思うように動いてくれない。
その合間にも、男の身体は更に異形のものへと変異してゆく。
『あぁァァアぁ…?』
男が奇妙な声を上げた瞬間、鈍い音を立ててその首が百八十度回転した。背部へと回った頭部を小刻みに動かし、死んだ魚のような不透明な視線を周囲へと走らせる。
同時に湿った音を立てて腹部が破裂し、血飛沫と共に腹部から大小不揃いの腕が左右に二本ずつ生え始めた。
六本の腕と二本の足とで床を這いずる様は、まるで多足類のよう。
忌々しいと言わざるを得ない『それ』は既に、おおよそヒトと呼べるような存在ではない。
「い、いやぁああッ!誰か助けてっ!」
混乱した思考の中で、逃げるよりも先に椿は『それ』について思い出そうと必死になっていた。
異形の怪物が逃げ回る一人の女性の上に跨り、奇形の頭を振り回すようにして上着ごと腹の肉を食い千切っている光景を目の前にしても、椿の身体は動こうとしない。
もしかしたら脳が正常な働きを放棄していたのかもしれないと、椿は纏まらない思考の中で判断を下していた。
「なんなんだ、こっちにも居やがる!」
男以外にも『霧』に当てられた者が居たらしく、それら異形が身を這わせる度、空港内で血の臭いと恐怖とが爆発的に蔓延してゆく。
その中の一匹が、立ち止まったまま動かない椿へと近づいてきた。
全身が滑らかな生皮で覆われた人型の怪物は、痙攣するようにブルブルと全身を震わせながらも、椿の目の前まで幼児の歩行動作を彷彿とさせるちぐはぐとした動作で歩み寄ってくる。
『おギゃあぁァア、オぐゥおグュギャ、おギャオぎゃっ』
まるで赤子の泣き声のような甲高い声を上げる怪物の頭部には、目や鼻や耳といった人間らしさを感じさせる要素の一切が欠落しており、唯一平らな頭部にある粘土細工にヘラで刺し入れた切り込みのような口からは、爬虫類然とした細長い舌が垂れている。
左右に舌をちろちろと左右に揺らしながら歩いてきた『それ』は、椿の眼前にて立ち止まると、丸太のように肥大化した両腕を天へと振りかぶった。
「ハン、ニバル……」
眼前へと振り落とされる脅威を、頭では認識できていたというのに。
椿に唯一できた抵抗と言えば、『それ』の忌名を呟く……ただそれだけであった。




