Act.57 ハーモナイザー <1>
イアノートに屋内へと案内されたシェリルが抱いた感想と言えば、人が暮らすにはあまりにも生活感のない居住空間だ――という若干の疑問を孕んだものであった。
大きなダイニングテーブルを中心として構築されたリビングには椅子やソファーこそ配置されているものの、人が生活してゆく中で生じてくる乱雑さが感じられない。
恐らくAGAが置かれている住宅ならではの秩序さなのだろうが、それにしても、漂う空気そのものが無機質で金属的な冷たさを肌身に感じさせるのはどういった理屈なのだろう?
「今日一日お疲れかと思いますので、取り敢えず二階にある浴室を使ってください」
そんな疑問を抱いているうちに襲から言葉を掛けられ、案内を申し出てくれたイアノートに連れられたシェリルは足早に浴室へと足を運んでいた。
身体を清め終わった後はイアノートが用意していた寝間着――何故か得意げな顔でイアノートが白いパジャマを片手に待機していた――に着替え、シェリルが一階に戻った時には既にリビングで襲が妙な格好で待っていた。
「その格好は……」
「ん…あぁ、コレですか?」
関節部分を除く随所にプロテクターを付けたライダースーツのような、だが昔特撮モノで流行ったものとは少し趣が異なる黒尽くめの格好。
そんな格好のままソファーに腰掛けコーヒーカップを傾けている姿が妙に様になっているのが印象的だったが、もう片方の手には何やらリモコンのような装置が握られている。
しかし目の前にあるテレビが点いていないことからもただのリモコンではないようで、無表情のまま指先を忙しなく動かしている襲に向けシェリルは反射的に質問を飛ばしていた。
「何をしていらっしゃるのですか?」
「いえ。大したことではないのですが、実は装着型のAIUの開発をしておりまして」
苦笑気味に襲が答えてきた内容はシェリルにとっては少し意外なものであった。
「装着型のAIU…ですか?」
「ええ、楠那さんにスーツタイプのAIUの開発を依頼されていましてね」
ダイニングテーブルを挟んで襲の対面に据えられているソファーの近くまで歩いてきたシェリルだったが、立ったままなかなか座ろうとしない。見兼ねた襲が着席を勧めたところでようやくソファーへと腰を落ち着けたものの、襲が手にしている装置と身に付けているスーツが気になるのかやはり妙に落ち着きがなく。
そんな少女が繰り出したのは、大体予想できていた内容であった。
「スーツタイプ?そんなものがあるんですか?」
一時期銃型のAIUの調整にハマっていたシェリルは、その実、詞法陣やAIUの開発に強い関心を持っていた。AIUの開発に携わっている楠那の庇護を受けていたことにも、もしかしたらその要因の一端があるのかもしれない。
しかし襲にはそんな事情など察している暇はなく、興味深々といった視線を送ってくる少女を見て最初はどう受け流そうかと対応に困っていたところだったのだが。
「宜しければご試着なさいますか?」
今では逆に、良い被検体が手に入ったと、人の悪い笑みを浮かべていた。
◇◆◇◆◇◆◇
襲に誘われたシェリルが通されたのは、厳重なセイフティが何重にも掛けられた地下室だった。
階段を降りたシェリルを真っ先に出迎えたのは、見たこともない機器の山、山、山…。その全てが既に稼動状態なのか、薄暗い室内で唸るような稼働音を発し続けている。
空調が効いている室内は少し肌寒く感じていたものの、ある装置を見た瞬間、シェリルはそんなことが気にならなくなるほど驚愕することとなったのだが。
「これは……専用のスキャナーですか?」
「はい、楠那さんからの頂き物ですけどね」
スキャナーとは構成術士の生体データをスキャンする為の装置全般の呼び名であり、敢えて専用のスキャナーだと言わずともAIUを調整する際に使用者の生体データを用いる以上、大抵の構成術士ならばその流線型の独特なフォルムからわかるものである。
一見病院の検査室に置かれているCTスキャンを彷彿とさせる外装ではあるが、実際に寝台でスキャニングを行う際には自動的にカプセルの扉が閉まる仕様となっており、その外見から多くの構成術士の間ではカプセルあるいはスキャナーと呼称されるのが一般的だ。
もちろん個人で所有している人間が全くいないというわけではないのだが、安くはないお値段上一家に一台というお手軽さはなく、大抵の場合はAIUの調整の際行きつけの技師の下でお世話になる程度の面識(?)であろう。
「まずザッとデータを取りたいので横になってもらえますか?あっ、そのままの格好で結構ですよ」
スキャナーの脇に設けられたコンテナに手を翳しながら、さっそく襲は装置の起動準備に取り掛かった。
「はい、了解しました」
一方で服を脱ぐべきか迷っていたシェリルだったが、含みのない襲の一言に顔を赤らめながらも頷く。
そそくさと彼女が寝台に横になったところで、カプセルの蓋が閉まりスキャニングが始まった。直後、黒い箱を抱えたイアノートが一階から降りてくるや、襲へと声を掛けた。
「襲さま。ご要望のお品を用意致しました」
「ああ、夜分遅くに悪いな」
「いえ、これがお仕事なのでお気になさらずとも…。では、私の方でこちらの準備を済ませておきましょうか?」
黒い箱を持ち上げて見せたイアノートへとコンテナの制御画面から視線を移し、襲は一瞬躊躇いを見せた。しかし大して思案する素振りもなく、すぐに頷く。
「じゃあ頼んだ」
「では、あちらで」
イアノートが視線で示したのは地下室の一角に用意されているドレッシングルームであった。
◇◆◇◆◇◆◇
「あの、これは……なんでしょうか?」
「はい、マッスルスーツの類ですね。良くお似合いです」
「あっ、マッスルスーツと呼ぶのは女性には些か配慮が足りませんでしたね。失礼しました、パワードスーツの類です」などと笑う襲を余所に、ドレッシングルームでイアノートによる半ば強制的な着替えを終えたシェリルは困惑を露わにしていた。
「あの…流石にこれは恥ずかしいのですが」
そんな彼女が今着ているのは、全身を薄い人工筋肉で覆った黒のバトルスーツである。
もちろん軍の重装歩兵のような前線部隊に多く支給されている戦闘服の一種には違いないのだろうが、普通それらの装備は防御服という性質上なかなか見た目がゴツくなるもので、大抵は西洋の鎧のような外見をしていることが多い。
しかし今彼女が身に付けている装備は薄さが普通のパイロットスーツと比較してもやや薄く、男性が着るならともかく、女性が身に付けるには些か扇情的過ぎる品物であった。
結論から言えばシェリルの決して貧相ではない(この表現を以前カレンに対して使用したところ、半殺しにされた)スタイルが強調されてしまうわけであって、その艶美な曲線美に卒倒――するわけでも紅顔するわけでもなく、無表情のまま襲は満足そうに頷いている。
「サイズは問題なさそうですが……動いてみてどうでしょう?違和感などはありますか?」
「えっ、あっ、少々お待ち下さい」
襲の言葉に促され、シェリルは「システマ」と呼ばれるロシア式の近接格闘術の型をいくつかその場で披露して観せた。
全くブレのない所作は強い体幹と膨大な訓練から成されるものであり、驚くべきことに彼女の技はこの歳にしてほぼ完成の域に達している。
美しい軍人の舞に見蕩れるその一方で、襲の脳内では幼い少女に課せられた軍事訓練の様相が思い起こされていた。




