Act.58 ハーモナイザー <2>
血で血を洗うような非道な軍事訓練に死す者は、決して少なくはなかったはずである。
極寒の環境で、必要最低限の装備。数日にも及ぶ日々の軍事訓練は襲が「記憶を読んだ」限り、過酷を極めていた。
そもそも彼女が施されたものは訓練などと言った温いものではなく、開発そのもの。人体の限界を度外視した忌むべき行為だ。
襲の意識が過去の光景から戻ってきた頃には、既にシェリルの舞は終わっていたらしい。
少しばかり残念な気分に浸っていた襲を余所に、汗一つかかず、されど少し高揚した様子で彼女は語り出した。
「違和感は全くと言ってないですね、むしろ全身が軽くなったように感じます」
「まぁベースは身体障害者用に開発されたものですし、一昔前に比べれば人工筋肉技術も大分発達しましたからね」
「ついでに、私の全身に使われている素材も実は大半がこのスーツと同質の人工筋肉です」
手元のリモコンのような計測器へと視線を走らせている襲に代わり、話を繋げてきたのはイアノートである。
イアノートの所作の一つひとつに一切の機械らしさが感じられないのも、今思えば不可思議ではあった。
確かに近年では表情を変えることができるAGAこそ市場に出回っているようだが、イアノートの表情はどう見ても人間と同じようにシェリルには見受けられる。
「そうなんですか?」
「はい、元々私も他のAGAと同じ仕様だったんですが…」
意味深に言葉を切ったイアノートは、襲へと視線を流して。
「今ではすっかり、襲さま好みの身体に開発されてしまって…」
再び、わざとらしく頬を赤らめて見せた。
「弄ったのは楠那さんだし、その言語表現には妙な他意を感じるぞ。後、そうやって恥ずかしがるフリは止めろ。胃が痛くなる」
最早恒例と言うべき頻度で繰り出してくる言動に、襲は低い声音で呪詛を吐く。
だが向けられた不穏な気配にも、イアノートは平然とした態度で対応していた。
「胃薬でしたら一階の物置にありますが……持ってきましょうか?」
「クスリならお前の“本体”に飲ませた方がいいな。強制的に人格プログラムを書き換えるヤツ」
「そんなっ、人格まで襲さま好みにっ…!?」
自身の身体を自らの両の手で抱き恥じらうという演技をしているイアノートに対し、コイツマジデメンドクセーという表情を浮かべている――というか、既に声に出してしまっている襲。
そんな光景を余所に、シェリルは会話の中で放たれた一言が気にかかっていた。
「あの、本体ってどういう…?」
完全に呆けているように見えた襲だったが、シェリルの詰問になんとか意識を取り戻したらしい。瞬時に真剣な表情を作り、シェリルがそのことに驚く間もなく回答へと移っていた。
「そういえばまだ話していませんでしたが、イアノートは元々、搭乗型AIUのOS(Operating System)として俺が開発したAIなんですよ」
「今でこそ、こんなんですが」と、襲は刺すような視線をイアノートへと流す。
しかし咎めるような言葉を向けられた機巧少女はフイッと素早く視線を逸らし、わざとらしく陽気な鼻歌など吹かしたりしていた。
「ああして動き回ってるのは本当は家事を手伝ってもらってる時だけで、いつもはスリープ状態のはずなんですが……」
家に上がった直後に襲が言ったスリープモードとは、要するにAGAの機能停止を意味していたらしい。
シェリルは抱いていた疑問が一つ解消された代わりに、新たな疑問が彼女の胸中に浮上していた。
「では、襲さんの仰っていた本体とは?」
新たな疑問にはすぐに回答がもたらされた。
「俺の仕事場にあるコンピューターですよ。ここの隣の部屋にあるんですが、まぁ見た目は普通より少し大きいコンピューターってところですかね。
正直、ここで鼻歌を吹かしているAGA以上にお見せしても面白いものではありませんよ」
最後の言葉はこちらに釘を刺すものだったのだろう。シェリルはそう判断して、これ以上の詮索はお互いにしない方が良いと思い至った。
シェリルの沈黙を見てデータの解析作業を再開した襲だったが、突然、それまで使用していたリモコンを作業台の上に手放した。続けて、何気ない動作ですっ――と、宙へと腕を伸ばす。
そのまま、襲は手首を返すように人差し指を下へと切った。
「システムコマンド」
躊躇いなく放たれた言葉が地下室に反響し、場に居合わせた者の耳朶を震わせる。
「………。」
――だが、何も起きない。
一瞬見間違えかと思ったが、苦い顔をしている襲を見て、何やら本当に予想外な事態に陥っているらしいとシェリルは悟った。
苛立ちを込めた視線を何故かイアノート――もちろん本体ではなく稼働しているAGAに流した後、襲は再び手首を返し、唱える。
「システムコマンドッ」
語尾がやや荒いものへと変化していたのは、きっと聞き間違いではないのだろう。だが、今この場において明確に変化したのは聴覚的なものではなく、視覚的なものであった。
襲の目の前に突如として出現したのは、淡い輝きを放つ“画面”。それが立体映像だと気づく頃には、襲の指先が投影された画面へと滑らされている。
だが、異変はすぐに起きた。
「イア…」
「はい?」
留まることなく動いていた襲の指が止まったと同時に、怒気を帯びた声が皮肉げに、口角を吊り上げた口元から放たれる。
「何だ、これは」
そう言って指差したのは、地下空間一杯に表示された如何わしい画面の群れだった。
映し出されたホログラフィの大半は、何やら肌色の配色が多い。
一部には健全なもの――先程イアノートが言っていた『場を和ませるトーク術 痴話編』など――も含まれていたようだったが、襲の目には留まらなかったらしく。
「出会い系サイトですが」
何か?とでも言いたげなイアノートの反応に、襲の苛立ちは頂点へと達していた。
目の前にある画面を“掴み”遠くへと放り投げる。以上の動作を如何わしい画面がなくなるまで繰り返し続けること、暫し。
精神的な疲労こそ見せているものの、その頃には襲の精神も落ち着きを取り戻しているようであった。
「お疲れのようですが、大丈夫ですか?」
「誰の所為だと……まぁいい。それより今はスーツだ」
イアノートのツッコミ(?)にも堪えず、襲は再びホログラフへと手を伸ばす。
音声コマンドと動作コマンドを併用しながら展開作業を繰り返し、表示させたのは数字の羅列と何かの設計図のようなものであった。
それらに目を通してから、襲はイアノートへと目配せして。一礼して奥の部屋へと消えていったイアノートを不思議そうな眼差しで見送っていたシェリルに対し、凛然とした表情で口を開いた。
「スーツ自体のテストが終わった直後ですみませんが、AIUの稼働実験へと移行させてもらっても大丈夫でしょうか?」
「あっ……そうでしたね。問題ありません、大丈夫です」
元々スーツ型のAIUの稼働実験だったということをいつの間にか忘れかけていたシェリルだったが、慌てつつも何とか反応を返すことができた。緩んだ神経を締め直し、少女はコクリと頷く。
「では、実際に稼働実験へと移らせていただく前に、装置についてザックリとですがご説明させていただきます」
襲が身体を反転させるようにしてシェリルへと投げ渡してきた空間投影型のホログラフには、スーツの背中に薄い箱型の装置がドッキングさせられたような構図が映し出されている。
表示された言語は全てロシア語で表記されており、何か気を使わせてしまったようだと少し気に病んだのだが、今更「日本語でも大丈夫ですよ」などとはシェリルには流石に切り出せず、今は手元の資料に目を走らせておくことにした。




