Act.56 度し難いのは人の常 <3>
襲の家は楠那宅から第七学園を間に挟んで、リニアモーターカーで三駅ほど行った住宅街にある。
シェリルを暫くの間泊めることになった襲は、一通りの話が済んだ後そそくさと楠那宅を後にしていた。
さっさと帰りたいという帰巣本能――もとい、軽いホームシックに罹っていたことも襲の帰宅を急がせた理由の一つとして挙げられるが、帰宅の際に襲の心の中で最も大きなパーセンテージを占めていたのはカレンの存在であった。
凶暴かつ短絡的思考が十八番の幼馴染にシェリルを自宅に連れ込むことがバレたとなれば、面倒な事態は避けられなかったであろう。疚しいことは何一つとしてないので別に黙っている必要性もないのだが、お互いに仕事を目前に控えている以上、これ以上気苦労を重ねるのも好ましくあるまい。
だからこそ、標的を浴室まで追いやりその隙に話を片付けて逃走する。我ながら良くできた逃走プランであったと内心ほくそ笑みながら、目的の駅でリニアモーターカーを降り、自宅への道なりを夜風に当たりながら歩いていると。
ふと背後から視線を感じ、襲は足を止めた。
「どうかしましたか?シェリルさん」
「あっ、いえ……」
視線の主は、襲の斜め後ろを終始無言で付いて来ていたシェリルだった。
彼女は最初の一言こそ否定気味の言葉を発していたが、両手を前に回し腰の辺りで組んでから、恐る恐るといった様子で問い返してくる。
「あの、カレンさん…本当に置いてきてしまっても宜しかったのですか?」
「ああ、大丈夫ですよ。アイツがこっちに来ているのは軍の仕事絡みでしょうし、いつも通り、近場のホテルか軍の宿舎に泊まる手筈になっているかと思います」
「そう、ですか」
ほっとしたような表情を浮かべ、腰の前で組んでいた手を解いた少女を横目に、襲の視線は目の前のコンビニに釘付けになっていた。
襲の視線を追って不思議そうな表情を浮かべていたシェリルに対して、襲は口元に薄い笑みを浮かべ、問い尋ねる。
「シェリルさんは“おでん”を知ってますか?」
「えっ……と、はい?」
「肌寒い夜には乙ですよ」などと笑いながらコンビニへと入ってゆく襲の後ろ姿を見送って、シェリルは目を白黒とさせていた。
◇◆◇◆◇◆◇
コンビニから道路を挟んだ向こう側に設けられていた公園に移動していた襲たちは、湯気の立つおでんのカップを片手にベンチへと腰掛けていた。
まぁ、公園と言えば聞こえは良いが、その実態は密集した居住空間――延焼運命共同体を仕切り、火災の拡大を防ぐ為に設けられた哀しきスペースである。とは言え、もちろん公園には違いないのだが。
だが、妙な親近感を覚えるのもまた事実であった。
何かあったときに真っ先に周囲から見捨てられるこの感じ……まるで、暗い中学生時代を送ったどこぞの何宮くんみたいだな。
確かあれは――そう、数日前に紛失したという女子の体操着が、男子更衣室で発見された時のことだ。その日たまたま欠席していた俺が翌日意気揚々と学校に来てみれば、残酷にも、その犯人に仕立て上げられているではないか。
……あれ、おかしいな。涙が出てきたぞ?涙は流石に冗談だが。
「あ、あつ……」
襲の胸中で行われた茶番は、この際脇に置いておくとして。
半世紀程の時間が経過した日本においても大して変化していないものの一つに、その食文化が挙げられる。
もちろん遺伝子組み換えによる新種の食材の開発は常に行われているが、幾千年の中で培ってきた好みだけはなかなか変容しないものらしく。AGAの実装でほぼ無人営業を可能としたコンビニエンスストアにおいても、依然として根強く愛され残っている物もある。
例えばおにぎりや弁当、そして季節物と思われがちな、シェリルが口にしようとしているおでんもその一つだ。
襲自身もおでんは嫌いではないのだが、日頃から大して好んで食べているわけではない。強いて言うならば、嗜む程度、だろうか?何を嗜んでいるのかは……彼自身でさえわからなかったが。それ以前に、食事は元々嗜むようなものではないというのも確かではある。
それはともかくとして、春先のまだ寒さの残るこの季節に温かいものを食べるというのはそう悪いものでもない。
慣れない手付きでおでんと格闘する少女を見遣りながら、襲も出汁の海に沈んだゆで卵を串で刺し貫き、パクリと啄んだ。
味の染み付いた白身と水気を欠いた黄身を咀嚼しながら出汁を啜っていると、横で大根を食んでいたシェリルが間の抜けたような表情で呟いた一言が耳に入る。
「お、おいしい……」
「悪くないでしょう?」
無意識での呟きだったのだろう。何気ない呟きを聴かれたシェリルは羞恥心に頬を僅かに紅く染め、こくりと小さく頷いた。
愛らしい少女の姿に、思わず襲の口元も綻ぶ。
それから暫くの間は互いに無言でおでんを食べ続けていたが、襲が最後の具を口に放り込もうとした、丁度その時。両手でカップを持ったまま、シェリルが急に口火を切った。
「あの……気を使わせてしまって、申し訳ありません」
シェリルのセリフが何を意味しているのか、襲はすぐに気がついていた。
そうと言うのも、シェリルは楠那宅での食事の際出されたカレーを目の前にして(正確には器によそう直前に)食欲が湧かないとの断りを入れた後、スープだけに口を付けていたという出来事が実は起きていた。
恐らくはこれから話をしなくてはならないという精神的な負担によって食欲が減衰していたのであろうが、楠那宅に入る直前には既に彼女は空腹だったはずである。腹の虫から察するに、だが。
一応一通りの話が終わり少しばかり緊張の糸が緩んだ所で、そろそろ空腹を感じ始めている時分ではないだろうかと襲が思った……わけではない、決して。いや本当に、嘘じゃないぞ?
そんな奇妙な葛藤を行っているうちに、少しばかりの間が生まれていたらしく。襲が発言が遅れているのは自分の説明足らずであったと誤解してしまった様子のシェリルは、少し慌てながら続けた。
「わ、私が夕食をあまり食べていなかったので…」
そう告白する少女の表情には、罪悪感と何か別の感情とが入り混じっているように感じられたが、それが一体どんなものであるのかまでは襲には良く解らなかった。
仕方なく罪悪感の解消と自身の主張を優先させる形で、この場での返答とさせていただくこととする。
「別に、自分が食べたかっただけですよ」
「そう……ですか」
カップを傾けながら彼が言い放った言葉は決して面白味のあるものではなかった――はずなのだが、それを受けたシェリルは何故か楽しそうに微笑んでいた。
思えば、彼女の笑顔を見たのはこれが初めてかもしれない。
月光に映えるシェリルの横顔を襲が不可思議な心持ちで眺めていると、不意に、彼女は視線を上へと流した。
誘われるように視線を上げるも、そこにはいつもと変わらない月夜が、温くそして少し肌寒く漂っているだけである。
「あたたかい……ですね」
月明かりに輝く銀髪を視界に収めながら、襲は無表情で答えていた。
「ロシアと比べれば、大抵の国は暖かいと思いますが」
極寒の地で生まれた者にとって、極東の寒さなど高が知れている…という意味合いで言った言葉だったのだが、どうしたことか、シェリルは何故か驚いたような顔でこちらを見返していた。
それから数秒の間を置いて、口元に手を当てたまま、彼女はくすりと陽気な笑みを浮かべる。
「そうですね。そうかも、しれませんね」
何が可笑しいのか全く理解できなかった襲は、顎先に指を添え暫く怪訝そうに眉を顰めていた。
しかし、突如はっとしたような表情を浮かべると、
「もしかして――」
襲は左手の人差し指を立てた。そのまま、得意顔で指摘する。
「おでんが……でしたか?」
瞬間、シェリルはこれ以上は堪えられないといった面持ちで破顔した。
◇◆◇◆◇◆◇
「ここが襲さんのご自宅…ですか?」
「ええ、そうですが」
シェリルの呟きを大して気に留める様子もなく、襲が踏み入って行ったのは、楠那宅と大して大きさの変わらない一軒家であった。
一般的な住宅と比較してもそこまで大きい家ではないとは言え、一学生が一人暮らしを始めるには些か贅沢過ぎる感が否めない。シェリルの問いはそういった意味合いで発せられたものであったが、ここに暮らす住人にとってはどうやら普通のことらしい。
家の前に着くや否や扉の脇にある画面付きのインターホンをタッチした襲は、慣れた手付きで暗証番号を入力した。続けて表示された掌のマークに自分の掌を重ね、生体データをスキャンする。
十秒と掛からずこれらの作業を終わらせると、襲は扉の取っ手を引いて中へと進んだ。
その後を追って家の中へとお邪魔したシェリルが、視線の先に捉えていたのは、
「お帰りなさいませ、襲さま」
玄関先で正座して待機していた、水色の髪の少女だった。
背中の中程まである水色の髪に、水色の瞳。だが奇妙なことに、その瞳孔の奥には僅かな電子の輝きをシェリルは感じ取っていた。
「おい、様付はいい加減止めろ。後、わざわざ玄関先まで迎えに来なくてもいいから」
困惑気味のシェリルに対して、襲の表情と声音には呆れのような感情が滲んでいる。
更に奇怪なことに、水色の髪の少女――と言うより、女性、と言うべきだろうか――は、抑揚のない喋り方のまま動揺を身体で表現していた。
具体的にはその場で立ち上がって、ずいっと襲の目の前まで一歩距離を詰めている。
「ですが、私の所有権は襲さまのもので…」
「いいから、そういう面倒臭いの。だったら契約書持って来い、今すぐ破棄してやるから」
そう言って差し出された掌を前に、水色の髪の女性は今度は一歩後ろへと後退した。
「わ、私は面倒臭い女ですかっ!それに捨てるなんて…殺生な言わないでことを言わないで下さいっ」
何やらドロドロしてきた会話の行く末にシェリルは息を呑みながら、これから自分はどうするべきなのかと自身の立ち位置を決めあぐねていた。
ただし、水色の髪の女性にはどこか演技臭い雰囲気が漂っていたのだが…。
「そういうリアクションがしゃらくせぇ…。じゃあ、代わりに住民票作ってきてやるから。楠那さんに頼んで」
(あ、自分で作るわけじゃないんですね)
そんな妙な所が気になったシェリルはともかくとして、二人の口論はまだ続くようであった。
「そ、それはまさか、私と籍を入れて下さるという…」
「うん違うね、そもそも俺はまだ十五だから無理だね。
てか、そんなのどうでもいいから早く持ち場に戻れっ!はい、スリープモードっ!」
苛立ちが頂点に達したゆえの行動だったのか、それとも何か二人の間で交わされた合図だったのか。
まるで犬に向かって「House!」とでも唱えるような手振りで、襲は水色の髪の女性に向かって大きく手を叩いていた。
だが、この場においては大して意味を成さなかったようで。
「す、スリープモード…ですか?
わ、私はもちろん構いませんが、流石にお客様がいるところで襲さまと床を共にするのは――」
何故か斜に視線を流し、頬を赤らめてしまっている始末である。
この場にいたのが仮にカレンだったら確実に伸されていただろうななどと空想しつつ、襲は額に手を当ててため息混じりに呟いた。
「お前、新しいお客様が来る度にこの件をやってるみたいだが、何か意味あるのか?バッテリーの無駄だろ…」
「はい、そのようですね」
さらりと同意した女性は急に無表情になって、コクンと静かに頷いた。
その動作は非常に滑らかであったが、どこか人形じみたものを見るものに与えている。
「接客用プログラムとして『場を和ませるトーク術 痴話編』というものをネットからダウンロードしてみたのですが、お客様を逆に萎縮させてしまったようですし」
「わかってたなら途中で止めてくれ……」
プログラムやダウンロードという言葉が飛び交い始めてから、ようやくシェリルは現状を飲み込み始めていた。
一応本人の口から確認するべきだろうと、会話が途切れた合間を狙ってシェリルは確認の言を発する。
「あの、違っていたら申し訳ないのですが、そちらの女性は…」
問い掛けに反応したのは襲ではなく、水色の髪の女性であった。
無機質な表情のままこちらへと身体を反転させ、澄んだ声で答えてくる。
「そう言えば、お互いにまだ自己紹介していませんでしたね」
続けたのは女性ではなく、今度は襲であった。
気持ち不機嫌そうに眉を顰めながら、ため息交じりに呟きを零す。
「家で家事全般をやってもらってるイアノートです。見ての通り、AGA……ロボットですよ」
襲の言葉と同時に腰を折り頭を下げた人物を見遣りながら、シェリルは困惑していた。
「本当にロボット……ですか?」
「ええ、ロボットですよ?」
そう言って微笑んだイアノートの表情は、完全に人の“それ”と同じようにシェリルは思えた。




