Act.53 顛末と <4>
シェリルの言葉に真っ先に反応したのは、お茶の注がれたコップを傾けようとしていた槙人だった。
「『ジャスティティアの偶像』…ですか。
確かミーム細胞が形成・活性化される要因の一つとして挙げられている、三次元空間における物体構造と詞素の関係性に関する話でしたよね?」
ようやく話が見えてきたと内心ほくそ笑みながら、襲は槙人の問い掛けに答えた。
「正確には、この物理世界において質量とエクステンションを持つ(空間を占有する)物理的存在……。
つまり、ある物体を『ヒト』の形へと変化させた場合、その物体の詞素伝導率が統計学的に上昇する現象のことを『ジャスティティアの偶像』と言います」
詞素伝導率とはつまるところ、ある物体中における詞素の伝達速度、即ち流れやすさのことである。
物質中に吸蔵された詞素は残留思念(詞素に残留した術者の思念波)が弱まっている為、分子に対する結合が強まり総じて詞素も流れ難くなっているが、残留思念が残った詞素ならば話は変わってくる。
でなければ詞素の吸蔵特性を利用した構成術(気流操作など)は開発されなかったであろうし、ましてや大気中に詞素を放出した瞬間に大気分子に吸蔵されてしまっては構成術の大半が発動不可能となっているはずである。
それはともかく、今回の事件の鍵となる『ジャスティティアの偶像』とは、極端な話、ただの「泥団子」より「泥人形」の方が詞素がより活性化する…という、構成学及び詞素学において最も有名な現象の一つである。
――ヒトという立体構造がもたらす詩素への影響。
それこそが、『ジャスティティアの偶像』と呼ばれる現象の正体だ。
「そう言えば、現在主流となっている搭乗型のAIU、ANIMUSもこの原理に基づいて作られていますね」
槙人が口走ったANIMUSとは、搭乗型の人の形を成した巨大なAIUのことである。
複数のAIUと詩法陣を電装部品で並列処理することで稼働し、動く巨人。
二十メートル前後の巨体は、言うなれば、半世紀程前に流行った「人型起動兵器」の類と酷く類似していると言えるだろう。
唯一違うとすれば、構成術によって稼働する――という点ぐらいだろうか?
構成術によって稼働する以上、当然パイロットは構成術士に限定される。
その主な用途としては、人体を蝕み侵すシャドウと直に接触しないようにする為。あるいは、ハンニバルとの空中戦に備えたものであると言える。
そもそも国立詞素大学付属校における詞律操縦学科とは、これら搭乗型ATUの扱いを専門的に学ぶ学科のことであり、AMと呼ばれる兵器を扱う術を学ぶ場に他ならない。
襲は自身の胸中にて再確認しながら、槙人の言葉に捕捉を加えた。
「それらが物理的に非効率的とも言える人型をしているのも、『ヒト』の形を模しているからだと言えます。
文献についてですが、全ての生命体の中で『ヒト』だけがミーム細胞の異常発達が見られる点に着目した学者達が、様々な観点に基づいて検証結果をまとめたものだ…という噂なら、俺も耳に挟んだことがあります」
襲の補足説明に対して、キッチンカウンターに寄り掛かったまま話を聞いていた楠那が神妙そうな顔で頷いた。
「私も詞法陣の展開式の一部に『ジャスティティア偶像』の原理を利用しているが、あまり重要視したことはないかもしれないな」
「それは仕方ないかと思います。詞法陣に組み込まれるのは構成術士本人の生体データですし、元々『ヒト』の形をしているのですから意識する必要性は皆無でしょう」
楠那は襲の説明に重々しく頷いてから槙人へと視線を流し、視線で何やらコンタクトを取っていた。
言うまでもなく『ジャスティティアの偶像』に関する情報の収拾を依頼したのだろうが、今回に限ってはあまり意味がない行為かもしれないと襲は他人行儀な思考を走らせていた。
『ジャスティティアの偶像』に関する文献には襲自身も何度か目を通しているが、その実、実際の実験データをまとめた文献は皆無である。
これは仕方がない話だ。
現代社会のおいてデータは大きな価値を持つ。それが詞素に関係した物体の加工技術ともなれば尚更のこと。データは各グループの中で保守され、機密に指定される。
「鳴神家」の人間ならば世間一般で知られているような情報に少し毛が生えた程度の情報なら手に入るかもしれないが、彼らは元々生粋の傭兵組織だ。
戦闘に関する依頼を請負い達成する、そういう目的で組織されている。逆説的に推測すれば、情報収集を生業とした名家と比べれば幾分、情報収拾能力が劣っていると考えた方が無難だろう。
恐らく楠那はその事実を客観的に理解しているからこそ、この場で声に出すような真似はしなかったのだ。
あるいは、槙人という人物の情報収拾能力を買っている、という可能性もあるが。
それはともかくとして、話題がまたずれてしまった。
最後に確認しておくべきことが残っている。襲は自身にそう言い聞かせ、シェリルへと向き直ってから再度詰問を行った。
「確認しておきたいことが二つあります。
一つは七学に侵入してきた際に同行していた機械兵について。貴方はどういった経緯でアンドロイドと一緒にいたのですか?」
疑い、探るような輝きを紫苑の瞳に込めて。襲は問うた。
向けられた疑惑の視線に対してシェリルは臆することもなく、凛然とした口調で答えてくる。
「脅迫文に綴られていた内容の中に、日本に到着次第、監視役兼協力者としてこちらから使いを付けると記されていました。無事に目標を奪取できれば、生き残った人質を解放する…とも。
時間と場所が指定されていましたので現場に向かいましたところ、三体のアンドロイドが黒い乗用車に乗ったまま待機していました」
その後の話を掻い摘んでみると、用意されていた車で空家へと向かいその場での待機を命じられたシェリルは、作戦実行時間になるまで空家で軟禁――監視付きだから最早監禁に近い――されていたらしい。
隠れ蓑にしていた空家についてだが、建物の中に入るまで目隠しをされていた上に、位置情報を得る手掛かりになる窓などは全てトタンや木材等で塞がれていたという。
上の空で話を聞きながら情報を整理していると、不意に上着の袖が僅かに引かれた。
視線を下げると、案の定シェリルの瑠璃色の瞳がこちらを見上げてきている。
「あの…それで、最後の質問とは…?」
上目遣いで見上げてくる少女に対して感情の欠落したような表情で頷いた襲は、至って平坦な口調で最後の質問を行った。
「七学に突入を決行した時刻と突入時の詳しい状況について、わかる範囲で宜しいので詳しく教えていただけますか?」
何気ない態度で質問したが、襲にとって最も重要な疑問こそ侵入者が七学に突入した「タイミング」であった。
襲撃を実行に移した時刻と、フリークス粒子の濃度上昇による通信障害が発生した時刻の一致。これが偶然か否かによって、この後襲が取るべき行動が大きく変化してくる。
もちろん『視て』いる限りシェリルが嘘を吐いているとは思えないが、万が一という可能性もある。
襲が先の質問で敢えて「突入したタイミング」と直接的な表現をしなかったのも、襲が何を危惧しているのか相手に…シェリルに悟られないようにする為の保険を掛けてのことであった。
「了解しました」
淀みなく頷いたシェリルの反応を見た瞬間。
襲は、己が彼女に対して抱いていた疑いがただの杞憂でしかなかったことを察し、若干の自己嫌悪に陥った。
結局、自分は疑うことでしか他者を認識できない質らしい。誰でさえ――そう、親しい身内でさえ常に疑いを抱き続けている。
良心よりも、同情心よりも、強く抱くのは懐疑心。
目の前で人が倒れていたとしても、それを演技だとまず疑ってしまうような。
親しき者が死んでしまったと泣き叫ぶその涙を、本当は大して悲しくもないのに、遺産相続の手前泣いて見せているだけの穢れの縮液なのではないのかと、まず疑ってしまうような。
――冷徹で、非道で、機械的な思考。
まったく最低な人間だと、無言の内に自嘲と共に嘯いて。襲はシェリルの話へと意識を戻した。
「学園に突入したのは、今朝方アンドロイドが用意していた……内装から見て、自動販売機の補給トラックかと。
詳しいことはわかりませんでしたが、自動車電装の一部に詞素の『ノイズ』が感知できましたので、予め突入のタイミングを構成術で走行プログラム内に書き込んでいたか、あるいは構成術によって車体の動向全てが遠隔操作されていた可能性が高いかと思われます」
シェリルの言葉を理解した襲が抱き始めた感情は、喜びでも憤りでもなかった。
抱いたのは、畏れにも似た焦燥。
それは襲に戦慄めいたものを感じさせ、すぐに行動しなければ手遅れになると予感させるに足る情報であった。
「となると、電磁波あるいは電子に直接干渉できる構成術士が事件の背後にいるかもしれませんね…。
足が付くような真似をしているとは思えませんし可能性は低いかと思われますが、一応ウィスタリア全域の該当者を洗い出しておきましょうか?」
「そうだな、一応頼めるか」
浅野と楠那の間で交わされた会話を聞き流しながら、襲は槙人が語る該当者について考えていた。
構成術の基本は「情報体」への干渉であり、逆説的に言えば、構成術は物理世界(膜宇宙)においてエクステンション(空間)を持つもの全てに干渉できることになる。
それは、電子の動向すら例外ではない。俗に「電子操作」と呼称される構成術は、電子の微小さゆえに難度の高い構成術の一つだ。
目に見えないものを認識するのは難しいのは当然のことながら、電子は常に原子の周囲などを高速に運動し続けている。これを完全に制御し、操るのは“先天的な素質”を持った者でも簡単なことではない。
(だが、電波などの電気信号に干渉したり電流を操作するだけとなれば、案外簡単な方法でも実行可能だったな……)
詞素を転化させて、詞素間の性質の違いを――正確には電磁波の反射率・吸収率の差を生み出し利用することで、電磁波を偏向したり電子の動向を強制的に誘導することは「電子操作」に比べれば数段安易である。
更に言えば、基本的には詞素の制御に専念していれば良いだけなので、長時間に亘る運用も不可能ではない。
侵入者が七学へ突入したタイミングが意図的なものであったならば、それは自動的に、暗躍している連中に限りなく精度の高いフリークス粒子の、延いてはシャドウの観測技術があるということになる。
だとすれば、カレンが危惧していたように、犯罪者連中に渡ればテロ行為の助長になること請け合いだろう。
だが、襲が抱いていた不安は“そんな小規模なものに限定されていたわけではなかった”。
(Было очень вкусно…か)
これから己が取るべき行動を思案していると、ふと、視線を感じた襲は顔を上げた。
「どうかしたか?襲」
絡み合った視線は楠那のものだった。
探るようでいて、こちらを気遣うような奇妙な視線。
常人の神経ならば心配してくれていると判断するであろう視線に晒されて、心持ち気不味くなった襲は、思わず身動ぎしたくなる衝動をその身に覚えた。
内なる衝動を堪えつつ、襲は頭を振る。
「いえ、何でもありません」
恐らく自分は柄にもなく思い詰めているような表情をしていたのだろう。
感情や思考を顔に出すのは激しく動揺している証拠だと自身に強く言い聞かせながら、襲は目の前に腰掛けている少女へと改めて頭を下げた。
「事件解決の為とはいえ、大変心苦しい話をさせてしまったことを先ずは謝罪させて下さい」
胸の内を語ることを不手とする彼としては珍しく、この時放った言葉は本心そのものであった
確かに普通の者と比べて感受性が低く果てには優しさの一切を許容しない襲だが、同情心まで持ち合わせていないわけではない。ついでに血の色も赤色である。
だからと言って容易に同情するような質でないことも確かではあったが、シェリルの記憶を読んで「共感」していた襲にとって、彼女の痛みは襲の痛みそのものでもあった。
だから「共感」と言うよりは感情の「共有」に近いかもしれないな、などと胸中で嘯いていると、いつの間にか腰を上げていたシェリルと目が合う。
「いえ、むしろ感謝しなくてはならないのは私の方です。
皆様には大変ご迷惑を掛けてしまった上に、こうして話す場まで設けて下さって…。本当に感謝しています」
頭を下げ返して、碧眼の少女は微笑む。
精神的な疲労を表に出さないのは、孤児院の子供達をなんとしてでも助けたいという意志の表れだろうか?
きっと自分に欠けているのはこうした感情なのだろうと、健気とも言うべきシェリルの言動に襲は無感情に実感させられていた。




