Act.52 顛末と <3>
見事邪魔者を排除した襲は、去り際の悔しそうなカレンの表情を思い返し、不敵な笑いを続けていた。
「くっくっくっ…」という堪え笑いはやがて「フッフッフッ…」という哄笑に変わり、挙句の果てには「フゥーハハハっ!」といった魔王擬き(というよりただの変態調)の高笑いへと昇華している始末である。
余程カレンに対する鬱憤が溜まっていたのだろう。
槙人は冷静にそう判断して、若干困惑気味のシェリルと苦笑気味の楠那へと声を掛けた。
「時間もあまり有りませんし、そろそろ…」
「そうだな…。おい襲」
楠那の呼び掛けに即座に反応して見せた襲は、無駄のない動作で席に着いた。
「わかりました。では、自分が知り得ている情報はこちらからお話します。
ですが基本、詳しい話はシェリルさん御本人から聞かせていただく形となりますが、構いませんか?」
「あ、はい。大丈夫です」
この切り替えの早さはなんなんだろう…。呆れにも似た疑問を抱きつつも、シェリルに見習って槙人も頷いた。
瞬く間に無表情を作った襲は二人の同意を見て小さく頷き、楠那へと視線を僅かに流す。楠那も瞼を伏せて了承の意思を示したところで、襲は再び口を開いた。
「では早速ですがシェリルさん、五日前の夜の出来事からお聴かせいただけますか?」
襲が具体的な時間を指定した瞬間、シェリルの表情に明らかな動揺が垣間見えた。
「どうして…」と零していたが、襲の視線に促されて、彼女はこの件の発端となる日の記憶を語りだす。
「…五日前のことです。ロシアのサンクトペテルブルク郊外にある小さな街で、改築した廃協会でジアーナという修道女の方と二人で孤児院を運営していた私は、その日の朝、協会の備品である置時計の修理を隣町にある時計屋まで頼みに行っていました」
シェリルの説明の中に何か気に掛かる言葉があったのか、槙人は小声で楠那に問いを投げていた。
「小さな街…と言うのは、もしかして七年前に大規模なハンニバルの襲撃被害が出た――…」
「ああ、そうだ。復興作業の一環で鳴神家が顔を出し、構成術士の人体実験を行っていた施設の解体工作を行ったのも、確かその街だったな」
楠那の問い掛けは、何故か無言で話を聴いていた襲に対するものであった。
視線で回答を促され、襲はゆっくりと頷く。
「ええ。恐らく、ハンニバルの襲撃に遭ったことで一時的な無法地帯に陥ったその街が、ロシア側にとって不法な人体実験を行うにはお誂え向きの環境だったのでしょう」
淀み無い口調で放たれた言葉は決して軽いものではなく、構成術士として生きる彼らにとっては不愉快な内容ですらあった。
続けて襲の言葉の補足として楠那が付け足したのは、事件が何故この場所から始まったのかを説明する言葉である。
「シェリルの生まれた街でもあるんだ。あの街はな。
日本でのメンタルケアが一通り完了した後は、シェリル本人の希望もあって、あの街に帰れるようこちらから手配したんだ」
「そうでしたか…。すみません、お話を中断させてしまって。どうぞ続けて下さい」
「い、いえ。お気になさらないで下さい」
眼鏡のフレームを人差し指で押し上げ、槙人はやや複雑そうな表情でシェリルへと向き直った。
シェリルの表情にもやや疲れの色が垣間見えるが、その表情は強い覚悟の程が窺い知れるほど真剣そのものである。
感情をなるべく押し殺した声音で、シェリルは説明を再開した。
「隣町から戻って来た時には、既に夕方に差し掛かっていました。夕食の準備をジアーナ一人に任せているのも忍びないと、道中パン屋に寄ってから帰ろうと思い立ち、結局教会に戻って来たときには夜の……恐らく夕食時から一時間は経過していたのではないかと」
シェリルはそこで一度言葉を切った。質問等がないと見るや、再び口を開く。しかしその唇が僅かに震えていることを襲は見逃さなかった。
「教会に戻る道なりで、私は教会に一切の明かりが点いていないことに気がつきました。
奇妙に思って教会に踏み込む直前に『円陣』を使って内部の状況を探ってみましたが、その時には既に教会内及びその周囲には人の気配は一切ありませんでした」
「つまりシェリルさんが現場に到着なされた時には、既に、孤児院の皆さんは……」
槙人の指摘通り、『円陣』に何の反応もなかったということは、その時には既に孤児院の人々が何らかの事件に巻き込まれていた可能性が高い。
――同時に、それがどんなことを意味を持つのか?
静かに思考を巡らせながら、襲はシェリルの言葉に耳を傾けた。
「教会内部を調べてみましたが、争ったような形跡は全く見られませんでした」
争った形跡がないという点は奇妙と言えば奇妙だ。
どれだけの人数が孤児院で生活していたのかは知らないが、流石に一人や二人だったわけがない。恐らくは十人以上の大所帯だったのだろう。
それだけの人数の人間を殺すにせよ、誘拐するにせよ。一切の痕跡を残さず行うとなれば、いくら優秀な構成術士といえどそう易々と実行できるものではない。
襲が無表情のまま思案している間にも、シェリルの話は続く。
「ですが教壇の上に、一つの白い箱が置いてありました」
「白い箱……ですか」
浅野が顎先に手を当てたまま、唸るように相槌を打つ。襲は一瞬だけ視線をそちらへと流してから、すぐにシェリルへと目線を戻した。
「箱の上には一枚のメッセージカードが置かれていました。
そこにはロシア語で、Было очень вкусноと綴られていました」
「Было очень вкусно…。確か、日本語で『ごちそうさまでした』って意味でしたね」
槙人の独り言のような呟きに襲は静かに頷く。
恐らく槙人は、メッセージカードが脅迫文の類だと予測していたのだろう。そう思ってしまうのも無理もない。今回の一件は詳しい事情を聞いていなくても、シェリルが何者からか脅迫を受けている点だけは明白なのだから。
しかしその一方で、現場に犯人がメッセージを残すとしたら「身柄は預かった。無事返して欲しくば金を用意しろ」などの、金銭の要求を目的とした典型的な脅迫文がセオリーだろうという一般的な思考もある。
そうではないとしたら――犯人が愉快犯などの狂気めいた者であるならば、もちろん話は変わってくる。
自らの存在を知らしめ、主張する。
いわゆる犯行声明の類――。
だが襲は、このメッセージカードに込められた言葉が双方の意味合いを強く持っていることに気づいていた。
フリークス粒子の濃度上昇を予め予測していたかのように、七学に襲撃してきた侵入者たち。
それに対して抱いた違和感と、粘りつくような嫌な予感。
その言葉は、襲の中で“予感”をより濃厚で現実的なものにしていた。
思わず、“最悪のシナリオ”が脳裏を過ぎる。
だが、決め付けてしまうのはまだ早すぎる。情報も証拠も、全く足りていない。
「そして、は、箱の中には――…箱の、中にはっ…」
シェリルの異変に気がついた襲は、胸中で構築していた観測的な思考を破棄してシェリルの様子を窺った。
箱の詳細について語ろうとする少女の顔色は明らかに芳しくない。血色が悪く、声も震えている。
そろそろ自分の方から話すべきだろうな、と襲は客観的に判断した。
席を立ち、シェリルの腰掛ける席へと歩み寄りながら、なるべく優しく宥めるような口調で語り掛ける。
「箱の中には、孤児院の方のご遺体の“一部”と、貴女に対する脅迫文が入っていた……そうですね?」
「―――…ッ!!」
襲の詰問に、シェリルは青の双眸を見開いて言葉を呑んだ。唇を噛み、握り締めた拳を震わせて、彼女は小さく頷く。
頷きながらも向けてくる少女の疑惑の視線に対して、これ以上隠しておくのも“後々良くない”と思った襲は、気不味そうに頬を掻きながらこの場を借りて白状しておくことにした。
「実は既に、俺はシェリルさんの記憶を少しばかり読んでいます」
「構成術士同士の感応現象による感情と記憶の共有…か」
「はい、その通りです。学園内でシェリルさんと事を構えた際、僅かながらですが、彼女の記憶を読ませていただきました」
さも当然の如く語る襲の言葉に、口を挟んだ楠那を除く二人が驚愕を露わにしていた。
構成術士同士の間で、相手の思考や感情が思念波を通じて伝わってくることが極々稀にある。それこそ、現役構成術士百人の内の一人が、一生の内に一度経験しているかどうか…程度の頻度で。
思念波は構成術の対象となる「情報体」に対する一種の指令コードやプログラムの役割を果たしており、その主な役割は言うまでもなく構成術を発動させることだ。
つまり、構成術を発動させる為に「行使する構成術に対する思考」を巡らせていても、「その他の思考」を巡らせていることはそうそうない。
例えば野球選手のピッチャーの場合。
ピッチャーは自らがボールを投げた瞬間、「投げたボールについて」思考したり不安を抱くことはあっても、投げた直後に明日の夕食は何を作ろうかなぁなどと「明日の献立について」思考を巡らせていることはまずないだろう。
それと同じように、思念波に含まれる僅かな情報には余分な思考や感情がほとんど含まれていない。だが、全く含まれていないわけではない。
「思考と感情」を巡らせるにはそれを生み出す基盤となった「人格」が存在し、「人格」を形成している主なベースは術者の「記憶」だ。
つまり思念波に含まれる情報の中には必ず思考や感情とが混在し、更にその奥底には術者の「記憶」に通ずるものが存在している。
だが、それを汲み取り、理解することは不可能に近い。思念波をトレースすることも、トレースした思念波から記憶を割り出すことも、並の構成術士にはまず真似できない。
思念波を正確にトレースする為にはミーム細胞の質(性能)が高いことが前提条件となる。言い換えれば、構成術士としての圧倒的な「才能」が必要とされるわけだ。
「襲さん……貴方は一体」
槙人の呟きは、感情の発露そのものであった。
きちんとした問い掛けの形を成していたわけではない。だが、無視するのも憚られた襲は、一応言葉遊びに興じておくことにした。
「詞素がカラッポな分、思念波の扱いだけは無駄に上手くなりましてね」
こめかみの辺りを指先でトントンと叩いてから、襲は疲れたような笑みを浮かべる。
もちろんそんな言葉で説明できるほど簡単な話ではないのだが、この時ばかりは追求を逃れるという意味では有効ではあった。
内容はともかく、生じた僅かな空白の間に楠那が助け舟を寄越してきたから、なのだが。
「個人的な込み入った話はまたの機会でいい。それより、今日は事件の話をしに来たはずだろう」
「その通りですね……シェリルさん。申し訳ありませんが、俺もこれ以上の詳しい事情は知りませんので、脅迫文の内容について一度詳しく話してはいただけませんか?」
未だに困惑が抜けきらない、といった面持ちだったシェリルだが、いざ己に課せられた義務をこなすとなると使命感の方が勝さるようで。
その眼差しから、ここから先は自分の口でしっかりと話しておきたいという強い意志が伝わってきた。
「脅迫内容は、命令に従う従わないに関わらず、誘拐した孤児院の子供たちの生首を納めた箱を一日ひとつ、教会に送りつけるというものでした。
事実、私がロシアを立った日の朝にも同じ、し、白い箱が…」
シェリルは再び言葉を詰まらせて、白く細い肩を震わせた。
襲は震える背中を優しく擦りながら、酷い行為だとは思いつつも、何とか続きを話してくれるよう頼み込む。
「それで、脅迫文に記されていた命令とはどんな内容でしたか?」
背中を擦りながら、襲は密かにシェリルの身体に思念波を送り込んでいた。
思念波とは言っても、術式に関する情報の一切を取り除いた「感情」そのものを送り込んだ、と言った方が正確かもしれない。
ミーム細胞が相手の思考や感情をトレースする際、構成術士当人には「共感」という形で伝わっている。
例えば構成術士同士が交戦する際。相手が抱いた敵意を…つまりこちらへと「攻撃しよう」という「思考」によって、自分も相手を「攻撃したい」という「思考」が無意識的に誘発されるのだ。
そして、「共感」は「感情」にも同じことが起きる。
この現象を利用し、襲は自身の安定した「感情」をシェリルに送り込み「共感」させることで、シェリルの精神状態の回復を試みていた。
送信し始めた直後こそ動揺の色を『視せて』いたシェリルだが、徐々に激しかった動悸も収まり、段々と落ち着きを取り戻している様子である。
一呼吸置いて。
「日本の第七学園の中央図書館に保存されてある『ジャスティティアの偶像』に関する電子文献を奪取し、指定した日時、場所に運搬するように記されていました」
彼女が語り出したのは、事件の真相に迫る鍵となる言葉だった。




