Act.46 罪科 <2>
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「ふぅ……ようやく片付いたわね」
先程の騒動で乱れてしまった備品の位置を直し、散らばったゴミをゴミ箱へと片す。
そうしてひと仕事終えたカレンがベット脇の座椅子へと腰掛けようとした丁度その時、ベットの上に横たえられていた少女が呻き声を上げて身動ぎした。
「うん……?ここ、は」
「気がついた?」
シェリルは眠たげな眼を瞬かせた直後、瑠璃色の瞳に緊張の色を走らせた。しかし自身の置かれている状況を見て思い直したのか、肩の力を抜き警戒心を緩めつつ何とか上体を起こそうとする。
見たところ顔色は随分と良くなった様だが、まだ全身に上手く力が入らないのか身体を動かすだけでもかなり辛そうである。見兼ねたカレンが慌てて背中に手を回して身体を支えてやると、苦労しながらも何とかシェリルは上体を起こすことに成功した。
「えっと…その、」
曖昧な意識の中でも思考だけは進めていたのか。目を覚ました直後だというのに、彼女はカレンを見て申し訳なさそうな表情を浮かべ、頭を下げた。
「先程は…ご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした」
襲から事の概要を聞かされていたカレンには、先刻まで敵対していた人物だという認識は既に薄まっており、何より起床早々謝罪してきたこの儚げな少女には、むしろ害意を持つ方が無理があるように思える。
「……いいですよ、過ぎたことですし。気にしないで下さい」
「ですが……」と至極当然の食い下がりを見せていた少女だったが、カレンはシェリルの言葉を遮るように言葉を並べた。
「自己紹介がまだだったわね、私の名前はカレン・ルーフェ・グラスティンバーよ。カレンでいいわ」
「あっ……はい。こちらこそ失礼に失礼を重ねた上に、自己紹介が遅れてしまい申し訳ありません。シェリル・フェランディーと申します」
突拍子もない自己紹介に動揺しつつも、元々律儀な性分のゆえなのか、シェリルは何とかカレンの言動に対応して見せた。
ごく普通に日本語を使いこなしていることからもシェリルの日本語能力の高さが知れたが、それはカレンも同じことであろう。翻訳機のスイッチへと伸ばしかけた手を降ろしひとり関心しているカレンを余所に、何が気に掛かったのか、シェリルはぐるりと病室内に視線を巡らせてから詰問を飛ばす。
「あの、先程の男性の方は…?」
「ああ……アレ?アレのことはそれこそ気にしないで、アレも貴方には気に病まれたくないと思うから…」
何やら含みのある言葉を並べてから、悲しげに視線を切って。カレンはまるで故人を憂うかのような表情を作った。
状況が上手く飲み込めなかったシェリルは、困惑しつつ暫く頭上に疑問符を浮かべていたのが。カレンの肩越しに見える背景の中に奇妙な物体を見咎め、呆然とした色を浮かべた。
その後「あの……カレンさん?」とシェリルは何度もカレンに声を掛けていたが、当の本人は大して気に留める様子もなく、「過ぎたことだから気にしないで」などとわざとらしく頭を振った。
その背後で、青の物体がモソモソと蠢き少しずつベットの方へと擦り寄ってきている。リノリウムの床の上を跳ねては転がって、何とかカレンのすぐ背後までやってきた「それ」は、遂に声を上げた。
「いや、ちょっとは気にしろよ」
パコンと間の抜けた音を立てて、「それ」の中から少年の頭が飛び出してきた。よく見れば、青いポリバケツ……の中には、黒髪の少年が埋まっているように見受けられる。彼は器用にも頭部に平たい蓋を乗せたまま、カレンを恨めし気な眼差しで凝視していた。
それにしても、少々香ばしい臭いがするのは何故なのだろう?
シェリルは場違いな疑問を抱きつつも、怪訝そうな色を浮かべてポリバケツへと振り返ったカレンの後ろ髪を見送った。
「何?焼却処分は嫌だって言うから、燃えないゴミとして捨ててあげたんじゃない」
「俺は燃えないんじゃない、燃えられないだけだ」
意味がわからないとでも言いたげな表情を見せた(というよりあからさまに気色悪がっていた)カレンに対し、熱血でも根暗でもなく、ドライな性格だから仕方がないだろうと襲は胸中で嘯いてみた。同時に、ドライな方が燃え易いはずではなかろうかと、的外れな疑問を抱く。
まぁ、萌えない(誤字)幼馴染にだけは言われたくないというのが、嘘偽りない本音ではあったのだが。
「結局燃えないなら同じことでしょう?それとも何、不服でもあるの?」
「不服なら大いにあるね。この不当な扱いとか、一方的で理不尽な誤解とか」
無理矢理ポリバケツの蓋を閉めに掛かるカレンと、首を伸ばし、頭でそれに抗う少年。
奇妙な構図に目を奪われつつ、シェリルは張り続けていた緊張の糸が緩むのを自覚した。思わず、僅かな笑みが口元に浮かぶ。
「本当は生ゴミとして捨てたかったんだけど、残念ながら保健室に生ゴミを捨てる場所がないのよ。私も我慢してるんだから、襲も我慢して」
「何を?何を我慢してるの?もし臭いとかだったら泣くよ、オレ」
無表情のままゴミ箱の中から反駁の声を上げる、少年。
見下す少女の瞳には、炎にも似た感情が渦巻いているようにシェリルは感じていた。
「あら、そんなことは言ってないわよ?
そんなことより、これ以上蓋を開けっ放しにされると保健室が生臭くなるわ。もしシェリルさんが体調を崩しでもしたらどうするの?自重しなさい」
「おい、今生臭いって言っただろ。言っちゃったよね?」
「でも人目がある所じゃなくて良かった。下手したら学園の皆さんからも妙な誤解を受けるところだったわ」そう言ってポジティブな思考に身を委ねている襲だったが、遂にはカレンの猛攻に耐えられず、パコンという軽い音を立てて再びポリバケツの底へと押し込まれていた。
「はい、封印」
カレンは右手の人差し指と中指を立てて矛の形を作り、赤の詞素を宿らせた指先で宙に真一文字の軌跡を描く。印を切るように指先から放たれた詞素はポリバケツを包み込むように展開し、その分子構造へと吸蔵された。
発動した構成術は、詞素同士の相対座標を固着化させる「結合術式」。
バケツ表面に散布された詞素が互いに強く結び付くことで、蓋とバケツ本体が溶接さながらに固定される一方、バケツ自体の強度も詞素の吸蔵特性に基づいて跳ね上がっている。
最早、自力での脱出は困難。
青い物体が緑の輝きを帯びたことで何とも言えない色合いを呈し、『閉じ込められました!犯人はここです!このままだとキズモノにされちゃうっ!助けてオマワリさん!』などとくぐもった音で呻いていたが、カレンがバケツの腹を蹴り上げると『ぐふっ』と奇妙な音を上げて静かになった。
一仕事終えて満足そうな笑みを浮かべたカレンはそのままポリバケツの上に腰掛け、掛ける言葉が見つからずあわあわと視線を彷徨わせているシェリルへと声を掛けた。
「ほらね?」
「えっと……はぁ?」
何が「ほらね」なのか全く理解できなかったシェリルだったが、促されるがままに取り敢えず頷いておくこととした。それを同意の意だと判断したカレンはポリバケツの上で足を組み、優しげな笑みを浮かべて、続ける。
「学園に対する不祥事は心配しないでいいわよ。多分、鳴神家の方で綺麗に片を付けてくれると思うから」
「えっ…!?もしかして鳴神家の方とお知り合いなんですかっ!?」
「私って言うよりは、コイツがね」
苦笑と共にカレンは視線をポリバケツへと落とすと、返事でも返すようにパコンとポリバケツが跳ねた。
『先に言っておきますが、別に俺は鳴神家の人間ではありません。
言うなら、ただの仕事仲間みたいなものです。ですから、過度な期待はしない方が宜しいかと』
ポリバケツ(の中の人物)が自然に会話に参加してきたことに若干驚きつつも、シェリルは曖昧な、それでいて今にも泣きそうな表情を青の瞳の奥に垣間見せる。しかし彼女は決して泣かないのだと、カレンはシェリルの瞳の更に奥に宿る「激情」から悟っていた。
使命感にも似た「罪悪感」。脅迫概念染みた「それ」は、既にどうしようもないほど彼女の心を蝕んでいる。
「あの……私をこれからどうなさるおつもりですか?」
『軍に引き渡す』
「…――っ」
『……と、いうのが普通の対応なんでしょうが。まぁ、こちらにも色々と事情がありまして』
バケツの中から響くくぐもった声音に、「そうね」とカレンは硬い笑みを湛えたまま同意の意を示した。
だが、彼女の眼は笑っていない。引き締まった表情の奥に光るルビーの輝石には、どこまでも無機質で軍人らしい凛とした輝きが宿っている。
「幸い鳴神家のバックアップもあって、今回の騒動の容疑者には貴女は挙がっていません。今後露呈する心配もないでしょう。貴女のことを知っているのは、実際に対応に当たった私とコイツ……襲の二名だけです。
その一方で、貴女のしたことが決して笑って済まされるような類ではないということも確かです。事情がどうであれ、こちらとしては後程何かしらの形で対応させていただくことになるかと思いますので、ご理解下さい」
堅い口調で突き放すように述べたカレンに対し、シェリルはやや顔を伏せてから口を開く。
「……はい、それは承知しています。罰せられることも構いません。ですが、今は――」
『取り敢えず積もる話は場所を移してからにしましょう。これ以上、学園に留まるのは不味いでしょうし』
襲は有無を言わさぬ口調で二人の会話を切ると、カレンに蓋の上から降りるよう促しているのか、ガタガタと左右に振れ始めた。「それもそうね…」そう呟いて揺れるポリバケツの上から降りたカレンだが、その顔色は芳しくないと見える。
対照的なのは、保健室に漂う重く嫌な空気をものともせず暴れるポリバケツだろう。『あれ?これマジで開かないんだけど、どうなってんの?』などと呻きながら、コロコロとリノリウムの床を転がっている。
最早、嗤う気力すらなく。
カレンは陰鬱そうに頭を押さえ、頭痛を堪えているような体で口を開いた。
「場所を変えるわ。まさか暴れないとは思うけど、妙な抵抗はせずにちゃんと付いて来てね。別に取って食おうってわけじゃないんだから」
「は、はい」
先程までの刺々しい雰囲気から一変して柔らかな微笑みを口元に湛えたカレンは、どうやら体調が回復したらしいシェリルを見遣り扉の外へと誘った。鋭い眼差しを携え、決意を固めた様子のシェリルが確かな足取りでその後を追う。
だが、自動で閉まりゆく扉の前で。
『ちょっと待て、俺がまだ――…』
置いてけぼりを食らったポリバケツが、照明の落ちた保健室の中でぽつんと取り残されていた。




