Act.43 忌むべき救い <3>
二千九十八年 三月二十九日。
保健室を後にしたカレンが向かっていたのは、今回の召集を掛けた人物の待つ生徒会室だった。
生徒会室は一号館のA棟三階に設けられており、眼下に学園中央までの欅並木を一望できる何とも見晴らしの良い贅沢なロケーションがその売り(?)らしい。
肝心の生徒会長と言えば、つい先程海外での任務を終えて戻って来たらしく、カレンに連絡が入ったのもつい先刻のことであった。時間に煩い人物だということは既に嫌と言うほど知っていたので、早足を心掛けて廊下を歩いていると、暫くしてカードリーダーを脇に備えた生徒会室が見えてきた。
取り敢えずインターホンを押して、到着の旨を知らせる。
「地球連邦軍(EUGF)直属、ハンニバル迎撃部隊Ace第三部隊副隊長、カレン・ルーフェ・グラスティンバーです」
軍での肩書きを並べると奇妙な感慨を覚えるものであるが、その思考を遮るようにスピーカーの向こうの人物から入室の許可が下った。
『……来たか、入れ』
「失礼します」
愛想のない返答はいつも通り。既に一年近く同じ第三部隊に居る人物に対して妙な感想を抱くこともなく、自動で開いた扉を彼女は潜る。
「時間通りか……几帳面で結構だな」
八人掛けの方卓の上座に腰掛けた人物が左腕に巻いた腕時計を見遣り、ボソリと独りごちた。
「まぁいい、適当に掛けろ」
机の上に両肘を着いて顔の前で手を組むという、随分とポピュラーな待機態勢へと移った人物に促され、カレンは一番下座の席へと腰を落ち着けた。
長テーブルということもあり三メートル以上の距離が離れているものの、そんな些細な距離感など気にする様子もなく。
「俺も面倒なのは好かん。早速本題に移らせてもらうが、構わないな?」
「ええ、構いません」
黒の短髪に三白眼。纏う空気は他を廃絶するような色味が漂い、一言で言うならば裏世界でも牛切っていそうな男である。襲をガラの悪いチンピラと例えるならば、この男はある意味その道を極めてしまっている態があった。いわゆる極道(?)というヤツである。
以上のような外見の視覚情報を並べると完全に「危ないヤツ」だが、彼には唯一愛すべき欠点があった。愛着を持てる、という意味で。
「その前に……オイ、そこの珈琲取ってくれ」
そう言って指差したのは、重要書類の棚に紛れて置かれている珈琲の粉末が入った瓶だった。
席に着いたまま随分と偉そうな口振りだが、カレンの心境には大した苛立ちは生じず、むしろ微笑ましい感情に思わず頬が緩むのを自覚する。
「わかりました、少々お待ち下さい」
重要書類の棚の最上段。高さにして二メートル前後の高さに置かれたを瓶を手に取り、彼へと手渡す。
「悪いな」とぶっきらぼうに答えた少年は、ケトルで沸かしたお湯を珈琲の粉と一緒にカップへと落とし込みながら、愚痴り始めていた。
「チッ、誰かしらねぇがあんな高いところに入れやがって」
そう、彼の唯一無二の欠点。それは身長であった。
今年高校三年生になろう少年の背丈は百六十センチとなく、高校一年生の女性としては一応高身長に入るカレンと比較しても五センチ程度の開きがあった。人を呪い殺すような目力を備えていたとしても、正直この身長では威力半減である。どんまい。
「オイ、今失礼なこと考えなかったか?」
「いえ、全く」
「…そうか、ならいい」
このように人の反応に目敏い上に若干潔癖症な所があるが、それでもカレンはこの人物のことが嫌いではなかった。
「それと…言っておくが、俺は先月、百六十センチの大台に突入した。
百六十センチと言えば男子高校生で最も所属人数が多い身長帯の一つ。逆説的に言えば俺は既に一般的な身長に分類されるわけであって、決して百五十センチ台などと言った矮小なグループには分類されない。そもそも身長の高低を人間の価値を推し量る物差しとして捉えるこの風潮自体に漠然とした疑問と拭いきれない嫌悪を感じる。つまり俺が言いたいのは……」
(あっ、その話長くなります?)
……ただし、苦手ではあったのだが。
◇◆◇◆◇◆◇
暫しの合間斜め上からの性善説を拝聴し続けた結果、度重なる間違えられない相槌に労力を割いていたカレンは既に疲労の色を見せていた。
そうと言うのも、この手の連中は下手なことを言うと炎上(ネット用語の方の意味合いで)するので常に精神面へのきめ細やかな配慮が必要となり、結果、彼女は無駄に気苦労を重ねていたのだ。
だが、そんなカレンの気苦労など知る由もなく。
「言わずともわかっているとは思うが、今朝の件で上から指令が下った。心して聞け」
そう口火を切ったのは、現生徒会長、六道龍二。
構成術師の中でも名高い名家に軒を連ねる「六道家」の長男であり、その次期当主である。なお、候補ではなくほぼ確定事項らしい。
そもそも日本における「家」とは、互いに縁を持った人々の集団を示す言葉であり、現在では主に構成術士の血筋を表す際などに多用されている。要は昔と変わらない、名字を同じくする血縁関係者達が形成する一種のコミュニティーのようなものだ。
海外にも勿論そうした構成術士の「名家」はあるのだが、日本の構成術士の「名家」を挙げれば、「鳴神家」「六道家」「橘家」「風魔家」「真藍家」「岩柳家」などが有名どころといったところか。
中でも龍二が属している「六道家」は、様々な構成術を使いこなす汎用型の構成術のプロフェッショナルとして「鳴神家」と双璧を成す「生粋の傭兵部隊」として知られている。
事実、組織の下働きにはあらゆる戦闘を請け負う傭兵組織も存在している為、これだけ聞かされるとPMC(民間軍事会社)のようなイメージを抱いてしまいそうなところではあるが、その実態は国の安全を任された自衛組織集団である。
構成術師(Brane Drums)によって組織された自衛部隊、一般的な認識で言うならば「自衛隊」である。
日本では構成術士によって構成された特殊部隊を主に対ハンニバル遊撃部隊として各地に配属されているが、陸、海、空といった一般的な既存の軍隊には特例を除き基本配属されていない。遊撃部隊という体制は構成術士の汎用性と機動性の高さに依存している節があり、効率面から見ればこの配置は強ち間違いでもないだろう。
構成術士によって構成された軍事組織は国際的にはBDF(Brane Drums Force)の略称で呼ばれており、六道家は世界的に見ても独立したBDFとしては指折りの軍事力を持つ集団であると言える。
その性質上やはり国防省とのパイプも厚いらしく、有事の際の特殊作戦部隊として(陰ながら)重宝されているという噂だ。
そんな六道家の中でも、六道龍二は国防省の直属のBDF隊員として配属されている一方、地球連邦軍(Earth United Government Force)。通称EUGFにも所属している。
EUGFはその組織目的を「地球圏の治安維持」とする国際的な軍事組織であり、その主な役割は宇宙から侵略してくる黒い霧状の災厄、「シャドウ」の観測とその眷属たる「ハンニバル」の撃滅である。一方で紛争やテロを始めとした非常時にも駆り出されることもあり、むしろPKO(平和維持活動)を行う組織だと捉えた方が的確かもしれない。
とにかく六道龍二は、EUGFの中でも構成術師のみで構成された特殊部隊。「Ace」の第三部隊隊長を務める超やり手の構成術師だ。
カレン自身もその副隊長を務めている以上、龍二の言う「上」とはEUGFの上層部連中のことだろう。声には出さず小さく頷いて、彼女は龍二の言葉を待った。
「これから一週間、俺達第三部隊はウィスタリア全域の警護の任に当る。
詳しい事情は……作戦資料を回すからそれを読んで理解しろ、以上だ」
短すぎて作戦内容が碌に理解できなかったが、要点だけは押さえられたので良しとしておくべきだろう。質問して機嫌を崩されても面倒なので、入室した直後から抱いていた疑問点だけを口にしてみる。
「質問、宜しいでしょうか」
「許可する」
方卓の上に置かれたカップを口に運びながら、龍二は若干面倒臭そうな色…と苦そうな表情を見せた。
それでも質問を許可した要因としては彼女が自分と同様に無駄話を好まない性格であることと、質問の内容が多方予想がついていた所為なのかもしれない。
「今日は他のメンバーは来ていないのですか?」
「……ああ。この時期だ、『家』に属してる連中は何かと忙しいんだろう。安心しろ、他の連中には既に連絡を入れてある」
だったら私も入学の準備で何かと忙しいんですが――と視線で訴えていたのだが、当の本人は備品(?)の冷蔵庫を漁る事に夢中になっており、気づく気配すらないようである。
「それに今回の件はお前に先に伝えておくべきだと思ってな」
「と、言いますと?」
カレンの問いには答えず冷蔵庫の前面に投影されたホログラフ画面を一瞥し、「クソ、誰だ俺のお気に入り飲んだヤツは」などとボヤきながら龍二が冷蔵庫から取り出したのは、冷え冷えとしたビンに収められた市販の牛乳だった。
今時ビンの牛乳なんて逆に希少な気もするが、入手経路について質問するとまた要らぬ労力を要しそうだったので取り敢えずスルーしておくのが吉だろうとカレンは無視を決め込んだ。
一方牛乳を片手に座席まで戻った龍二はドスンと乱雑に腰を落とし、何気なく会話を再開する。
「ついさっき、鳴神家の使いだとか言うガキがここに来た」
「使い…ですか?」
鳴神家から六道家への干渉してきた。それが一体何を意味するのかカレンには測りかねたが、どちらにせよただ事ではないのだろう。
不快感を露にしつつもカップへと牛乳を注いでいる右手だけは止めるつもりはないらしく、龍二は続け様に砂糖を放り込みながら続けた。
「ああ。個人的な要件でちょっと、な」
「個人的な要件……?そ、それと私を呼んだことに何か関係があるのですか?」
カレンの緊張を孕んだ問い掛けに、龍二はカップを皿の上へと戻しながら答える。
「いや…?今のはただの愚痴だ」
「はっ……?」
ポーカーフェイスに努めていたカレンの眉がピクリと動き、今まで鉄壁を貫いてきた表情に僅かな罅が入った。
「お前を呼んだことと“全く”無関係、と言わないが、今回お前を先に呼んだのは……まぁ俺の勘だな」
(無関係とは言わないって……。それ、ただ愚痴を言う相手が欲しかったとかじゃないでしょうね…?)
勘などという至極曖昧な理由で呼ばれたことに若干の苛立ちを覚えながら、カレンは溜息を零したくなる感情をグッと堪えた。
四時起きさせられた挙句、仕事に疲れているはずの一真さんに無理を言って車で送ってもらったというのに、この人は……。
煮えくり返った感情を抑えつつ、取り敢えず手持ちのTIGに作戦資料を送ってもらい目を通していると、今度は牛乳ビンに口を付けて飲み始めていた龍二が突然妙なことを言い出した。
「それと、今朝の騒動ではウチの学園が世話になったな」
「は、はぁ…?」
発言の意図が掴めずしどろもどろしていると、「チッ、不味いな。これだから安物は…」などとこれまた独り言を並べ始めていた龍二が、何の前触れもなく会話内容の補填に取り掛かった。
「侵入者の件だ。撃退したのはお前だろう」
「あぁ……。いえ、あれは付属生としての責務を果たしただけですから」
「そうか」
素っ気ない受け答えと、捉えどころのない態度。飄々としたところは襲と似通ったところがあるが、カレンは正直、自分が龍二のことを苦手だと自覚している。
他に話がないならばさっさと保健室に戻らせていただこう。主春期真っ盛りの男女を密室に放ってきたのだ。何をしているのか正直心配である。
そう思って席を立ち、「それでは、失礼します」と断りを入れたカレンが生徒会室を後にしようとした時だった。
突然、背後から龍二の声が掛かる。
「そうだ、アイツにも礼を言っといてくれないか」
「アイツ、ですか…?」
振り返ったカレンに対し、龍二は方卓の脇にあるモニターを指差して薄く嗤う。
「ああ、七高の制服を着てたからここの生徒なんだろう?」
彼が指差しているモニターは恐らく、七学に設置されている防犯カメラの映像を統括・管理している制御モニターの類だろう。龍二のセリフと動作にその意図を読み取ったカレンは思わず苦笑いを浮かべ、乾いた笑い声と共に扉の外へと後退った。
「それと、近いうちにお礼の『挨拶』に行くってことも、な」
半ば逃げるように生徒会室を後にしたカレンは、ひとり、入学早々面倒事に巻き込まれそうな幼馴染を憂い、静かに胸の内で合掌した。




