Act.42 忌むべき救い <2>
襲の平坦な言葉を受けた楠那は眉をピクリと動かして、醒めた口調で返答を返す。
「捉えたのか?」
「はい」
「尋問はしたか?」
「いいえ、相手が気を失っていたのでまだです。つい先程保健室に運びましたが、まだ賊のことはカレン以外には話していません。
それに、尋問ではなく普通に事情を聴いた方が良いかと思いましたので」
「ほう、じゃあ話ができそうな相手なのか」
カレンの名前が挙がったことに対して何の疑問を抱かないところを見ると、恐らく何らかの形で彼女が同行しているという情報を掴んでいたのかもしれない。前提条件に然したる興味を見せないまま、襲の言葉から相手の人格に対する評価を読み取ったらしい楠那は、少し意外そうな表情で詰問してきた。
詰問に対し、襲は無言で頷く。
「ですが、恐らく俺では無理かと」
「……と、言うと?」
砕けた口調で応じていた楠那の瞳に、ぎらりと覇気が宿る。それは、世界でも有数の実力を誇る構成術士の名家の当主たる人物に相応しい、他を威圧し圧殺するような気配だ。しかし向けられた当の襲は慣れているのか、その瞳に動揺らしい色は伺えなかった。
「今から数年前。他でもない、貴女方鳴神家がロシアの『とある施設』の解体工作を行った一件、覚えていらっしゃいますか?」
こちらの目を画面越しながら真正面から見据えている少年の眼差しが、どこか遠くを見るような様体を晒した瞬間を、確かに楠那は捉えた。
鋭い紫苑の瞳に深淵で昏い、ぞっとするような黒い影が落ちる。しかしその滑舌は滑らかで、一切の淀みがない。
「もちろんだ。何せ私も夫と一緒にその作戦に参加していたからな。作戦後、解体した施設の孤児を家で保護したことまで鮮明に覚えている」
懐かしむような表情を浮かべた楠那を他所に、襲の意識は既に現在へと向けられていた。
「恐らく今回の賊は、保護されていた孤児の一人だと思われます」
「何……?どういうことだ、説明しろ」
問いただすような口調を続けていた楠那の表情に、襲の言葉に対する僅かな困惑が滲む。一方、少年の瞳と声音は酷く乾き、醒め切っていた。
「鳴神さんは保護していた少女の一人に、自分の簪をプレゼントしたことを覚えていらっしゃいますか?」
「……ああ。物静かで、言葉数の少ない銀髪の少女だったな。確か彼女の名前は――」
楠那の脳裏に蘇ったのは、今から数年前。鳴神家の本家で預かった銀髪の少女の姿だった。
幼くして構成術士として教育を施された、否、兵器として開発された一人の少女。その表情はどこか虚ろで、楠那は彼女に初めて会った、瞬間。少女の澄んだ瑠璃色の瞳に、現実に対する諦めのような酷薄とした感情が渦巻いているように感じたのを覚えている。
思えば目の前の少年の瞳の色にも、あの頃の少女の眼差しに似た色が映っているようである。しかし、少年の瞳の奥底に覗くのは幼い少女が抱いた人間という種に対する絶望ではない。達観にも似た、“ヒト”という種に対するペシミスティックな思考のように楠那は思えた。
その思考から導き出される答えに、楠那は耳を傾ける。
「シェリル・フェランディー。それが、此度の侵入者の名前です」
「なっ……!?」
答えは衝撃となって。楠那の心を揺さぶる。
両親をハンニバルに蝕われ、育ちを同じくした友人を施設の人間に殺され、殺伐とした日々に己の感情を壊されてしまった、一人の少女。
雪のように儚げで憂い帯びた面差しが脳裏に蘇り、動揺は、言葉となった。
「そんな……どうして彼女が」
「詳しい事情は知りませんが、育ての親とも言える貴女になら……あるいは、彼女も口を開くのではないかと。
今回鳴神さんをお呼び立てしたのは、その件についてご相談があったからです」
襲の表情はどこまでも無機質で、一切の感情の波が感じられない。事務報告に徹した口調も然ることながら、今回の件に対する少年の態度には何か妙な引っ掛かりを覚えた楠那だったのだが。
「……どうやら、そろそろ彼女が起きそうです」
襲はベットの上で息づいていた気配の変化を機敏に察知して、思考を遮るように楠那に報告した。
「俺も確認しておきたいことがありますし、詳しい事情は本人の口から聴きましょう……と言いたいところですが」
暫し言い淀んだ少年の真意は、言わずとも楠那は承知していた。
「第七学園では何かと『耳』が多いので、後程こちらから出向きます」
「わかった。それから、襲……」
通信を切ろうとしていた襲の耳に、楠那の呼び止める声が届いた。何事かと顔を上げると、画面の向こうに立つ女性が、珍しく緊褌一番と言った様子で口を開く。
「個人的な頼みをしたい。高校に入ってから口調を正しているのかもしれないが、今この時は楽にしてくれないか」
襲は少々驚きの表情を浮かべた後、口元に皮肉気な笑みを浮かべた。今まで意識して変えていた態度を元の砕けたものへと変え、楠那へと問い掛ける。
「わかったよ。で、どんな要件だ?」
「私にとってシェリルは娘も同然の存在だ。だから――…」
言葉を切って。
鳴神家の当主たる女性は頭を下げた。
「彼女を、助けてやってくれ」
懇願にも似た言葉の意味を噛み締めながら、襲は小さくため息を零した。
天下の鳴神家の頼みとは、何か。彼女を助けて欲しいとは、どう意味なのか。
そもそも助けとは、救いとは、何だ?
現状の打開か?あるいは、苦痛から解放されることか?
だが、時と場合。個人によって変化するのが、救いの概念。
ならば、彼女にとって“救い”とは、何だ?
シェリルの人格を信じ、愛している楠那のことだ。今回の襲撃騒動が、恐らくシェリルが外部から脅迫されて行ったものか、あるいは必要と迫られて行ったものだと信じて疑っていないのだろう。
ならば。それが事実だと仮定して短絡的思考を巡らせれば、孤児院を襲撃した犯人を突き止め、滅するという物理的な解決方法が思い浮かぶ。だが、それだけなら。それで済むのならば、むしろ圧倒的な軍事力を有する鳴神家の連中が自ら出張った方がそうした作業は捗るはずだ。
思考の水面に襲は問いを投げ込み、漣を立てる。
そもそも、彼女はそれで救われるのだろうか?
目には目を。歯には歯を。
ただの復讐では、加害者に対する拭いきれない憎しみや、大切な者を奪われたことによる喪失感や孤独が解消できるとは到底思えない。良心のある善人ともなれば尚更だ。
かと言って、孤児院という唯一無二の居場所を奪われた少女に、他人の極みである自分ができることはきっと少ないのだろう。新たな居場所を与える、若しくは、自分自身がその居場所になる……という手段も考えられるが、それは欺瞞に満ちた善行であり、感情の誤魔化しだ。
そんな短絡思考で救われるのは精々ラブコメに登場する架空のヒロインたちだけであり、第一、全くもって柄ではない。それ以前に、そんなどこぞの一次あるいは二次創作もののような陳腐で遅達な解決策では、彼女を蝕んでいる「真の苦しみ」を解消することはできないだろう。
『罪悪感』
そんな言葉が脳裏を過ぎる。
彼女を救うということは、どうしようもなく、救いようもない現状を解決することではない。それはプロセスであって、“目的”ではない。
目まぐるしく走った、無為で深遠な思考の先。その先で、襲の思考が一つの結びを迎えた。
「一応、頭には入れておきます」
深くは語らず、画面からベットへと視線を転じる。そうぶっきらぼうに語った襲の眼差しには、どこか悲痛げな気配が漂っていた。
ふと、襲の表情を見た楠那の脳裏にとある考えが浮かぶ。構成術士同士の感応現象で「記憶を読んだ」のか、と。
――それが一体何を意味しているのか。
それは襲からではなく、シェリル本人の口から聴くべきだろうと、楠那は冷静な判断の基、開き掛けた口を画面の向こうで噤んた。




