Act.35 侵入者 <1>
二千九十八年 三月二十九日。
並木道を駆け抜け建物の外周を跳ねるように走破した襲とカレンは、早くも中央図書館前の交差点へと差し掛かろうとしていた。
先行するカレンの背を追うように駆けていた襲の「感覚」が、敵の存在を察知したのも丁度その時。
停滞なく判断した襲はすぐさまカレンへと声を飛ばした。
「待て、カレンっ!」
流石は幼馴染、と言うべきなのだろう。
襲の突然の制止に動じることもなく、疑問を浮かべる素振りすら見せずに反応したカレンの足がアスファルトを軽やかに蹴り、襲が視線で示していたバス停の防雨壁の内側へと滑り込むように身を躍らせた。
後方を駆けていた襲も、上体を低くしたままバス停へと身を潜める。
第七学園の敷地内には基本的に乗用車の侵入が許可されていないものの、敷地内を移動する為の足として巡回バスが運営されており、交差点手前の歩道脇にも巡回バスの停留所が設けられていた。バスとは言ってもその実態は学校側から手配されている自家用バスであり、大半が小型の無人車両なわけだが。
それはともかくとして、三面囲い仕様のバス停は機能性重視の造りとなっており、一世紀前のバス停と比べると全体的に洗練されたような雰囲気を漂わせている。
襲はアクリル性のサイドパネルへと取り付くと、支柱に背中を預けるようにして周囲を警戒しているカレンへと身を寄せた。
「ここからだとよくわからないが、十時の方向に『何か』いるな。まだ三百メートルほど距離があるが……カレン、周囲を探れるか?」
「誰にもの言ってるのよ、バカにしないでくれる?その程度の距離なら余裕よ」
襲の問い掛けに不機嫌そうな色を浮かべたカレンだったが、すぐにニヤリと不敵な笑みを作った。
蠱惑的な笑みを湛えたまま上着の内側のポケットからTIGを取り出したカレンは、素早く画面を操作してある術式を読み込んだ。
「持ってて」
操作を終え、カレンから襲へと手渡されたTIGの画面上に魔法陣然とした青色の図式が表示される。
次の操作に移ったカレンを他所に、襲は手元の図式へと視線を落し彼女が行使しようとしている術式について考えていた。
(この術式、詞素を散布するタイプの構成術だな。確か『円陣』って言ったか?)
「円陣」とは広域索敵に特化した術式であり、今もなお各国で盛んに利用・研究されている代表的な構成術の一つである。
現代の索敵技術はレーダーを用いたものが大半だが、構成術の中にはこうした索敵の目を逃れる為の「ステルスクラフト」と呼ばれる術式も開発されており、これは従来の索敵方法。例えば赤外線などの電磁波を捉えるレーダーや、音の反響を捉える反響定位では看破することが困難だと考えられていた。
そこで着目されたのが構成術による索敵方法、即ち広域索敵術式の開発である。
そうした広域索敵術式の中でも「円陣」と呼ばれる構成術は、体外へと詞素を放出し散布することで、自身を中心とした均一の詞素濃度の円空間を形成。空間内部の状況とその変化を空間内部に散布された詞素の濃度変化という形で察知することができる術式だ。
これは風のある日に砂を撒いてみればわかることだが、通常、軽く小さな粒子を周囲に散布した場合は大気の流れなどによってすぐに拡散してしまうものである。
だが粒子の――詞素の運動を構成術によって操作できる「円陣」ではそういった心配も少なく、熟練者ともなれば散布した詞素をある程度構成術で回収できるため、実用性も高い。ただし術の発動難度が凄まじく高い上に膨大な詞素と集中力を必要とするため、実践できる構成術士が非常に限られてくることも紛れもない事実であった。
だがそれらの事情を鑑みても「円陣」の索敵能力には目を見張るものがあり、粒子の相対距離より大きな物体(分子程度の大きさ)ならばその運動を正確に捕捉できる点も大きな強みと言えるだろう。
それはともかく、TIGに表示された詞法陣を『視る』限り、カレンがこれから発動させようとしている構成術は「円陣」の類に違いないようである。
「準備はできたか?」
「ええ、いつでもいいわよ」
カレンの了承を得た襲は、術の行使の邪魔にならないように注意しつつTIGを手の内で返し、その画面をカレンへと向けた。
彼女は横目で襲の手元、TIGの画面へと視線を走らせながら、迅速かつ精確な動作で自身の左手首に嵌められたAIUへと手を伸ばし、腕輪に似たAIUの側面に人差し指を押し当てて思念波を送り込む。
彼女の思念波に呼応したAIUの表面に滲むように「受信開始」の文字列が浮かび上がったことを確認した襲は、手元のTIGに表示されている青い図式を指先で弾くようにタップした。
「転送開始」の文字と同時に、カレンの左手首に嵌められたAIUへとTIGを翳す。
「よし、行けるわっ」
「送信完了」と「受信完了」の言葉が表示されるよりも早く、AIUの内部で詞法陣が描き換えられたことを察知したカレンは静かにそう告げた。
カレンの言葉に襲が静かに頷いて見せる。襲の反応に言を発せず、彼女は赤の双眸を閉じた。
唇に人差し指と中指を揃え、厳かに唱える。
「Lustroware――」
詠唱と共に唇から離された指先に、白く淡い光が灯った。
まるで「投げキッス」のような動作から生み出された光は小さな珠のようでいながら、揺らめく焔のような輝きを宿している。
輝く珠を指先に顕現させる光景を『視て』いた襲は、思わず胸中で感嘆の声を漏らしていた。
複雑でいながら洗練された、美しい構成。
カレンの構成術士としての力量に舌を巻く結果となったのは些か心外ではあったものの、嫉妬心よりも知的好奇心が優っていた襲には不の感情は生じていない。
元よりカレンは詞素を身に纏う術式(詞素装甲系統)を得意としている節があり、「円陣」も身に纏った詞素を広範囲に展開しているだけだと解釈すれば、双方の術式は本質的には似通ったものがある。
だから極端な話、襲は「カレンならばできて当たり前だろう」程度にしか考えていなかったのだ。高難度な術を行使している人物に大して余りにも傲慢で無責任な考えではあるが、この場においてはそういった心配は不要であった。
襲の心境を「信頼」という二文字で説明できるほどに、カレンの術式は洗練されていたのだから。
「始めるわよ」
カレンが指を内側へ折ると同時に白い珠は垂直に跳ね上がり、バス停の屋根に触れる直前に静止した。
宙で弾けるように砕け散り、光のシャワーとなって周囲に降り注ぐ。
シャワーを形成するのは数多の粒子、索敵の為に散布される詞素そのものだ。
拡散した光の粒はベールのように薄く広がったかと思うと、宙に溶け、急速にその色味を失っていった。既に肉眼では確認できないが、襲は詞素が広域に散布される様子を眼で『視て』追っている。
「有効索敵範囲はどれくらいだ?」
「そうね……体調によって数十メートルくらい前後するけど、大体半径六百メートルってところじゃない?」
何気ない様子でカレンが言い放った言葉に虚を突かれ、襲は目を丸くした。
「二年前までは精々三百メートルぐらいが限界だったんじゃないのか?」
「一応二年間でそれなりに実戦で経験積んだんだから、当然でしょ。
……それと、今術の制御に集中してるから静かにしててくれない?」
何が当然なんだ…?
術の効果範囲が倍以上になったことだけでも異常だというのに、それをさも当然の如く言い放つカレンの神経と構成術士としての才能を襲は疑った。
色々と言ってやりたいところだが、カレン自身から静かにするよう釘を刺されては致し方ない。取り敢えず、「円陣」の邪魔にならないように口を噤んで。
「―――見付けた」
索敵完了を告げる言葉に、襲は詰問する。
「どこだ?」
「怪しいヤツなら九時の方向に一人、十一時の方向に二人。それから十三時の方向に二人ね」
「だけど……」とカレンは言い淀み、若干の躊躇いを見せた。いや、むしろ躊躇いというよりは懸念していると言うべきだろうか?
襲が声には出さずに眉を顰めて表情で問い掛けると、カレンは少し言い淀むように答えた。
「よくわからないけど……そう、ちょっと人間らしくない…みたい」
「人間らしくない…?」
容量を得ないカレンの回答に、今度は声に出して襲は詰問する。
だが彼女の表情は曇ったまま相も変わっておらず。幾秒か目を閉ざし、より詳細な情報を得ようと意識を集中させているようだったが。
「生体電位とは違う、微弱な電磁波を放っているのはわかるんだけど、詳しい事までは流石に。
移動の動作が不自然だというか……もしかしたら『鎧付き』かもしれない」
「鎧付き……?コルメス奪回作戦でも見掛けた重装歩兵みたいな奴らのことか?」
「えっ、ええ……そう、ね」
襲の言葉に今度はカレンが眉を顰める番だった。
重装歩兵という言葉の意味がわからなかったわけではない。むしろ数々の実戦を経験してきた彼女にとっては大して珍しい用語でもなく、Lシールドと呼ばれる盾型のAIUを片手に行軍訓練に勤しむ軍人たちの姿を日常的に目にしてきたのだから、むしろ熟知していると言ってもいいかもしれない。
それでも彼女が眉を顰めたのは、二年前の「コルメス奪回作戦」で投入されていた兵士たちのことを思い出してのことであった。
彼らがハンニバルに潰され、殺され、喰われる光景を目の前で幾度となく目撃していた彼女にとって、聞いていてあまり気持ちの良い言葉ではない。
そういった気持ちもあって、カレンは無意識的に『鎧付き』という表現を選んでいたのだが、襲はそんな複雑な心境を知る由もなく。結果的に彼女の気分を害する結果となってしまったらしい。
そのことを“感じ取った”襲は、気不味そうに頭と瞼を伏せた。
「その……悪い、無神経なこと言って」
何の前触れもない襲の謝罪に、当の彼女が狼狽したのは言うまでもない。
紅蓮の構成術士たる少女は困惑の色を隠そうともせず、さっきとは違う意味で気分を害したようだった。
「な、何よ、いきなり。気持ち悪いわね……何か変なものでも食べた?」
「気持ち悪いってお前な……」
流石の襲も釣られたように不機嫌そうな表情を浮かべたが、不思議と口元は笑っている。
長い経験から、カレンがそんなに過去を引きずるタイプではないことを悟っていたのだろう。交わされた言葉はともかく、場の空気は柔らかなものとなっていた。
柔らかな――とは言っても既に二人の神経は戦闘体制へと移行していたため、鋭く張り詰めたような空気ではあったのだが。




