Act.34 斯くして少女は決意した
二千九十八年 三月二十九日。
とあるライブ会場の控え室にて。
手にした携帯端末の映像回線を一方的なタイミングで切断された少女は、憤りを胸に白い簡易テーブルへと突っ伏していた。
白のキャンパスには藍色の流線が引かれ、少女の思惑とは反した形で色鮮やかな色合いを浮かべている。夜の帳が降り始めた薄い夜空を思わせる配色は、少女の髪色によって描かれた軌跡。
だが、当の本人は曇り空のようなどんよりとした面持ちであった。
「襲さんのばか……」
唯は今、不機嫌であった。
先程まで泣きはらした顔を見たメイクスタッフに心配されながら、折角してもらったメイクを崩してしまったことに対して散々謝り倒した挙句、とても申し訳ない心境でメイクをやり直してもらっていた唯だったのだが…。
その後、他のスタッフの方々にも酷く心配されてしまい、更にいたたまれない心象へと追いやられていた。
どれもこれもあの人の所為だと、少女は頬を膨らませる。
これから人生初のライブだというのに、正直、出鼻を挫かれたような気分だった。
人の気持ちを全く考えていない性格だということは長い付き合いの中で少なからず把握しているつもりだったのだが、今回のことは流石に唯でも不機嫌にならざるをえなかった。
まったく、困った人だと、胸中で愚痴を零す。
「あんな人……もう、知りませんっ」
顔を伏せたまま右手を前へと伸ばし、テーブルの中央に置かれていたバスケットへと指を掛けた。
バスケットの中にはスタッフの方々に頂いたお菓子類が山のように堆く積まれており、唯はその中から銀の包み紙に包まれたチョコレートを手に取ると、包み紙をやや乱暴に開き、苛立ちを露にしながら茶色の塊を口の中へと放り込む。
糖分過多の物体をもぐもぐとやや大げさに咀嚼しながら、彼女はそれでも拭えない不安を整理しようと思考を巡らせた。
(昨夜の重力波反応に、今朝起きたウィスタリア全域での通信障害。
多分無関係ではないと考えるべきだけど、なんだろう、何か引っかかるような…?)
そう、暫く考えてみたところで。いくら考えても仕方がないことだと、唯は割り切ることにした。
気になるには気になるのだが、もとより状況把握能力に欠けている自分のことだ。現場に居もしないというのに大した予測が付くはずもない。
それに、こういった思考は兄に任せて問題ないだろう。
襲の後ろ姿を脳裏に思い浮かべながら、少女は火照った頬をテーブルに付ける。冷えた感触が心地良くほどよい眠りを誘うようであったが、不思議と睡魔はやって来なかった。
身体は疲れていないみたい。
やっぱり、疲れているのは精神の方?
唯は自身の体調について大雑把に診断しながら、深々とため息を零す。
襲の行動に大きな不安を抱えている唯だが、以前と比べればその心労も些かマシにはなっていた。そうと言うのも、“数年前までの言動を鑑みれば”今の襲はある意味角が取れた、と言うべきなのかも――しれないからである。
(カレンさんも一緒みたいだし、きっと大丈夫…ですよね)
カレンは世間で言う天才なのだと、唯は思っている。
事実、唯が幼少期の時には既に、彼女は「異例」とも言うべき速さで構成術士検定試験に合格しており、構成術士としての国際的なライセンスさえ持っていた。
構成術士検定試験とは他の職業と同じように構成術士という肩書き……というか、資格を獲得する為の試験である。厳密には構成術が使えれば構成術士には違いないのだが、あくまでも「自称・構成術士」という扱いになってしまうわけだ。
正式に認められれば国から毎年のように多額の補助金が支給される他、卒業後の就職活動(主に詞素学関連企業へのアプローチ)に有利になると言われている。
この試験は実戦的な場における構成術の行使能力が問われるものであり、詞素大学付属校などの入試試験で行われているような、「才能」だけを量るようなテストではない。
必要なのは実戦で使える程の実力と、実戦で臆さないだけの胆力。
構成術士の主な「用途」は戦いを前提とした軍事部門であり、見世物やスポーツ競技などの「仕事」ではない。ハンニバルに対する自衛能力としてならいざ知らず、国家間における軍事能力として扱われるような事態ともなれば、最悪、命の奪い合いを強制される可能性も考えられるだろう。
ゆえに構成術士に求められる「性能」は、判断力、洞察力、自制力等々。
精神面においても必要とされる能力は決して少なくはなく、詞素大学の卒業基準が構成術士検定に合格することである以上、一般的な中学生がおいそれと合格できるような広き門ではないことだけは明らかだ。
ここで問題とされているのは、年々構成術士の実戦投入年齢が低下しつつあることである。近今構成術士に必要とされる「性能」の中には年齢という概念は含まれておらず、これは軍事力の拡大あるいは自衛力の強化を目論む各国がそれを黙認している背景があった。
事実非公式ではあるが、兄は七歳にして実戦投入され、「兵器」として多大な戦果をEUGにもたらしていたという話を彼女は知人から聞かされていた。
それはともかくとして、カレンは構成術士としては既に超一流とも言える実力を有している。
最早飛び級で詞素大学に行ってもいいのではないのかと勘ぐってしまうところではあるが、詞素大学付属校には飛び級という制度はない。
これは構成術士の低年齢化を危惧した国の対策とも言えるが、日本国内でのライセンスはともかく、国際的なライセンスの獲得条件に年齢制限が設けられていない以上、大した意味もないと言わざるをえないだろう。
「力……か」
唯はチョコレートを掴んでいた掌をテーブルの上で開き、詞素を集め、蝋燭の炎でも吹き消すように握り潰した。
拡散した詞素が淡い緑光を放ち、彼女の身体を取り巻く。
膨大な詞素を有しその扱いを心得ている彼女でも、ライセンスを持っていなければ構成術士ではない。
だが別に、ライセンス自体に興味を持っているわけではなかった。兄は軍人ではないし、むしろ軍属の義務が生じるようなライセンスなど不要の長物もいいところだ。
必要なのは、将来、きっと起業するはずの兄の傍らに立ち、支え、必要とされるだけの力。
しかし、普通の中学生として暮らしている自分では、兄の力にはなれない。
何より、その傍に居られないことが少女にとっては耐え難い苦痛となっていた。
「寂しいなぁ……」
無意識のうちに溢れ出た感情の発露に、唯は顔を紅潮させ、パイプ椅子から垂れ下がる両足をばたつかせながら悶えることとなった。
彼女が全身を揺する度に腰掛けている椅子がギシギシと軋み、奇妙な嗤い声を上げているかのよう。
しばらくして羞恥心から立ち直った唯はバスケットへと再び手を伸ばし、半ば自棄になったような勢いでチョコレートを頬張った。
(あっ……そういえば、今朝アパートに届いてたあれって――)
視線が上がった拍子に、ふと、テーブルの上に置いてあったカバンの中身を彼女は思い出す。
ハッとしたような表情を浮かべ慌ててカバンへと手を伸ばすと、手繰り寄せたカバンを膝の上に置いて両手を突っ込み掻き回すように中身を漁る。
秩序だっていたカバンの中身がみるみる凄惨な混沌と化していく中、そんなことは気に留めていない様子の少女が探り当てたのは、簡素な包み紙に包まれたひとつの小さなカプセルであった。
カプセルと言うより、空き缶と表現した方が無難だろう。金属で作られたカプセルの見てくれは重厚な砲弾さながらであり、重さも存在感に見合うだけのものがある。
その側面に掘られていた文字は、
「Fパック……完成したんですね」
唯はカプセルを両手に乗せて顔の前まで持ち上げると、祈るような所作で、一気に大量の詞素をカプセルの中へと注ぎ込んだ。掌から放たれた詞素の奔流は金属の塊へと吸い込まれ、内部から小さな機械音を響かせると、カプセル全体に蒼の輝きが灯り――。
耳障りな金切り音を上げて、それは“起動”した。
「やったっ!」
思わず、唯はパイプ椅子を蹴飛ばして立ち上がっていた。
正体不明の装置が起動しただけでは正直多くの者が首を傾げるのだろうが、彼女は飛び跳ねんかの勢いで歓喜して。
不意に、会場から響いてきた歓声に顔を上げる。
ライブの開幕を目前とした観客たちが、何やらエキサイトするような出来事でもあったのだろうか?
普段通りの彼女ならば、そう冷静に推察したことだろう。
だが、まるで装置の完成を祝っているようだと、このときの唯は思った。この装置の完成が何を意味するのかを、知っているようだと。
もちろんそんなことはないのだろうが、何故か、不思議と堪えきれないほどの喜びが込み上げてきた。
彼女はこのカプセルの完成した本当の意味を、その「価値」を知っている。
何よりその偉業を成し遂げたのが兄だということを、この世で自分だけが知っていることに唯は言いようもない誇らしさを覚えたのだ。
胸が熱くなり、目尻から涙が溢れそうになる。慌てて自制を試みるも、湧き上がる喜びを完全に抑えることは難しかった。
おめでとうございます――と、声には出さずに呟いて。
唯はあることを決意した。
身に纏った白いワンピースの裾を押さえながら身を屈め、一粒のチョコレートを口にして。
口の中に広がるカカオの香りと染み込んでいくような甘味に頬を緩ませながら、彼女は顔を上げる。
やるべきことは沢山あった。
転校手続きに、引越しの手続き。後、お世話になった人達に、謝罪とお礼とお別れを伝えておかなければ。
それから、大好きな歌から身を引くことも。
だが不思議と、迷いも悲しみもなかった。そうしなければならないと、彼女は何故か、自然とそう考えるようになっていた。
これは決意とも言うべき感情。
発現した決意を胸に、何の前触れもなく開かれた扉へと目を遣った。マネージャーが自分を呼びに来たのだろう。扉の向こうに立つ女性へと歩み寄りながら、唯は頭を下げる。
眼鏡を掛けたスーツ姿の若い女性も釣られるように会釈して、二人の視線が揃った瞬間、パンッと胸の前で掌を打ち合わせた。満面の笑みを湛えながら、一際気合いの入った声で唯に告げる。
「さてっ、もう少しで始まるわよ?準備はいい?」
細胞技術の発達によって半世紀程前から既に視力矯正治療がひとつの完成形を迎えた今日において、近視という難病(?)は既に克服されていると言える。
もちろんメガネやコンタクトレンズなどの視力矯正器具は過去の遺物となっているはずなのだが、唯のマネージャーを務めている早坂祢々という二十半ば程の女性は、シャープな曲線が特徴的な黒縁のメガネを掛けていることが多かった。
恐らくはファッションのひとつなのだろうと、唯は認識している。何よりキャリアウーマン然とした立ち姿からして、メガネが不思議と良く似合う女性であったのも確かだ。
「はいっ、あの……祢々さん」
「うん?」
神妙な面持ちで切り出されたことに意外感を覚えたのか、先程の惨劇(唯が突然泣きはらした顔でスタッフルームを訪れたことで巻き起こされた大騒動のこと)を思い出し反射的に身構えてしまったのか。
祢々の返事は間の抜けたものとなっていた。
唯が祢々の表情の綻びに気づいたのか否かはともかくとして。
改めて頭を下げながら放たれた言葉は、双方にとって、大きな意味を成すものであった。
「“今まで”大変お世話になりました!」
「………え?」
晴れやかな笑顔で告げた後、唯は祢々の返事を待たずに彼女の脇を通って控え室を後にした。今までにないほどにキョトンとした表情を浮かべる祢々の横顔には目もくれず、彼女は一心に廊下を駆け抜ける。
弾む息に乗せられて。
唯の口から自然と、兄のことが呟きとなって放たれた。
「待ってて下さいねっ、お兄さん!」
背後から掛かる祢々の制止の声にも振り返らず。
彼女は――、
雨宮唯は「新たなステージ」へと駆け出していた。




