Act.33 黒き呪きき
二千九十八年 三月二十九日。
カフェテリア「REQUIARE」にて椿と襲との間で一悶着起きた際、桐月梓という少女は噴水の縁石に腰掛けてその様子を遠方から眺めていた。
クリームがかった茶髪から覗く紫色の双眸には、椿と、そして見知らぬ黒髪の男の姿が映し出されている。
(椿を見つけたのはいいけど……隣にいるのは…)
剣戟部の部活見学をしたいと、待ち合わせをお願いしたのは梓の方からだったこともあり、多少待たされるのは致し方ないことだとは思ってはいたのだが。
(椿が……泣いてる!?)
梓が少し目を離している隙に、何故か椿が泣き出しているようであった。
その脇で先程の男が動揺していることから察するに、どうやら犯人はあの目付きの悪いゴロツキ(死語)らしい。
本来ならば知り合って間もない自分が椿のプライベートに干渉するべきではないのだろうが、流石に友人が泣いている姿を黙って見ていられるほど、梓は堪え性ではなかった。
「一体、そこで何をしているんですか?」
気がついた時には既に、梓の足はカフェテリアの中にまで進んでいた。
激情に身を任せ黒髪の男へと詰め寄ると、ちらりと視線を椿へと流しつつ彼女を庇うような立ち位置をキープする。
「え……?梓?何でここにいるの?」
目元をハンカチで拭っていた椿が呆けた表情で梓へと声を掛けた瞬間、目の前に立つ男の表情が僅かながら曇ったように梓は感じていた。
「何でって……私の方から部活動見学に行きたいって誘ったんでしょう?来るのは当然だと思うのだけれど。
それとも私が、自分からした約束を破るような人間に見える?」
「あっ、それもそうだったね。えへへ、ゴメン」
椿がどこか抜けているということは、短い付き合いながら何となくは理解できていたものの、流石に今の反応はため息を零したくなる。
「はぁ……それより、この犯罪者面は何?」
「………。」
態と当人にも聞こえるように口を開いたのだが、対面する男の表情には若干の苦笑が滲んでいるだけのように思えた。
「え?……もしかして、シュウのこと?」
小首を傾げながら訊き返してきた椿に顔だけを向けつつ、梓は醒めた表情で答えた。
「ジョンだかチュウだか知らないけど、取り敢えずこれのことよ」
あくまでも目線を合わそうとはしない男の態度に苛立ちを覚えながら、梓はその眼前へと人差し指を突き付ける。
「待ち合わせ場所に居ないと思ったら……。
椿、私が口を出すのはお門違いかもしれないけど、付き合いは選んだ方が良いわよ」
「う、うん……うん?」
この時椿が返したのはいわゆる生返事の類であり、決して梓の意図を悟り了承したわけではない。
だが梓はそれを都合良く解釈していた。襲にとっては、非常に都合が悪い方向で。
「あの、すみません。梓さん…でしたか?何か重大な誤解をされているのでは…」
ここでようやく、犯罪者面の男。もとい雨宮襲が口を開いた。
だが梓の怒りは未だ最高潮であり、話を聞くつもりなど毛頭ない。
「取り敢えず百十番しましょう」
「えぇっと、取り敢えず話だけでも……」
ゴロツキの割には言葉使いが丁寧ね、などど奇妙な意外感を覚えつつ、梓は制服の内ポケットに入っていた携帯端末型と腕輪型のAIUを取り出していた。
「仕方ないですね。なら場所を変えましょう。ここからだと……中央警察署が近いわね」
「いや、それは話し合いではなくて取り調べですよね……。法に触れるような行為は何もしていないのですが」
「いいえ、明らかにしていますね。婦女暴行。脅迫。公然猥褻。威力業務妨害。他十四件」
俺の知らない所で何があった……?
驚愕に目を剥いている襲をじろりと睨み、椿は淡々と続けた。
「文句があるなら続きは法廷でお聴きします」
冷ややかな紫の瞳は射竦められ、襲は気不味そうに口を閉ざす。
されど、それで諦めるような襲ではない。冷や汗を滲ませつつも彼は反駁を述べることとした。
「全く心当たりがないのですが…。少なくとも、服は着ていますから公然猥褻は流石に――」
他の罪状について弁解しない辺り、既に自虐の域に片足を踏み入れつつある襲であったが、それでも、彼にとっては紛れもない本音であり事実でもあったのだろう。
一方、梓には白々しい嘘のように聞こえていたのか。返された言葉も、心なしか鋭さを増していくようであった。
「その目付きでは周囲を視認するだけでセクハラです。視姦行為です。
一呼吸すれば大気を汚染し、一言喋れば静穏保持法に違反します。後、肌を外気に晒してきるだけで猥褻物陳列罪ですよ。周囲の景観を害さないでください、この犯罪者」
半目のまま凝視してくる梓に対して襲が抱いた感情はお世辞にも良いものとは言えず、残念ながら(幸いにして?)女性に罵倒されて興奮するような性癖を持ち合わせていない以上、梓に対して悪印象を抱くのも致し方ないことと言えた。
(初対面の相手に辛辣過ぎる。その点、どっかの誰かさんと類似しているな。
絶対友達いないだろ……あ、いるからここにいるのか。畜生、俺なんか友達一人もいないぞ。別に欲しくはないが)
嫌悪感を覚えるのと同時に襲が行ったのは、胸中で一人ボケをかます……という、一種の感情の昇華――もとい、消化活動であった。そうすることで自身の理性を保つ狙いがあった……わけでもないが、気を紛らわす為の思慮であったことには違いない。
しかしAIUを構え既に戦闘態勢へと突入している梓に反論することは、実力行使の危険性がある以上、流石に賢明な判断とは言えないだろう。
「ちょっ、ちょっと梓っ。シュウは別に悪い人じゃないよ!?」
いい加減紳士的な態度を維持することに面倒臭くなり始めていた襲へと救いの手を差し伸べてくれたのは、良くも悪くも、騒動の引き金となった椿その人であった。
「で、でも椿泣いてたじゃない」
椿の態度に梓が動揺を示したのは、恐らく自分が過干渉し過ぎたかもしれないという深層心理が働いたからに相違ない。それは襲にも理解できた。だが、
「えっ!?あ、あれはその色々あってですね……」
この時椿が動揺を示したその心理は、襲には良く理解できなかった。
一方、椿の曖昧な言動に梓が懐疑心を露にしたのは至極当然のことなのかもしれない。
「色々って……この変態ッ」
(おや?何故か事態が悪化している気がするぞ)
精神的には既に吐血しそうな心持ちではあるが、襲は何とか堪えていた。
だが襲の努力とは裏腹に事態は更なる悪化を続けるらしい。椿が目尻に雫を浮かべたまま口にしたのは、誤解を招くには十分過ぎるものであった。
「べ、別に酷いこと何かされてないよ?確かについさっき捨てられはしたけど……。
でも、シュウが別れようって言ったのに、私が無理に引き止めようとしたから……私が悪いんだよ」
察するに、彼女に言う『さっき』とは襲がトラックに轢かれそうになった時のことを示しており、『捨てられた』とは襲が椿をベンチへと投げ捨てたことを言い表しているのだろう。後、『別れよう』とは言ってない。ここ凄い重要。
しかし、
(捨てられたっ!?まさかこの男ッ…!)
文面だけみれば、深刻な勘違いを招くには十分過ぎる言葉であった。
いわゆる、男女間のトラブル、という主旨で。
「帰ってッ……」
誘発された呟きには、明確な敵意と憎悪が滲み出ていた。
「帰りなさいって言ってるのよ!」
梓の叫びに呼応するかの如く、襲へと突き出された少女の右腕に光の剣が形成された。
細身の刃を構築するのは立体格子状に結合された詞素であり、篭柄のサーベルを彷彿させる造形は構成術によって創られたものである。
「あ、梓っ!?」
襲が椿の声を耳にしながら周囲を見回してみると、店内にいる生徒の多くが何事かとこちらを注視していた。
思わずため息を零しそうになりながら、襲は琥珀色の瞳に不安そうな色を浮かべている椿を視野に収める。
「わかりました。失礼させていただきます」
これ以上面倒事は避けたいという心情に基づき、襲が取った手段はこの場からの可及的速やかな撤退であった。
「シュウさん、あのっ…!」
浅く頭を下げた後、カフェテリアの扉を押し開け出て行った襲の背中へと椿が制止を掛けようとする。
その眼前へと手を翳し、梓は小さく首を振った。
「放って置きましょう。あんなのと関わりなんか持たない方が良いから」
「で、でも、私……」
琥珀色の瞳を伏せる椿の心情は、これ以上ないほど混乱を来たしていた。
命の恩人に対して友人が敵対心を露わにしている。その事実に対して、当事者であるはずの自分が納得のいく理由を想起出来ていない。
困惑と不安は痼りとなって、椿の喉を圧迫する。
(やっぱり私の所為……だよね)
しかし梓から言わせれば、シュウという男は己の友人を惑わせ、泣かせた悪人でしかない。
挙げ句果てには謝罪すらせず、悪びれた様子など微塵も見せなかったのだ。
許せるはずなど、ない。
例え、それが、自分の勘違いだったとしても。
(椿は私が守らないと……)
過去からもたらされる男性像に対して、梓は憎しみしか抱いていない。
その事実が何を意味しているのか…。椿はまだその感情の存在にすら気づいていなかった。
襲が反論を諦め早々に踵を返したのも、梓の構成術に込められた思念波に彼がただならぬ憎悪を感じ取った為に他ならない。
そう――。その異質さを少女のアメジスト色の双眸の奥に、襲は確かに『視い』出していたのだ。
暗く澱み、歪んでいる。
襲が抱いたのはこのままでは不味いという危機感と、若干の懸念、であった。
この時抱いた不安が、後に現実のものになるのではないかと――。




