Act.24 フォノンアーツ <5>
「勝者、雨宮襲」
興奮を押し殺したようなそんなベリルの宣言に、襲は無感情で頭を下げた。
勝利の余韻を噛み締める素振りもなく踵を返したその背中を見遣りながら、客席から試合を見ていた三人は一様に驚きの色を露わにしていた。
「紗雪、今のはまさか……」
「ああっ。今アイツが使った構成術、間違いなく『神衣』だ」
同様を隠せないでいる鷹明に対し、紗雪の表情には驚愕よりも好奇の色が強く滲んでいる。
「カムイって確か紗雪も使ってる構成術だよね?肉体に電気的な負荷を掛けることで超人的な挙動を可能にする術だとかなんとか……詳しくは知らないけど。一体どんな原理なの?」
明日香の詰問に対し、どう答えるべきかと悩んでいた紗雪に代わり、鷹明が口を開いた。
「そもそも肉体は外部からの刺激に対して、イオンチャンネルと呼ばれるイオンを受動的に透過させるタンパク質を開閉させ、膜電位を偏移させることで筋細胞を刺激し、様々な反応を引き起こしている。ここまではいいか?」
「……えへへ、よくわかんないです」
頬を掻きながら返された答えに、鷹明は若干表情を歪めたが。咳払いを一つした後、「わかりやすく言うとだな…」と再び解説を再開した。
「『神衣』は、肉体に詞素を巡らせる際、肉体への外的刺激などに応じて擬似的な生体電流を発生させるよう詞素の性質変化を行っておくことで、術者に超人的な反射運動を実現させる術式だ」
「……ん――と。じゃあ『神衣』は、術者の思念波とか神経系から送られる情報に応じて、全身に吸蔵させた詞素が筋組織に自動的に電気信号を送り込んで半強制的に肉体を動かす構成術……ってこと?」
明日香が疑問符を浮かべながら答えた言葉に小さく頷いて一応の同意を見せてから、今度は紗雪が説明の補足を行った。
「『神衣』は術者が“殴ろう”と思考した瞬間、状況に応じて最も最適化された挙動を肉体に強制し、対象を半自動的に“殴る”ことができる。もちろん、術者が実際に身体を動かす必要性はない。勝手に動くだけだからな。
また一定速度以上で接近する物体を視覚情報から捕捉した場合も、術者が気づいていない場合は自動的に回避行動を引き起こし、気づいていたとしても物体の運動エネルギーが一定以上と判断されれば術者の意思に関係なく強制的に回避行動を引き起こす。
……まぁ一言で言うなら、無条件反射の類を超越した反射の究極系、みたいなもんだな」
紗雪の説明を聞きながら、明日香はブレザーを羽織り始めた襲の姿を視線の先に捉えていた。
先の挙動。ダリウスの拳を避ける瞬間と、その後拳を突き出した際に見えた蒼の閃光。
それが紗雪の言うように電気的な負荷を掛けた際に生じる放電現象の一種なのだとしたら、素直に納得もできるし理解もできる。でも、それでもまだ気になることが明日香にはあった。
「でも、AIUもなしによくそんな複雑な構成術使えたよね。カムイってかなり高難易度の構成術なんでしょ?」
「ああ、学生で使えるだけでも驚きだが……」
そこで意味深に言葉を切った鷹明に代わり、紗雪がさばさばとした明るい口調で言った。
「まぁそれは後々聞けばいいだろ?アイツの実力が確かだったってことだけは、今の戦いからわかったしな」
紗雪の言葉に対し、明日香と鷹明は釈然としないような表情で頷いた。
◇◆◇◆◇◆◇
歩幅を狭めることなくコート脇へ向かった襲は、ブレザーの上に置いておいた貴重品をズボンのポケットに押し込み、畳んで置いてあったブレザーを羽織った。
直後、襲はある重大なことを思い出していた。同時に、全身に抑えきれないほどの悪寒が走る。
(そういえば唯から貰ったハンカチ、椿に渡したままだったな。不味い、唯にバレたら確実に不味いことになる…)
今から無理を言って返してもらうべきか?
試合直後に全く別の懸案に悩まされるあたり、ある意味大物な(?)襲だったが、彼女たちがあの後どこへ向かったのか襲は知らない。
似た様なハンカチを購入して誤魔化すという手もあるにはあったが、バレたら確実に血祭りになるだろう。……自分が。
そうして目一杯動揺したところで。
経験上、これ以上考えているとこちらの動揺を感付いたかの如く唯の方からやって来てしまう危険性があったので、取り敢えずは当初の目的を。ダリウスに宛行うタオルの替わりになるものを探すことにした。
「かかりちょー、大丈夫?」
しかし客席から飛び出した明日香が濡らしたタオルを片手に、倒れたまま意識が戻らないダリウスへと駆け寄って行くのが見えた為、幸いにしてその必要性はなくなったのだが。
やることがなくなった襲は仕方なく、自分もダリウスのもとに歩み寄る。
「大丈夫ですか?」
「ええ、多分気を失ってるだけだと思う…」
一応礼節を弁えた問い掛けを口にすると、ダリウスの額に濡らしたタオルを宛がっていた明日香が不安を滲ませた声音で答えた。
身体を動かしては不味いと思ったのだろう。酷く慎重な手付きである。
「恐らくは軽い脳震盪だと思いますが…。申し訳ありません、つい熱くなってしまって」
「いや、謝る必要はありませんよ。これは模擬戦ですし、怪我は付き物です。
それより雨宮さんは大丈夫ですか?随分と打たれたように見えましたが」
襲の謝罪に答えたのは明日香の脇に立っていたベリルだった。ダリウスのことはちらりと見ただけで、襲の容態を案じてくる。
それに対して襲はひらひらと腕を振って、
「身体だけは丈夫にできてますから。まぁ、流石にダリウス先輩の正拳突きを食らったときは痛かったですけど」
「あれは粒子格闘術と呼ばれる『詞素装甲』の形態変化術の一種ですよ。
あの馬鹿、手加減なしで打ちましたからね……ちょっと両手を見せていただけますか?」
有無を言わさず…といった様子でベリルは襲の手を取ると、上着の袖を丁寧に捲り上げた。
その下の皮膚を見た瞬間に、彼女の表情が変わる。
「これは……」
彼の両腕には怪我一つない。
それどころか、ダリウスの「詞素装甲」を攻撃した際に負ったはずの火傷の痕すら残っていなかった。
だから言ったでしょう?とでも言いたげな視線を襲が浮かべると、ベリルは苦笑しながら彼の腕を離した。
「骨は元から折れていなかったようですが、火傷の痕まで残っていないのは……」
「まぁまぁベリル、詳しいことはまた後で聞けばいいだろ?それよりそろそろ後片付けを始めないと次の人に怒られちまうぞ?」
そう言ってベリルの詰問を遮ったのは紗雪だった。
ぐるりと競技場を見渡して、凄惨な有様を顎で示す。釣られるように視線を巡らせた後、ベリルは渋々といった感じで頷いて。
コート脇にある壁面コンテナへと歩み寄り、細くしなやかな手を伸ばした。手を翳してAIUに思念波を送る。幾度か試した後に、彼女は首を傾げた。
「反応しませんね……気弾でも命中したんでしょうか?」
「なら俺が直しておこう。コンテナは直せないが、実技棟の材質は理解している」
淀みなく明言したのは鷹明だった。彼は左腕に嵌めたAIUを起動して、右腕をコートの床に付ける。
瞬間。鷹明の掌を中心に、床を、壁を蒼い電流が這うように迸った。
競技場全体が淡く青白い輝きに包まれ、まるで時間を巻き戻していくかのように競技場の彼方此方に生まれていた戦いの痕跡が修復されていく。
(凄いな……あんなことまでできるもんなのか)
構成術の基本は、詞素の性質変化と操作。
だが、正確には違う。
構成術とは、思念波によってこの四次元空間(膜宇宙)。即ち高次元空間構造に干渉し、その構造を変化させることで任意の物理現象を引き起こす技術である。
それは詞素という粒子を構築する高次元空間構造のみならず、あらゆる粒子の高次元空間構造に当て嵌ることだが、こうした各高次元空間構造は単一の存在ではない。
それは物質ではなく『空間』そのものであり、複合的で、独立した存在ではないからである。
しかしこうした表現はあまり一般では理解し難いものがある為、構成術士達は構成術の定義を宇宙というプログラム情報体、つまり「『情報体』を改竄する技術」だと例えた。
膜宇宙(Brane)を揺らす者(Drums)。
ゆえに構成術士(Brane Drums)、実に単純である。
又々閑話休題―――。
とまれ、鷹明は己の詞素を競技場内に散布し、超衝撃吸収ナイロンに吸蔵。吸蔵させた詞素を操作することでその分子結合を変化させ、超衝撃ナイロンの分子構造を試合前のものへと復元したわけだ。
流石に摩擦熱で溶け出したものまで修復するのはやはり難しかったようだが、多少の焦げ跡を残してほぼ完全な修復を見せている。壁にできたクレーターも元通りに修復されていた。




