Act.23 フォノンアーツ <4>
発動した構成術に従って展開された粒子の衣がダリウスの身体を覆うや、咆哮するように彼は宣言する。
「行くぞッ!」
ダリウスの言葉は襲から見て五メートル以上離れた場所で放たれたものであったにも係わらず、最後の一言を言い終わる前には、ダリウスの右拳は襲の顔面へと振り抜かれていた。
瞬間移動と見紛う速度に、襲の表情に僅かな緊張の色が走る。だが飛び退きはせず、襲はダリウスの懐へ潜り込むように距離を詰めた。
拳程の隙間の中で腰を捻り、右手をダリウスの鳩尾へと突き立てる。
「――っ!」
しかし顔を顰めたのは打たれたダリウスではなく、打った襲の方であった。
肉の焼けるような匂いと共に拳を引き、襟首を掴もうと伸ばされたダリウスの左腕を掻い潜るようにしてその懐から脱出する。
台風の目から弾かれたように飛び出した襲とダリウスの間合いは一瞬でかなりの距離まで開いていた。
襲はダリウスに打ち込んだ右手を見遣り、皮膚が焼け爛れているのを無表情に確認する。
高エネルギー粒子と化した詞素は大抵の場合、強力な力場を持つと同時に高温であることが多い。彼自身もそれを覚悟の上で打ち込んだのだが、予想以上にあの鎧は硬かったようだ。
拳を伝う血の雫を、手首を振って落として。
襲は眼前まで突進してきたダリウスの拳を焦らず横へ跳んで躱した。避けざまにガラ空きになった項へ手刀を振り下ろす。だが、やはり好ましい感触は得られない。
拳を振り抜いた反動を利用して放たれたダリウスの裏拳を身を屈めてやり過ごしてから、襲は右足でダリウスの顎を蹴り上げた。流石に効いたのだろう。呻き声を上げて後退したダリウスの肝臓付近へと、襲は踏み込みと同時に角度を付けた左拳を叩き込む。
ダリウスの肺から苦しげに空気が漏れたものの、大して怯んだ様子はなく。巻き込むように繰り出された拳を左右への体捌きでやり過ごしながら、襲は焦り始めていた。
(流石に硬い…!)
ダリウスの纏う「詞素装甲」に対して、素手での殴打は明らかに威力不足だった為である。とは言え、銃弾を受けても怯まないであろう相手に素手でそれなりのダメージを与えているのだから……彼の筋力も尋常ではないのだが。
それはともかくとして、有効打に欠けているのは事実だった。
勝利条件は相手に三ポイント失点させれば良いだけなのだが、己の実力を示さなければならない以上、相手の反則を誘ったり枠線外に吹き飛ばすのは好ましくはないだろう。
つまりこの場において求められるのは、相手を戦闘不能に追い込むか、敗北宣言させること。
ボクシングの試合のようにポイントを取り合うのではなく、KOで白黒ハッキリさせる必要があるというわけだ。
(あれを使うか…?)
ダリウスの回し蹴りをその場で屈んで遣り過ごしながら、一瞬、彼の思考の中である考えが過ぎった。
しかし、すぐに胸中で頭を振る。
今この場で手の内を見せるには“早すぎる”。
襲はダリウスの脇腹に貫手を突き立てながら、後ろ足で後方へと跳躍した。
「逃がすかよッ!」
しかし、獲物を逃がすほどダリウスも甘くはない。
襲の両足が地面に着くよりも速くに、ダリウスは着地地点を先読みして跳躍。全力で拳を振り抜いていた。
着地直後では避けられないとみるや、襲は両腕を交差して防御する姿勢を取る。その防御を打ち抜くつもりで、ダリウスは詞素を圧縮させた正拳突きを放った。
分厚い装甲板さえ軽々と打ち抜くであろう一撃に、凄まじい爆音と衝撃波が発生する。
着地と同時、後方へ跳んで威力を和らげていたはずの襲の身体が弾かれたように宙を舞った。
耳朶を打つ爆音に、明日香が息を呑む音が混じった。
反射的に何かしようとしたようだったが、紗雪が手を翳してそれを制する。
「ぐっ……」
吹き飛ばされつつも空中で体制を立て直した襲を襲ったのは、ダリウスの掌から放たれた緑色の光弾だった。
「詞素装甲」を形態変化させ、掌の中で圧縮。それを弾丸のように射出する「気弾」と呼ばれる高等技術である。
身を捻り、拳で弾道を逸らす。
一連の作業に襲が追われている中、ダリウスは襲が着地するであろうポイントへと再び駆け出していた。
死角から隙だらけの背後へと回り込み、詞素を纏わせた拳を突き出す。それを見ずに察知した襲は着地の寸前で身を捻り、背後からの一撃をやり過ごした。しかし空中で無理に体制を変えたことが不味かったのか、着地の際に僅かに体制を崩していた。
その一刹那の隙を突いて放たれたダリウスの蹴りが、襲の身体を中心に捉えた。
防御する暇もなく。勢いよく吹き飛んだ襲はそのままコートの枠線間際まで吹き飛ばされる。
ダリウスはその間に一蹴りで距離を詰め、襲の姿を一瞬視界に収めていた。
(速攻で決める!)
不思議と出血がほとんど見られないが、全くの無傷というわけではなさそうだ。
何より、追い詰められてもなお闘志を感じさせる少年の眼付きにダリウスは感嘆した。
闘志には闘志で応える。
ダリウスは全身の詞素を一点へ、右手へと収束させた。
眩い緑光を放つ粒子と右拳とを腰で溜め、圧縮する。
(これで……終わりだッ!!)
凄まじい力場を獲得した正拳突きを、襲へと突き出す。
先程放たれた正拳よりもより速く、硬く繰り出された一撃。
その光景に目にしたベリルが試合を中止させようと床を蹴った。瞬間、競技場全体が激震と爆風に見舞われた。
爆弾が炸裂したような閃光と爆音が鳴り響き――、
ダリウスの拳は襲の姿を捉えていなかった。
「なっ―――!?」
数メートル先にあるはずの競技場の壁、即ち超衝撃吸収ナイロンには、先の一撃で放出された詞素によって深々とクレーターが穿たれている。
合成繊維が焼ける異臭が鼻を突くが、ダリウスの脳はそんな些細なことを気にしている余裕はなかった。
(どこへ消えた…!?)
しかし、襲はダリウスの予想に反して近くにいた。と言うより、ダリウスの脇。振り切った右腕のすぐ向こう側に、左拳を胸の前で構えて立っていた。
構えた拳には何故か静電気にも似た僅かな霊光が奔っており、こちらを凝視してくる紫色の瞳には無機質な光が灯っている。
「チィッ……!」
その威圧感に動揺しつつも、ダリウスは慌てて戦闘態勢に入る。
だが、あろうことか。
襲はその場で身体を百八十度反転させ、ダリウスに背中を向けた。
そのまま振り返る素振りもなく、悠然とした足取りで颯爽とコートの外へと歩いて行く。
戦闘放棄。
その四文字が脳裏を過ぎり、ダリウスは激昂を露わにした。
感情に身を任せ、襲の背中を掴もうと、彼が右手を伸ばした瞬間、
「あ……?」
突き出された右手は空を切り、ダリウスの身体と意識は暗闇に沈んだ。




