【5話】悪役令嬢、初めての謝罪
「あなたに、どうしても謝っていただきたい人がいるんです」
リリアの言葉に、私は思わず聞き返した。
「謝っていただきたい人……?」
「はい」
リリアは少しだけ迷った様子を見せたあと、静かに口を開いた。
「私の友人です。彼女は以前、あなたにひどいことを言われました」
……やっぱり。
私が知らないところで、エリザベートは多くの人を傷つけていたらしい。
「その方は、今もこの学園に?」
「はい。ただ、あなたと顔を合わせることを怖がっています」
それも当然だろう。
過去に自分を傷つけた相手と、もう一度会いたいと思う人なんてそうそういない。
「お名前を聞いてもよろしいかしら?」
「アンナ・ベルクさんです」
アンナ・ベルク。
その名前を聞いて、私は記憶を探った。
……思い出せない。
ゲームの登場人物だっただろうか。
いや、少なくとも攻略対象や主要人物ではなかったはずだ。
つまり、ゲームでは描かれなかった人物なのかもしれない。
「アンナさんは、以前からリリアさんと仲がよろしいのですか?」
「はい。私がこの学園に入る前から、ずっと仲良くしてくれています」
リリアは少しだけ表情を曇らせた。
「私が平民出身だということを理由に、周囲から嫌なことを言われたときも、アンナはいつも助けてくれました」
なるほど。
エリザベートがリリアを嫌っていた理由は、身分の違いだけではなかったのだろう。
そして、その友人であるアンナも巻き込まれてしまった。
「以前、アンナが私をかばってくれたことがあったんです。そのとき、あなたは彼女に……」
リリアは言葉を止めた。
「『身の程を知りなさい』と。そう言ったんです」
……。
何も言えなかった。
その言葉は、今の私がどれだけ否定しても消えることはない。
「そう、ですか」
「アンナは、あのときから人前で話すことを怖がるようになりました」
リリアの声は震えていた。
「だから、私はあなたに謝ってほしいんです」
私はゆっくりと息を吸った。
そして、リリアに向き直る。
「分かりました。アンナさんに会わせていただけますか?」
「本当に……?」
「ええ。ただ、無理に会っていただく必要はありません。アンナさんが望まないのであれば、私はそれを尊重します」
リリアは少し驚いたようだった。
「……分かりました。本人に聞いてみます」
「ありがとうございます」
そう答えると、リリアは小さく頭を下げて、セシリアのもとへ戻っていった。
***
「お嬢様」
食堂を出たところで、マリアが声をかけてきた。
「少し、よろしいでしょうか?」
「ええ。どうしたの?」
「先ほどのお話ですが……」
マリアは言いにくそうに視線を落とした。
「アンナ様のことは、私も覚えております」
「そうなの?」
「はい。以前、アンナ様はお嬢様に何度か注意をされていました。リリア様をかばったことが理由だったと記憶しております」
やはり、そうだったのか。
「そのときの私は、どんな様子だった?」
「……大変厳しい態度を取られていました」
マリアは少し間を置いて続けた。
「私も、止めることができませんでした」
「マリアのせいじゃないわ」
「ですが、私はお嬢様のおそばにいたのです」
「それでもよ。悪いのは、そんなことをした私自身だもの」
マリアは何も言わなかった。
私は窓の外に目を向ける。
青い空の下、学園の生徒たちが楽しそうに歩いていた。
あの人たちにとって、私はどんな存在なのだろう。
美しい公爵令嬢?
それとも、関わりたくない恐ろしい人間?
……考えても仕方ない。
今の私にできることは、一つずつ向き合うことだけだ。
「マリア」
「はい」
「私、アンナさんにきちんと謝りたい」
「……はい。お嬢様なら、きっと大丈夫です」
「ありがとう」
そう言って微笑んだものの、胸の奥には不安が残っていた。
謝罪すれば許してもらえる。
そんな簡単な話ではない。
それでも、逃げたくはなかった。
***
翌日。
私は教室に入ると、すぐにリリアの姿を探した。
彼女はセシリアと一緒に窓際の席に座っていた。
私に気づいたリリアが、こちらへ近づいてくる。
「エリザベート様」
「おはようございます、リリアさん」
「おはようございます。昨日のお話なのですが……」
リリアは少し緊張した様子で続けた。
「アンナと話をしました。今日の放課後なら、会ってもいいそうです」
「そうですか。ありがとうございます」
「ただ……アンナは、あなたを許すつもりはないと言っていました」
「構いませんわ」
私は静かに答えた。
許してもらうためだけに謝るのではない。
自分がしてしまったことに、きちんと向き合うためだ。
「それでも、会っていただけるだけで十分です」
リリアは少しだけ驚いたように私を見つめた。
「……分かりました。では、放課後に」
「ええ。よろしくお願いします」
そうして、約束は決まった。
しかし、放課後までの時間は、いつも以上に長く感じられた。
***
放課後。
私はリリアに案内され、校舎の裏手にある小さな庭園へ向かった。
そこには、一人の女子生徒が立っていた。
栗色の髪を肩まで伸ばした、少し控えめな印象の少女だった。
「アンナ」
リリアが声をかける。
少女は振り返り、私の姿を確認すると、明らかに表情を硬くした。
「……エリザベート様」
「初めまして。エリザベート・フォン・ローゼンベルクです」
「知っています」
短い返事だった。
私は一歩前に出る。
そして、彼女の目を見て、深く頭を下げた。
「以前、あなたにひどい言葉を浴びせたこと、本当に申し訳ありませんでした」
庭園に静寂が流れる。
「身分を理由にあなたを見下し、傷つけてしまったことを反省しています。どれだけ謝っても、あのときの言葉を取り消すことはできません」
私は頭を上げた。
「本当に、ごめんなさい」
アンナは何も答えなかった。
しばらくして、彼女は静かに口を開いた。
「……どうして、今さら謝るんですか?」
その声には、怒りと戸惑いが混ざっていた。
「以前のあなたは、私が何を言っても聞いてくれませんでした」
「……はい」
「私が泣いても、謝ってくれませんでした。それなのに、どうして急に変わったんですか?」
当然の疑問だ。
私だって、同じ立場ならそう思う。
「正直に言います。今までの私は、自分のことしか考えていませんでした」
「……」
「ですが、もう誰かを傷つけるようなことはしたくありません。だから、まずは自分がしてきたことと向き合いたいと思っています」
アンナは私をじっと見つめていた。
やがて、小さく息を吐く。
「私は、あなたを許せません」
「はい」
「これからも、あなたを信用できるか分かりません」
「それで構いません」
アンナは少しだけ目を伏せた。
「……なら、これからのあなたを見ています」
それは許しではない。
仲直りでもない。
ただ、これからの行動を見てくれるというだけだ。
それでも、今の私には十分だった。
「ありがとうございます」
私はもう一度、深く頭を下げた。
***
帰り道。
「お嬢様」
隣を歩くマリアが声をかけてきた。
「今日のお嬢様は、とても立派でした」
「そうかしら?」
「はい」
「でも、許してはもらえなかったわ」
「それでも、謝ることができました」
マリアの言葉に、私は少しだけ笑った。
そうだ。
すぐに結果が出るわけではない。
一度失った信頼を取り戻すには、時間がかかる。
それでも、一歩ずつ進むしかない。
……よし。
明日からも頑張ろう。
そう決意した、そのときだった。
「エリザベート嬢」
背後から聞き覚えのある声がした。
振り返ると、そこにはアルベルト王太子が立っていた。
「アルベルト殿下?」
「少し話がある。時間をもらえるだろうか」
また何かしら。
まさか、婚約についての話?
いや、今度こそ婚約解消の話だったりして……。
そんな不安を抱えながら、私は彼の前に立った。
「もちろんですわ」
アルベルトは私を見つめ、静かに告げた。
「君に、王宮へ来てもらいたい」
……王宮?
ちょっと待って。
私、まだ入学して数日しか経っていないのだけれど。




