【2話】嫌われ者の悪役令嬢
「……どうしましょう」
私は机の上に置かれた手紙を見つめていた。
そこには、王太子アルベルトからの短い招待が記されている。
『入学式当日、君に紹介したい人物がいる。必ず来るように』
何度読み返しても、文章は変わらない。
紹介したい人物。
そんなもの、一人しか思い浮かばない。
ゲームの主人公、リリア・フローラ。
本来なら、ここでエリザベートが彼女に嫉妬し、嫌がらせを始める。
そして、それが後々の断罪につながっていく。
つまり、この出会いこそが破滅への第一歩なのだ。
「絶対に失敗できないわね……」
私は小さく呟いた。
今回の目標はただ一つ。
ヒロインと仲良くなること。
そうすれば、少なくとも嫌がらせをしたという罪はなくなるはず。
うん。
我ながら完璧な作戦だ。
「お嬢様、お支度が整いました」
「ありがとう、マリア」
私は鏡の前で最後に身だしなみを確認する。
金色の髪は綺麗に整えられ、淡い青色のドレスが身体を包んでいる。
どこからどう見ても、完璧な公爵令嬢だ。
……よし。
今日こそは平穏な一日を過ごすのよ!
そう自分に言い聞かせ、私は馬車へと乗り込んだ。
◇
王立ルミナス学園。
王国中の名門貴族や優秀な平民が集まる、国内最高峰の学園である。
広大な敷地には美しい庭園が広がり、中央には歴史を感じさせる大きな校舎がそびえ立っていた。
「わぁ……」
思わず声が漏れる。
ゲームで何度も見た景色だ。
実際に目の前にすると、想像以上に美しい。
……なんて感動している場合じゃない。
私はこれから、破滅の原因になる人物と対面するのだから。
正門をくぐると、周囲の生徒たちがこちらに視線を向けてきた。
「ローゼンベルク公爵家のご令嬢だ……」
「相変わらずお美しいわね」
「王太子殿下の婚約者ですもの」
ひそひそとした声が聞こえてくる。
うん。
さすが公爵令嬢。
注目度がすごい。
……できれば目立ちたくないんだけど。
私は周囲に微笑みを向けながら、校舎へと向かった。
すると、正面から一人の男性が歩いてくる。
金色の髪に、整った顔立ち。
凛とした雰囲気をまとい、周囲の人々を自然と惹きつける存在。
間違いない。
アルベルト・フォン・アストリア。
この国の王太子であり、私の婚約者だ。
「エリザベート」
「ごきげんよう、アルベルト殿下」
私は優雅に頭を下げた。
「今日は来てくれてありがとう」
「殿下からのお誘いですもの。断る理由はございませんわ」
よし。
今のところ問題なし。
王太子に対しても完璧な対応。
これなら嫌われることもないでしょう。
「実は、君に紹介したい人物がいるんだ」
……来た。
ついに来たわね。
「こちらへ」
アルベルトが歩き出す。
私はその隣を歩き始めた。
頼むから、普通の女の子でありますように。
いや、普通じゃなくてもいい。
とにかく、仲良くできればそれでいいの。
そんなことを考えながら歩いていると、庭園の奥に一人の少女が立っていた。
桃色の髪。
大きな瞳。
柔らかな笑顔。
ゲームのパッケージで何度も見た姿。
間違いない。
彼女こそが、この物語の主人公。
リリア・フローラ。
「紹介しよう。彼女はリリア・フローラ。今日からこの学園に通うことになった生徒だ」
アルベルトがそう告げる。
「初めまして、リリアと申します。よろしくお願いいたします」
彼女は丁寧に頭を下げた。
……よし。
ここが重要。
私は決して彼女を見下したりしない。
優しく、穏やかに、友好的に。
そう心に決め、私は微笑んだ。
「初めまして。エリザベート・フォン・ローゼンベルクですわ。これからよろしくお願いいたしますね」
完璧な挨拶。
これなら問題ない。
……はずだった。
「っ……!」
その瞬間、リリアの表情が強張った。
彼女は私の顔を見たまま、わずかに後ずさる。
え?
何?
私、何かした?
「どうかなさいましたか?」
私が尋ねると、リリアは慌てて首を横に振った。
「い、いえ! 何でもありません!」
明らかに様子がおかしい。
まさか、私の顔に何かついている?
それとも、ドレスが変?
私はさりげなく自分の姿を確認した。
問題ない。
むしろ完璧だ。
「リリア?」
アルベルトも不思議そうに彼女を見つめる。
「あの……」
リリアは少し迷ったあと、恐る恐る口を開いた。
「エリザベート様は……私のことをご存じなのですか?」
「ええ。お名前は殿下から伺いましたわ」
「そう、ですよね……」
リリアは俯いた。
その表情には、どこか怯えが残っている。
私はその理由に心当たりがあった。
ゲームのエリザベートは、リリアに何度も嫌がらせをしていた。
人前で恥をかかせたり、身分の違いを理由に見下したり。
当然、リリアにとってエリザベートは恐ろしい存在だったはずだ。
……そりゃ怖いわよね。
相手は公爵令嬢。
しかも、王太子の婚約者。
そんな人間に嫌われたら、普通の貴族令嬢ならたまったものではない。
私は少しだけ表情を柔らかくした。
「リリアさん」
「は、はい!」
「そんなに緊張なさらなくても大丈夫ですわ。私はあなたと仲良くなりたいと思っていますの」
「え……?」
「これから同じ学園で過ごすのですもの。楽しく過ごせたら素敵だと思いませんか?」
リリアは目を丸くした。
まるで、信じられないものを見るような表情だった。
「……私と、仲良く?」
「ええ」
私は笑顔で頷いた。
よし。
いい感じ。
これなら少しは警戒を解いてくれるはず。
しかし、リリアはしばらく黙ったあと、小さく口を開いた。
「……申し訳ありません」
「え?」
「私には、エリザベート様と仲良くすることはできません」
…………。
えええええ!?
どうして!?
私、今めちゃくちゃ頑張ったわよね!?
笑顔も完璧だったはず!
それなのに、どうして断られるの!?
「リリア、何を言っているんだ?」
アルベルトが不思議そうに尋ねる。
「も、申し訳ありません! でも……」
リリアは私を見つめた。
その瞳には、恐怖だけではなく、強い警戒心が浮かんでいた。
「以前、私の友人がエリザベート様にひどい扱いを受けたことがあるんです」
…………。
あ。
そうだった。
ゲームの設定では、エリザベートはリリアだけでなく、平民出身の生徒たちにも高圧的な態度を取っていた。
当然、学園には彼女をよく思わない人間もいる。
つまり、今の私は過去の行いによって信用を失っているのだ。
……これは、思ったより大変かもしれない。
「そうでしたのね」
私は静かに答えた。
ここで言い訳をしても仕方がない。
過去のエリザベートが何をしたのか、私はまだ詳しく知らない。
けれど、彼女が誰かを傷つけたのなら、それは事実なのだろう。
「その方には、申し訳ないことをしましたわ」
「え……?」
「私の過去の振る舞いが原因なのでしょう。すぐに信じてほしいとは申しません。ですが、これからの私を見ていただければ嬉しいですわ」
リリアは驚いたように私を見つめた。
アルベルトも、少し意外そうな表情を浮かべている。
「エリザベート。君は変わったな」
「そうでしょうか?」
「ああ。以前の君なら、そんな言葉は出てこなかった」
…………。
どうやら、過去の私は相当な問題児だったらしい。
帰りたい。
今すぐ前世に帰りたい。
いや、帰ったら処刑される未来が待っている。
それだけは絶対に避けなければ。
私は心の中で頭を抱えながら、優雅な笑みを浮かべ続けた。
◇
その後、アルベルトとの話を終えた私は、学園の庭園を一人で歩いていた。
「はぁ……」
ようやく一息つける。
初対面からあんなに警戒されるなんて。
破滅ルート回避への道は、想像以上に険しい。
「お嬢様」
後ろからマリアが声をかけてきた。
「どうかされましたか?」
「何でもありませんわ」
「そうですか?」
私は庭園に咲く花を見つめた。
リリアとの関係は、これから少しずつ改善していくしかない。
焦る必要はない。
大切なのは、これからの行動だ。
「マリア」
「はい」
「私、少し変わろうと思いますの」
「……お嬢様?」
「今までの自分を見直して、新しい自分になりたいのですわ」
マリアは目を丸くした。
そして、しばらく私を見つめたあと、嬉しそうに微笑んだ。
「それは、とても素敵なことだと思います」
「ありがとう」
私は空を見上げた。
青く澄んだ空。
この世界での人生は、まだ始まったばかり。
絶対に破滅なんて迎えない。
そして、いつかは周囲の人たちにも認めてもらう。
そう決意した、そのときだった。
「エリザベート」
聞き覚えのある声が響く。
振り返ると、そこにはアルベルトが立っていた。
「殿下?」
「少し話がある」
彼はいつもと変わらない冷静な表情で、私を見つめた。
そして、予想もしなかった言葉を口にした。
「君との婚約について、父上と話し合おうと思っている」
…………。
え?
今、何て?
婚約?
話し合う?
まさか。
まさか、もう婚約破棄の話が始まっているの!?
私は必死に笑顔を保った。
「……詳しく、お聞かせ願えますか?」
こうして、私の破滅回避計画は、開始早々に大きな壁へとぶつかったのだった。




