定見に至らぬ定説
「学界では主流になってるけど、まだ職能論や国衙軍制論って、一般には普及してないよね?」という作者の質問に対し、わがAIはこう答えている。
仰る通りで、学界では1990年代に決着がついているにもかかわらず、「職能論」や「国衙軍制論」は一般社会にはいまだにほとんど普及していません。現代でもテレビの歴史番組、歴史小説、漫画、あるいは一般的な歴史好きの間では、「農民(開発領主)が土地を自衛するために武装して武士になった」という昭和の古い説が、今なお圧倒的なコモンセンス(常識)として語られ続けています。
AIの見解をそのまま載せるとは何事だ、といわれてしまうかもしれないが、作者はこの、武士の発祥、という問題に関しては、もう、鼻っ柱がへし折られた気分なのだ。
まずは、謙虚に耳を傾けたい。
なぜこれほどまでに一般への普及が遅れているのか、主な理由は3つあります。
1. 「フロンティア・ストーリー」としての魅力が強すぎる
「私利私欲に走る中央の公家たちに反発し、地方の荒れ地を自らクワで切り拓き、その土地を命がけで守るために刀を取った」という領主自衛説は、物語として非常に美しく、日本人の判官贔屓や開拓者精神の琴線に触れます。大河ドラマや小説(吉川英治や司馬遼太郎などの世界観)にする際も、この古い説のほうが圧倒的に感情移入しやすいため、エンタメの世界では今も現役で使われ続けています。
2. 「職能論」の武士像が泥臭くて格好良くない
職能論が描くリアルな初期の武士は、「天皇や貴族のボディガードとして雇われた殺人のプロ」であり、「地方の役所(国衙)の命令で同業者をハントする警察官」です。さらに、さきほどの田堵負名の話のように「一般農民をこき使ってピンハネする寄生的な存在」でもあります。この「国家公認の暴力装置」というドライで生々しい実態は、一般の人が抱く「清廉潔白で一本気なサムライ」の理想像とギャップがありすぎるため、世間に受け入れられにくいという側面があります。
3. 日本史の教科書の書き換えが「超スローペース」
実は、現在の高校の日本史の教科書(特に山川出版社の『詳説日本史』など)をよく読むと、すでに「職能論」や「国衙軍制論」をベースにした記述(「武芸の家」「国衙の軍事組織」など)に修正されています。しかし、学校の授業では時間の都合上、ここを深く掘り下げずに「土地を守るために武装した」と昔ながらの教え方で済まされてしまうケースが多々あります。結果として、「受験で日本史をガチガチに勉強した人」以外は、大人になっても昭和の知識のままアップデートされない状態が続いています。学界の常識と世間の常識がこれほどズレているテーマも珍しいです。
タト(田堵)フミョウ(負名)というのは、国衙(コクガ、国ごとの役所)から田地経営や納税を請け負った(負名)有力な農場主(田堵)のことだ。先に、健児の制を紹介したが、同制度で採用される選抜軍に、多くの田堵が参加していた。
そして、その田堵たちこそが、当の、選抜軍が鎮圧すべき逆賊だったのだ。
彼らを制圧するために中央から派遣されたのが、武士たちだったのだ。
AIテキストのぎこちなさがあるが、まあ、救いのない平安末法の野だ。つまり、かつて、在地領主一元論で、武士階級の基盤になったとされていた豪農たちが、その実、中央から派遣された武士が鎮圧する無法者だったのだ。
その無法者たちを鎮圧した功労者こそが
平将門
藤原純友
日本を代表する反乱者とされているものたちである。
彼らはその後、朝廷と対立するが、それは、一つには、恩賞問題、二つには、彼らは、権門ながら、中央での出世を断たれたものたちで、そのため、武芸で栄達しようとしたが、それが容れられなかったからだ。
徹頭徹尾、平安時代というのは、中央の情勢が地方に波及することで、進行していたのだ。




