教科書にも採用されている史実
もう、なにか、自分の固陋さがいやになるばかりだが、これは、作者の落胆をつづる私小説ではない。
とはいえ、作者と似たり寄ったりの見解だった方もおおいのではないだろうか。武士はいわば、アメリカの西部開拓時代のカウボーイや農場主のようなもので、無法者に対抗する野の英雄だったのだと
そのような史観を「在地領主一元論」などという。
現代の歴史学が採用し、高校教科書にも載っている武士は、ちがう。先の喩えになぞらえれば、武士とは、いわば、アメリカ政府から派遣された警官隊のようなものだ。地元民から採用された保安官や自警団ではない。
れっきとした、中央から派遣されたエリートなのだ。
[とはいえ、在地勢力と結託していたのは間違いない。いわゆる「武士」「侍」という組織化は、あくまで、官制のものであり、お上の主導で行われた]
しかし、この問題は、根が深い。「職能論」や「国衙軍制論」と呼ばれている現代の武士は、すでに、一九七〇年代、八十年代には登場していた。歴史学の主流になったのは、九十年代だ。
つまり、前世紀には、決着のついていた問題なのだ。作者一人が固陋だっただけだろうか?
あんがい、この「職能論」「国衙軍制論」は、まだ、定着していない気がする。これを前提として武士の歴史を見直すことは、史学研究の普及にも益するだろう。
まず、大前提として、司馬遼太郎(作者はこの人の著作が大好きなのだが)や海音寺潮五郎がしばしば言っているように
「平安貴族は無能だった、彼らは政治など実効的なものはまるで手を付けず、年がら年中、儀式のようなおままごとばかりをやっていた」
という歴史観を、否定した方がいい。「職能論」と「国衙軍制論」の普及を妨げている強力な要因は、ひとつは、この先入観にあるように思われる。おしろいを塗って、お歯黒を差して、ホホと笑って、おじゃるおじゃると話して、優雅に和歌を作り蹴鞠をする・・それだけの集団ではなかった。
彼らは有能だった。
きちんと、地域の実情と(平安時代という長い長いタームをかけて)向き合い、問題点を検討し、それを解決するために段階的に試行錯誤をする。そういう機能が備わっていなければ、「職能論」「国衙軍制論」のような段階的な対処と、中央からの積極的な働きかけが成されるはずがない。
作者も、武士の歴史を検証しながら、何度か、違和感は感じたのだ。
通念に反して、平安貴族や官僚、あるいは、建武の新政、王朝時代やその復古の面々というのは、政治に意欲的で・・有能ではないか。
そして、武家は、結局、最後まで、天皇を否定せず、その臣下・下僚たる立場に自らを規定していた。どうして彼らはこうも忠実だったのだ? という疑問は、皆さんも抱かれているだろう。
答えは簡単で、武士は、そもそもが、朝廷が設定した役職で、彼らは、イメージしやすい言葉を使うと、「武人」というより「武官」だった。
そして、鎌倉幕府でも、建武新政でも、室町幕府でも、作者はまだ検証を及ぼしていないが、おそらく江戸幕府でも、武士たちは、朝廷の存在を無視できず、摂関家や天皇の意向を、身を屈して拝受する姿勢を崩さなかった。
れっきと君臨していたのだ。歴朝。
朝廷、公家、天皇、そういった勢力は、日本史を通して、実効的な支配者だった。
こういうと、どこか違和感がある、拒絶したい心情があることだろう。だが、前世紀に決定的になっていた「職能論」「国衙軍制論」の普及を妨げていたのは、
マルクス史観
そして、そこから発した、在地の、下々のものが、有能で、実力を以て歴史を主導してきた、というストーリー
「在地領主一元論」なのだという。
自分の心を素直に点検してもらえば、腑に落ちることが散見されるのではないか。
たしかに、朝廷が無能、お公家さんが害悪、というのは、ブルジョア身分を否定する、というと、イデオロギー的だが、お上は何にもしてくれねえ、おれたち庶民の方が、よっぽど世の中のことを分かっている、という、いかにもプロレタリアート的な心情に発している。
事実を検証する世界だ。
この情けないプライドを一度取っ払った方がいい。
そうなると、新たな誇りが見えてくるのだ。彼らは、朝廷は、貴族は有能だった。現代の官邸や省庁のように有能であり、なんならプライドを容れて、現代の官邸や省庁のように無能だった、としてもいいだろう。
同じ日本人の、支配者階級(いや、日本にそれほど専制的なものは出現していないだろうが)なのだ。
同程度の有能さなのは、当然ではないか。




