4節 親切な人たち
太陽はこれまでにないほど輝き、時計は午後二時半を指していた。
午前中と比べて極端と言えるほど、通りを歩く人はほとんどいなくなった。
「ん…やっぱ高いな…」
色んな店舗の前を歩きながら、僕はぼやく。
このアファロスの一般市民の平均収入がどれほどであるか分からないが、少なくとも、安いものではないだろう。
何せ、大抵の商品は、近隣の街と比べて明らかに割高だ。
「ぐぅぅ…」
腹から出る情けない音。
上を飛ぶ鳥たちが、それを馬鹿にするかのように、ピーピー鳴き出す。
今の僕には、払えもしないメニューを吟味している余裕がない。
「はぁ…」
ふらふらしながらも、なるべく安い店を探しに歩き回った。
※※※
「ホットドッグの…マックスサイズ一つください」
周辺を数十コドを探し回った挙句、小さなホットドッグ屋台に辿り着いた。
「はいよー!」
店主だろう男が注文をメモし、威勢よく返事をする。
メモの必要あったか?
注文一つしかないし。
そうツッコミたかったが、集中している彼を見てしまえば、水を差そうなんて到底思えない。
なんていうのだろう。
彼の動きになんか、華があるっていうか…
パンを取って、ソーセージを焼いて、色々盛り付ける。
単純な動きなのに、“年の功”とも呼べるものが感じられるっていうか。
ああ、もう何言ってんだ…
ずっと突っ立っていられるほどの体力がない僕は、取り敢えず近くにあったベンチに座った。
店主が客のために用意したものだろうか。
それとも元からあったものなのだろうか。
知る由もないことを考えて、ぼーっとしていたら。
「――あんた、もしかして外から来たのか?」
彼はいきなり図星を突く発言を、さり気なく尋ねた。
「な、なぜそれが…?」
くっ…
もしかしてノタムが!?
いや、隙は作ってないはずだ…
そう考えていると、彼はにこにこと顔についた汗を拭いた。
「ハハ、見れば一目さ。アファロスに住む人の目は、死ぬほど見て来たからな。
もちろん、細かい事情までは分からないが」
思わずほっとした。
しかし、僕はそこまで他所者感が強いのだろうか?
もし、そうなら早く対応するべきだな…
「……なんか、良くないことでもあったのか?」
店主はホットドッグを作り終わると、その後ろにあった椅子にさっと腰を下ろした。
僕の方をジロジロ見ながら、それを口に運んだ。
「いや、別に…」
僕はもごもごと、少し気怠に返事をする。
「ハハッ、遠慮せずに言ってみな。
そんな浮かない顔をしてるんじゃ、この街を楽しめないだろ?」
店主のおっさんは笑みを浮かべながら、パンを咥える。
僕は、近くの建物のガラスに映る自分の顔をまじまじと見詰めた。
《確かに、良い顔ではないな》
でも、どういう顔をしろって言うんだ。
自分の無力さを目の当たりにしたばかりなのに、ウキウキしていられるわけがない。
「楽しむも何も。観光しに来たわけではないですから」
僕はそっけなく答える。
「じゃあ、何しに?」
おっさんの方を振り向くと、彼はホットドッグを半分食べ終えていた。
「知人を探しに来ました」
通行人を横目に、簡単に返す。
「だったら尚更だ」
彼はようやくパンを食べ終え、少し上ずった声で言った。
「誰かに会うってのに、ずっと下向いてっちゃぁ、ね。
わざわざ遠くから来たんだから、たくましい姿を見せるべきなんじゃないのか?」
彼の神妙な眼差しに、僕は少し震えた。
なんだこの人…?
身に沁みることを言ってくれるなあ。
てか、よくよく考えたら知らない僕にめっちゃ真剣になってくれてる。
家ではきっと面倒見の良い人なのだろうな…
少しずつ心が晴れていく。
その時。
「いや、ちょっと待てよ…」
僕はおっさんの方を見た。
「僕が頼んだホットドッグは!?」
答えはきっと、“彼の胃の中”だろう。
「……ヤベえ!!食っちまった!?」
おっさんはすぐに立ち上がり、赤いバンダナを慌てて頭に巻き直した。
《宣言撤回…》
「まあ、でも嬉しいよ。
誰かが遠くから来てくれるなんて」
彼は調理の途中、僕を見ずに言った。
「…迷惑じゃないんですか?」
僕は小首を傾げた。
アファロスは普通の都市と違って、人の出入りへの管理が厳重だ。
門には常に警備がいて、いわゆる許可書でしか部外者は入れない。
過去にあった部外者による事件や、物産移動のトラブルが原因だと勝手に推測していたが…
――どうやら、違うみたいだ…
「迷惑?むしろありがたいさ!」
少し興奮気味に彼は答える。
「最近は増税とか色々で、この街での商売は厳しくなっているからなぁ…」
ほうほう…
聞いておいて損はなさそうだ。
僕は耳を傾けた。
「君が知っているかは分からないが、この街はほとんど壁外の工場のおかげで成り立っている。
工場はいわゆる、街の商業の柱だ。」
彼は手を止めることなく続けた。
僕は、小さく頷いた。
彼の言う通り、アファロスの工場は生産性が高いらしく、
ここに来る道中も何回か噂を聞いた覚えがある。
「それがなあ、関税の上昇によって崩れてきている」
奥にうっすら上がっている煙を見詰める。
あまり馴染みのない話だが、完全に、分からないという訳では無かった。
「街に訪れる者も、そもそも街に入ることが困難なせいで来るのをやめ、街に住む人も、より過ごし易い場所へ行ってしまう」
彼は少し顔を濁して、ソーセージを見詰める。
「要するに、そのしわ寄せが生活に現れ始めているんだ。
脱走者の増加も、それが原因だろう」
他に、何か言いたげに僕と目を合わせたが、何も言わずに口を噤んだ。
彼の肌は乾燥していて、少し焼けている。
何年もこの仕事をやっているようだし、言ってることは“ほとんど”間違いないと考えて良いだろう。
「とにかく。君みたいな、よその人が来てくれるのはありがたいことだよ」
彼は向き直って、強く言う。
《住民も大変なんだなあ》
単純な思考の持ち主はそう思った。
同時に、少し――
いや、結構意地悪な質問が浮かんだ。
『僕が脱走者だったとしても、あなたは喜びますか?』
……。
「何を考えてんだか…」
自分の馬鹿な質問に対して、僕は呟いた。
おじさんは、「コイツ大丈夫か?」とでも言うかのようにこちらを見たが、
そのまま何も言わずに作業を続けた。
「毎度あり!」
彼は熱々のホットドッグを僕に渡し、それを両手の平で受け取った。
サイズは想像していたのよりは大きい。
彼によればオマケとして多めにトッピングしたらしい。
《なんだかんだ言って、待った甲斐はあったかも…》
「ありがと、おっさん!」
ちょっと離れてから、僕は感謝と謝罪を込めて言った。彼は右手を大きく振った。
財布に残るお金は25頭と5指。
少ないが、一週間は問題なく過ごせるだろう。
「――と言っても、いずれ困るよな…」
※※※
落ち着いて食べれる場所を探していると、ある広場の側で、
ポスターで埋め尽くされた、人二人分ほどの高さの壁と遭遇した。
《ここにもあるのか…》
こういう壁画は、「報道塀」と呼ばれ、ほとんどの街に一つか二つぐらいある。
でも、こんな所で見つけるのは驚きだ。
ポスターの主な内容は、地元の事件から国全体を巻き込むほどの政治的な話題までと、実に幅が広い。
僕の目に入ったのは特に、
『カルディアでの大量殺人』
『東部全域での増税』
などの重大情報。
でも、だからって特別興味を惹かれた訳ではなかった。
更に歩くと、小さな広場に辿り着いた。背景には、街の中心である「メリク湖」が見える。
僕はベンチに腰を下ろし、鞄を置いた。
そして、ホットドッグを食べ始めた。
真っ青な空の下、僕は腹を満たす。
太陽の光も大湖で反射し、風が耳元を優しく撫でていく。
僕は一口ずつ食を味わい、心と体を満たしていく……ことは出来なかった。
どう考えても穏やかなこの状況を、僕の心は楽しませてはくれなかった。
「おーい、こっちこっち!!」
子供たちがボールを蹴りながら、ここに近づいてくる音がする。
そしてつい、彼らと、例の事件の子供を重ねてしまった。
「はあ…」
手に持っているホットドッグを見て、大きくため息つく。
ここに住む普通の人と違って、僕は警官たちが脱走者に何をするか知っている。
子どもの頃、そういう場面を何度も見てきたからだ。
どこから逃げたかにもよるが、基本的には脱走者は元の街に戻されることはない。
街の外で何かしらの“罰”を受ける。
子どもの場合は特に、片目を“閉じたまま”、村に返される。
『何も見てない』という証になるらしい…
「くそ……」
こんな話は、知っていたとしても誰も口にしない。
それを話そうとする者は黙らされるからだ。
…もっと最悪なのは、この街の人々が脱走者を軽蔑しているということ。
もし、僕が脱走者だったら、彼らは迷わず通報するだろう。
「社会のためだ」なんて思いながら。
どんな事情があったって、きっと同じ目に遭う。
間違いなく、彼らはクズ…
「――ってことはないんだけど…」
頭の後ろに両手を置き、空を見上げた。
その時。
「おーい、お前!!俺らととうきゅうやんねぇ!?」
隣で遊んでいた子供たちの一人が、汗まみれで腰をかがめながら話しかけてきた。
頭球か…
懐かしいけど、今はそんな気分じゃない。
「いや、大丈夫。遠慮するよ」
そう答えると、子供は「そうなんか」とあまり気に留めず言った。
見た目からして、九か十歳くらいの子たちの集まりだ。
特に、僕に声をかけた子はいわゆる“リーダ”的な存在なのだろうか。
目線が少し高い。
「なんで遠慮しちゃうの?」
彼から二歩離れた所にいた子が、素朴な質問をする。
《なんでって…》
彼のまん丸な目を、少しだけ見詰めた。
「僕は今、少し忙しい。だから、君たちと遊ぶことは出来ないんだ」
曖昧な返し。
別の子が一人、首を傾げた。
「だったら、なんでパンを食べ終わったのに、ずっと下向いているの?」
彼――いや、ちゃんと見たら彼女だ。
とにかく、その子は僕を指差して言った。
普段の僕なら、あまり気にせず聞き流していたかもしれないが、
なぜか、それがある種の思いやりであったように思えた。子供特有の。
実際、この街の全員が完全なる“悪”ではない。
この子たちや、あのおっさんのように親切な人は、きっとたくさんいる。
事実を教えたら、見方が変わる人だって一定数いるに違いない。
《だから、ロメロを見つける》
顔を少し和らげ、軽く息を吐いた。
「考え事をしていただけ。心配ありがとう」
《そう、こういう子供たちのためにも…》
僕の答えを聞いて、子供たちは背を向けた。
彼らにとって、僕は執着するほどの価値がある人ではなかったようだ。
去っていく彼らを横目に、ぐうっと、のびのびと背筋を伸ばす。
口を、ホットドッグについていた紙で拭き、ベンチに置いた荷物を勢いよく肩に載せる。
鞄の中の地図を大きく開き、方向を確かめる。
よし。
今度こそ準備満タン。
席から立ち上がり、僕は目的地へと向かう。
だが去る前に、広場の一隅で元気よく遊び回っている子どもたちが目に入った。
「…君たちって、よく一緒に遊ぶのかい?」
一人が振り向く。
「うん……なんで?」
狙い澄ました顔で、僕はニヤリとした。
「いや、何でも。友達は大事にしな」
またもや「何言ってんだコイツ」みたいな顔をされるも、それを笑顔でスルー。
馴染みのある顔がいくつか脳裏を過ったが、太陽を隠す雲々と同じくらいの速さで消えていった。
※※※
右よし。
左よし。
風の方角、地図の方向、自分の覚悟。
全てよし。
ガラス越しの自分に目配せをして、僕は歩き出す。
《向かう先は「bar de bares(バーの中のバー)」…》
絶対に――大事な情報を掴んでみせる。




