24節 綺麗で空っぽ
「では、ナタリアとカミロ。二人に任せても良いんだな?」
ロベルトが廃倉庫に着いてから、ジュリオは二人を隅に呼び出した。
「なんてことないわ。任せて」
静かな笑顔で、ナタリアは答える。
カミロは顎だけを小さく下げた。
「なら、任せよう」
ジュリオは普段より、どこか作り物めいた微笑みで返した。
「…ロベルトのことは、こちらで何とかする。もちろん、アレハンドロの面倒もな」
ニヤニヤと、満面の笑みを見せる彼に、ナタリアは不審な視線を向ける。
遠くで、アレハンドロのくしゃみが聞こえた。
二人は荷物を簡単にまとめ、腹をくくって地下へ入る準備をする。
その前に。
「後、もう一つ――俺からの頼み事だ」
ジュリオがいつもに増した神妙な態度で、無論、切実に言った。
「バーの壁に子供が描いたような絵が貼られていると思うけど、それも回収して来てくれ。
俺にとって、欠かせないものなんだ」
その目に映ったであろう信念は、二人をただただ頷かせた。
そして闇に包まれた地下へと、ゆっくり潜っていった。
※※※
「なんとか逃げ切れたわね……まったく、あの店長どんだけしつこいのよ…」
真っ暗な空の下、二人は賑やかな商店街から離れ、今度こそバーへ直接繋がる路地に入った。
「あれが真っ当な判断だ」
カミロは走り疲れた様子もなく、相変わらず冷徹な態度だった。
なお、シビアな突っ込みすらも出来るのだ。
ナタリアはその光景に、一歩引いた。
「あんた、誰にも容赦ないわね…」
反抗心をどうにか堪え、彼女は小さく呟いた。
と、同時に何か思いつきがあったように。
「カミロって確か、婚約者がいるとか言ってたわよね?」
「ああ」
ほぼ無反応。
ナタリアはもう一歩踏み込む。
「で、それってどんな人なの?」
「そうだな……“愉快”な女だ」
さも彼女の意図を見通してたとでもいう風に、カミロはテンガロンを両手でずらす。
「むむ…」
ナタリアは悔しげに唸る。
《隙のないやつね…》
すると彼女は小走りで、カミロと僅かな間隔を残すように、傍に寄った。
「ねえねえ。カミロと私が二人っきりで歩いてるの見たら、その人は嫉妬するかしら?」
カミロの気を引こうとするナタリア。
間断なく。
「まず、君を相手として見ないな」
と、単純な回答。
「くっ…」
赤髪は碧眼をにわかに細めると、力なく肩を落とした。
そして数歩分の距離を取る。
「ここまで来れば、お手上げね……」
――あーあ、気が滅入ったわ。
カミロは至って謙虚な様子で、しかし、微小に口角を上げた。
そのまま同じ調子で、明確な意義や意図に欠いたやり取りを続けて、
十分近く。
「警備がいない…」
バーの看板を真っすぐ見上げる位置で、カミロは呟いた。
店前の路地裏が無人。
左の工具屋や右の事務所の、どちらも閉店。
メニューの記された立て看板だけが、ぽつりと、扉前に佇んでいた。
「絶好の機会だわ」
軽い笑みをたたえて、ナタリアとカミロはバーの裏側に向かった。
案の定、裏口には鍵が掛かっていた。
だが、ジュリオは倉庫の窓から出入りできるよう細工を残している。
二人は慣れた手つきで、難なく中へ侵入した。
「なんか、臭い……」
酒樽や瓶が積み上げられた倉庫には、濃いアルコール臭が充満していた。
飲酒が真っ平なナタリアにとって、あまり長くいたくない空間だった。
「そこか…」
樽の隙間に隠された扉を見つけ、ナタリアは静かに開けた。
ぐるりとドアノブを回し、ぎしぎしとそれを通り抜ける。
数回瞬くと、カウンター裏に立っていたことに気がついた。
「少しも手が抜かれてないようね」
カウンターに指を擦りながら、彼女は感心したようにぶちぶつ言った。
指には何も、埃がつかなかった。
「綺麗に保っていたのって、そのラウルって人?」
後ろを振り向かず、カミロに訊く。
テンガロンに視界を遮られているようでありながら、ナタリアより正確な足取りだった。
「らしい」
その足で、彼は店の左側へと進んだ。
「便所や小部屋は左側の廊下で繋がってる。それ以外は君に任せる」
彼もまた後ろを顧みることなかった。
そして。
ほどなく数十分間の捜査は開始された。
メモや計画書。
私物や組織の所有物。
特定の物を探していたわけでもなければ、その物がバーにある可能性は低い。
しかし、それは重要ではない。
この捜査のもう一つの旨は、まさしく“状況確認”。
警察の取り調べの程度。
住民の動き。
情報の流出度。
そのためには“現地を訪れる”という選択が最も的確だと言えるだろう。
「――何もなさそうね」
だから何も得られなくても、ナタリアは平然とこう言えた。
何もない前提。
証拠がない証拠。
そのための“捜査”だったと言えるだろう。
「その様だ。次に移ろう」
バックバーに目を通してから、カミロはドアノブを握る。
壁を見詰めていたナタリアは刹那遅れで、
「あっ、ちょっと待って」
入り口の方へと駆け行って、手際よく、壁にテープで貼ってあった紙を剥がした。
安心したそうにため息を一つ吐いて、丁寧にそれを鞄に仕舞った。
「うん」
少しばかり真剣な表情で、赤髪はカミロと視線を合わせた。
※※※
窓から出て、二人は通りに戻った。
「誰もいないみたい」
怪訝な眼差しで辺りを見渡した彼女は、なんとはなしにぼやいた。
「中心部付近だっていうのに、飯屋の時より警備が薄そうじゃない。おかしいわ」
ひとしきり眉を寄せると、急かされているように一歩踏み出した。
カミロの眼はテンガロンによって隠されてた。
何か不安。
どこか不思議。
彼らは歩みを重ねるほど、確かな違和感を肌で感じ始めた。
けれども。
その違和感に気づく前に、そこへ着いた。
「まるで事故物件ね」
事実へと化した比喩。
「事故ではなく、事件だが…」
真実になってしまった指摘。
家前まで足を運んだ二人は、警備の有無を確認してから、バーと同様に裏口から回り込んで入る予定だった。
だがしかし。
「カミロ。扉、開いていない?」
カミロを引き止めて、ナタリアは家の正門に歩み寄った。
そして、扉を片手で押してみる。
「やっぱり」
扉は無抵抗に、内側へと開いた。
「回り込む必要はないようね」
彼女は考える間もなく中へと身を乗り出し、カミロは後ろからついていった。
そして一旦入ると、二人は息を殺して捜査を始めた。
私は右。
あなた左。
ナタリアはハンドサインを使って、役を割り振る。
《さっさと済ませなきゃ》
素早い歩調で、彼女はキッチンを確認した。
その時気づいたのは、どうやら警察の調査があまり進んでないという点。
ものが動かされた気配はなく、調理器具や食器は整然と並べてあるまま。
「検分したのかすら怪しいとこだわ」
部屋を根掘り葉掘り探った末に、彼女はその部屋を後にした。
「所有欲ってものがないのかしら、あの男…」
困ったような仕草をしてから、念のためざっと床や壁、天井などを見渡した。
ジュリオという男が秘める謎に、彼女はいつしか干渉を諦めていた。
自分の担当する部屋を調べ終わり、彼女はまだ捜査中のカミロと合流を試みた。
キッチンを出て、廊下を通って合流…
「あら、そこにもあったのね…」
廊下の奥側に、まだ足を踏み入れていない部屋が垣間見えた。
何だかんだナタリアは他のメンバーとは違って、望ましくない形だが、
初めてジュリオの家を訪問したことになる。
それでも冷え切った、一軒家にしては少し長い廊下の上を通り抜け、彼女は扉を開けた。
《殺風景》
それに変わりはなかった。
照明用として、天井にランプが備えられていたが、当然点けるわけにはいかない。
窓も全閉であったが故に、同じ家の他所より断然暗かった。
でも、兼ねてより暗順応していた目が慣れるまで、そうかからなかった。
「…嫌な空気感だわ」
まるで人が死んだみたいに、と。
彼女は眉間を寄せつつ、先へと歩いた。
彼女の視界に映ったのは、一つのテーブル。
木製で、天板高はおおよそ二コド。
天井の穴から差し込む光によって、その上の何かが際立っていた。
代わり映えしていた。
《紙…?》
小さな紙切れ。
月光に照らされたおかげで、真っ白でないのが分かった。
「文字…かしら?」
彼女は読み取ろうと、膝を進める。
好奇心。
探究心。
そこに書かれた言葉を見て初めて、この捜査は意味を果たした。
「PESTE」
ナタリアは、くすりと笑う。
そして。
彼女の背後で銃を構える彼もまた、微笑んだ。
「やっぱり、ここにいたのね?」
文字から視線を外すことなく、ナタリアは尋ねた。
「あんたが…ウンベルトとジュニオールを殺したんでしょ?」
たった一つの動作が、生死を決める。
言葉のまま、この状況が“瀬戸際”であるのに、ナタリアは保身に走らない。
「いつ気づいたんだ…?」
「あら、答えるより訊く方が好きな人?」
すべからく、受けより攻め。
気が合いそうだと、彼女はちっとも思わなかった。
「…そうね」
背に刺さる男の眼光を感じつつも、率直に答える。
「――入った瞬間からよ、バカ」
男は笑って、人差し指に力を加えた。
銃撃。
銃声。
それと同時に、すでに暗かった視界が眩み始める。
「同じ手を…」
男は霧の向こうから、弾が壁に空けた穴を視認した。
《迂闊だ…》
二回も同じ策に引っかかるなんてらしくもない。
そんな事を考えながらも、身構えた。
右。
いや、左。
彼の撃つ弾は、悉く空振りに終わる。
素早い。
尋常じゃない。
「だが、対抗策はないとは限らない」
男は地面に無数の撒き菱を放った。
右方左方ともに。
おかげで、足音が急に止まった。
《銃がなければ、近づけない》
そう思った彼の肩に、何かが乗りかかる。
「片づけが大変そうだけど、面白いわね」
「…それはどうも」
突如降りかかった肩荷に、彼はよろめく。
しかし、颯爽と右手を背に回した。
「それで脅した気かしら」
彼が引き金を引くと同時、彼女は刃物で軌道を逸らす。
赤髪の合間を通り抜け、弾丸は天井のランプに直撃した。
そして、ぐいっと。
彼女は一息に、男を地面へと倒した。
「カッ…」
地面に押し付けられ、身動きが取れなくなる。
ナタリアは彼から一瞬離れ、その隙に拳銃を奪い取った。
「背後だけ散らさないなんて、結構器用じゃない」
感服とでも言わんばかり、不敵な笑みを見せる彼女。
身を起こそうとする男の上に、容赦なく乗っかった。
うつ伏せになった彼の両腕を束ね、それを胴体に押さえつける。
ーー見事なマウントポジションだった。
「反射しないものを使った気だが…見えていたか?」
ナタリアはダガーを仕舞って、拳銃を構える。
腕には、いくつかのかすり傷が残っていた。
「見えるわけないじゃない。ただ、頑丈なブーツを履いているから」
男は感嘆したように、悠々と微笑む。
それが神経に触ったのか、彼女は男の腕をより強く握った。
「あんたがここを無人にしたんでしょう?」
「…ハハ。君は見た目以上に賢いな。どこ出身だ?」
「パルマよ」
「へえ、そうか。それはなんと、汚らわしい」
彼の挑発に耳を貸さず、ナタリアは侮蔑するように見下ろす。
「よくこの状況でそんな事が言えるわ」
冷酷な眼差しを向ける彼女。
どことなく異質で不気味な様子の彼を仕留めようと、頭後に銃口を突きつけた。
「何?仇か?」
彼女の手に、青筋が浮かび上がる。
「無駄口叩くのがよっぽど好きのようね」
「それもまた、どうも。…ただ、一つ警告をしておきたい」
ナタリアは後ろ暗い、彼の思わせぶりな口振りに二の足を踏む。
「引き金を引くのならば、この国も黙ってはいない。今すぐ――でなくとも、いずれ、君と同行者を一掃するだろう。
その場合、死んだ仲間が報われるかどうかは、考える間でもないが…」
とても、軽口を叩いているとは思えない口調。
ナタリアは些か、魔が差したようだった。
「これが警告でも、或いは忠告や窘めでも構わない。ただ、君らとその抱える目標は王国の歴史にすら載らない、微細以下として終わることは確かだ。
正しく、本末転倒」
ニヒルに哄笑してから、彼は口を閉じる。
それも間合いを測るかのような、何かを示唆するかの
ような目つきで。
「あんたの思惑は見通してるわ……」
凛然とそう言いかけるも、結局ナタリアは口ごもってしまった。
信憑性は別として、安易に聞き流せる話でなかったことは、言うに及ばない。
「くそ……浅ましいに加え、おこがましいやつね」
切羽詰まった空気に、彼女は顔をしかめる。
が。
「――今銃声が聞こえたぞ!中に誰かいるのか?」
家の外から、警官と思しき人の声が聞こえる。
《何よ…》
ナタリアは一瞬たじろいでから、ちっ、と歯切れが悪そうに舌打ちした。
「ナタリア、急げ。出るぞ」
更に、壁の向こうからもカミロが声をかける。
殺す。
生かす。
撃つ。
撃たない。
見捨てる。
助ける。
ここまで急かされると、流石の彼女も決意をする他ならなかった。
「名前は?」
銃を頭から離し、彼女立ち上がる。
一方で、無防備な男は立ち上がろうとはしなかった。
「アルトゥロ・カベサだ」
ナタリアはその名に、微かに反応する。
でも王冠ノタムの確認が済んでいたため、何とか表情だけに留まった。
「取り敢えず、打ち切りとさせてもらうわ」
無表情を取り繕って、彼女は宣言した。
「次会った時、それがあなたの“死”ね」
ナタリアは鞄を持ってカミロと合流し、最後の発煙弾を使って裏口から逃走した。
※※※
警察をどうにか振り払い、二人はロサへの家へと引き返した。
その時。
カミロは、ナタリアがポケットに忍ばせた銃の存在に気づいた。
「中で何か見つけたか?」
カミロはテンガロンの縁から、右眼を露わにした。
彼女はさり気なく、目を逸らした。
「ううん、特に何も。綺麗で空っぽだったわ」
時刻は夜九時。
ジュリオのバーが閉まる時間だった。




