20節 昼食と晩食
それから少し経ったところで、ようやく三つ目の皿が届いた。
「ありがとう」
今回は僕が皿を受け取り、その熱さに注意しながらテーブルに置く。
少女はぱん、と軽く手を叩き、一瞬だけ目を合わせてから厨房の方へと戻って行った。
僕たちと話す気は、毛ほどもなかったようだ。
《まあ、そりゃそうか……》
いくら子供でも、話すべき時とそうでない時の区別くらいはできる。
寧ろ、大人よりも口を慎むのが得意なのかもしれない。
実際ロベルトの片目を見るだけで、彼が話す気分ではないことぐらいは解る。
大人でも子供でも。
…だから、重複になってしまうが、
――誰もが口を挟める状態ではない。
そんな考え事に耽りながらも、僕はスプーンを手に取る。
空腹。
それがようやく襲いかかって来たようだ。
「…」
息を呑み、皿をじっと見詰める。
僕は目の前の飯に食欲をそそがれながら、スプーンをゆっくり近づけた。
いや、近づけようとした…
「ところでアレハンドロ、ジュリオが言ってたことは本当なのか?」
すでに食事に取りかかっていたガブリエルが食べつつ尋ねた。
そして、口の中の物を飲み込んで。
「つまり、君があの事件の唯一の生存者だったって話」
口を拭きながら、彼は付け加えた。
僕は突然の質問に一瞬固まり、続いて首を傾げた。
《ジュリオを信用してないのか…?》
そう思ったが、表情を見れば、別にそうでもないらしい。
答えが分かっているけど、話題を作るためにするような質問だと見た。
「はい、一応…」
僕は少しばつが悪そうに答える。
それは照れくささや不快さによるものでなく、もっと…、
無責任な恥ずかしさによるものだった。
「“一応”ってどういうことだ?」
はぁ…
どうしてこう簡単に、言葉の綾に気づいちゃうのかな?
そっとしてほしいものだ、と素直じゃないやつは思った。
「実は…」
自分でも馬鹿馬鹿しいと分かりながらも、言葉を紡いだ。
「何が起きたのか、あまり覚えていないんです」
僕の言葉に、あのロベルトでさえ僅かに反応したようだった。
そんな様子でありながらも、会話には耳を貸しているらしい。
「お、覚えてない、って…?」
たじろぐようにして、彼は視線を泳がせた。
――あんな事件を忘れるなんてありえるのか?
多分、そう意味の質問だった。
《あいにく、その通りだ…》
自分でも信じられないが、僕は記憶喪失のようだ。
そう。
アンコナで暮らし始めてから、あの日の記憶はどうしても思い出せない。
実の両親の顔すらも。
だから、これの話題になると正直、どんな顔をすればいいのかが分からないのだ
思わず、言葉が詰まる。
だって、どう答えようとも、何を言っても、亡くなった人たちへの冒涜になる気がして…
「まあ…俺がとやかく言うことじゃないな」
ガブリエルは、僕の目に浮かんだ“拭いきれない不安”を察したようで、そこで止めてくれた。
「でもさ。実際にそうなら、どうして君はここに来ようと思ったんだ?」
テーブルを少し強く押して彼は訊いた。
体が些か、前のめりになっていた。
《にしても、また難しい質問だな…》
「過去は…」
半分以上水の残ったコップを見詰めながら、微妙なため息をついた。
「――過去は変えられないと思います。
何をしても、いくら頑張っても、家族が戻ってくることはありません」
ガブリエルは今までよりも真剣な様子で耳を傾けていた。
そんな彼に、真っ直ぐな眼差しを向けた。
「でも、まだ助けられる人はたくさんいます。
同じ経験をさせたくない、幸せになってほしい人の――大切な人のために、僕はこの命を懸けるつもりです」
あの事件の詳細は覚えていなくても、どれほど辛いものかははっきり分かる。
誰にも…いや、ほとんどの人には経験してほしくない。
だから、これは今の僕が言える最大の答えだ。
「へー」
ガブリエルはそんな僕の答えを否定せず、逆に感心を増したように感じた。
僕の言い方が少しおかしかったのかも知れない。
《“大事な人”って、言葉選びはしたんだけどな…》
※※※
おばさんが作ったシチューは温かく、心まで温まった気がした。
こんなゆったりしたのは、アファロスに来て以来初めてかもしれない。
しかしどうしてなのか、料理の味を楽しんでいる最中の僕を、ガブリエルがずっと見詰めていた。
「何ですか…?」
スプーンを口に入れながら、彼を訝しむようにそっと視線を送った。
彼はただ、ぼーっとして、僕の様子を窺い続けた。
「何か、言いたいことでもあるんですか?」
少し強い口調で僕が言うと、彼は我に戻り、
「アレハンドロ……一つ、質問をしていいか?」
彼は固唾を飲み込み、また質問をした。
「ここまで質問しておいて、何ですか今更…」
彼はずっと手に持っていたスプーンを皿に置き、高い音が耳の奥で鳴り響いた。
僕はなぜか、物凄く嫌な予感がした。
「アレハンドロ…お前……」
嘗てないほどの真剣な眼差しを、彼は突然僕に向けた。
僕は体から冷や汗が滲み出るのを感じた。
「好きな子がいるんだろ…?」
…え?
「ブーッッ!?」
僕は口の中にあった少量のスープを吹き出し、咳込み、俯いた。
そして、自分でも良く分からない表情の顔を勢いよく上げた。
「――だ、誰がそんなこと言ったんですか!?」
僕は急に高まる鼓動と心拍を感じ、目の前がくらくらし始めた。
それだけではなく、顔が、なんか熱い…
何だこれ?熱?
そうだ…
これはきっと熱だ…
熱が出てしまったのだ!!
あまりの空腹に…
そうだ、今まで何も食べてなかったから!!
今日からもっと食べなきゃだな…!?
「ハハハッ!やっぱり!」
彼は密かに口角を上げる。
「なん…何が悪いんですか!?」
僕は少し大袈裟に声を張る。
「別に悪いことじゃないさ」
笑ってはいながら、彼の口調は正常に戻っていた。
その時、僕は自分がムキになっていたことに初めて気づいた。
「愛のために戦うってかっこいいじゃないか?」
まだ拗ねている僕に対して、彼は結構優しい口調で言った。
如何にも、平然とした口振りで。
…しかし、その言葉は、僕ではない別の人の不快を招いてしまったようだった。
「『愛』?」
入り口付近で座っていた男が、嫌気が差したような口調で言い始めた。
「そんなモンはカスだ」
目が据わっていたので、酔っているのではないかと疑ったが、
どうやら、その憶測は違ったらしい。
「何です?」
ガブリエルはその男に不審な視線を向け、ロベルトは少しだけ目を動かした。
「ハッ!何でもないさ!」
シニカルに言って、彼は立ち上がる。
椅子をずうずうと地面に擦りつけ、ニヒルな薄っぺらい笑みでこちらを向いた。
「そんなくだらねえことより、お前らは利益を追求しろ。愛など、そんなモンじゃこの世界で生き残れねえんだ」
彼は、大人げない態度でありながらも、真剣な目で僕たちに告げた。
そしてそのまま、煙草を取り出してカウンターへ向かった。
その様子を僕は少し複雑な感情で眺め、ガブリエルは特に物言いたげに彼を見た。
そんな中。
彼が会計を済ませていると、僕はある違和感に気づいた。
「ガブリエルさん、あれって…」
僕は男のズボンの左ポケットを指差し、ガブリエルは目を細めた。
「銃…?」
そう、彼のポケットには拳銃があったのだ。
しかも、ただの拳銃ではなく、手持ちに星型の徽章が備わっていた。
《警察…》
二人は目を大きく開き、息を呑んだ。
そして冷静を崩すまいと、再びテーブルの方を向いた時。
「なぜここに警察が…」
ガブリエルが、口を滑らせてしまった。
「どうした?何かマズイことでも聞かれたのか?」
会計を済ました男は僕たちの方に歩いて来て、真剣な顔つきで訊いた。
決して大柄な人物ではなかったが、その眼差しから溢れる“威厳”が、このアファロスで見たどの警官にも勝っていた。
「何だ…?警察なんぞ、壁の外では無能なんだろ?」
彼は腹立たしい口調で僕らに話しかけるも、どうしてか近づこうとしなかった。
恐らく、隣にいるロベルトの存在に気づいた上での用心だろう。
「リカルド、迷惑客は出禁にしますよ!」
おばさんは不安気な顔をして、彼に注意した。
「そんぐらい分かってますって、クルスさん」
彼は目を閉じ、「うるせえ」とでも文句言わんばりにため息ついた。
そして入り口で一度立ち止まり、僕たちに悠々と警告をした。
「お前たち、変なことを企んでんじゃねえぞ」
微笑。
「俺はもう…」
少し下を向いてから、彼は舌打ちをした。
「――散々だ」
※※※
男が去ってから間もなくロベルトは席を立ち、自分の会計と持ち帰り(ジュリオ)の分の受け取りをしていた。
「何だったんだろう、今の警官…」
ガブリエルは安堵しながらも、少し機嫌を損ねたようだった。
僕は何も言わずに、ただ食べ続けた。
「…けどまあ、彼の言ったことは全て間違っていたわけでは無い」
出口の方をよそ見しながら、彼はそう語った。
「そうですか…?」
シチューの食感を思う存分に味わいながら、相槌を打った。
「ああ…これまで、愛のために戦う人をたくさん見てきた。そして、その全員が本当にカッコよかったさ」
再びスプーンを皿に置く。
「でも、愛だけじゃ足りない。愛だけじゃこの国で生きてはいけない」
なんか盛り上がったかのように、彼の話に熱意を感じ取った。
「――変えるなんてなおさらさ」
少し経ってから、僕は最後の一口を終える。
《実際そうかも知れない》
愛だけでは、国は変えられない。
愛だけでは、人は変えられない。
けど、だ。
愛すらなければ、それは叶わないのではないだろうか…?
そう思っていると、ロベルトは既に出口を通ろうとしていた。
「分かるか、アレハンドロ?
君の家族を失った悲しみは、愛くらい強力な武器にもなりうるってことだ」
「……」
これは事実僕に向けた言葉であったが、同時にロベルトへの間接的なメッセージでもあった気がする。
実際、大旨その通りだろう。
ロベルトの悲しみはきっと強力な武器になれる。
ただ、僕なら…
自分に向かって言うのなら――、
『悲しみは愛を強化する強力な武器になりうる』
――と言い換えていたのかも知れない。
---
ロベルトは少しだけ立ち止まってから、無言で店を出て行った。
その後ろ姿は、なぜかたくましいものだった。
と言って。
僕はそれからも何分も、ガブリエルと会話を続けた。
人の話が聞けて、
人の言い分を否定しない、
あまりにも“完成”されたような性格の人。
僕は彼を、心から“親切な人”だと思った。
※※※
しばらくして、二人は席を立った。
「金は?」
ガブリエルは財布を取り出し、僕に訊いた。
「ない…」
頬を火照らせ、僕は目を背く。
「そうか……」
彼は僕の分も払い、おばさんとそのお孫さんに感謝を伝え店を出た。
――昼食と晩食を兼ねた食事。
心身ともに、満たされた気がした。
と。
「ところでガブリエルさん、この街では何をする予定だったんですか?」
外に出てから、僕は尋ねた。
空はすっかり暗くなっており、虫の鳴き声がそこら中から聞こえていた。
「予定?」
ガブリエルは新鮮な空気に深呼吸をしながら、僕に晴れやかな顔で訊いた。
「ジュリオが、計画を延期すると言ってたけど…」
僕が言い終えるところで、彼は元気そうに振り向いた。
「――ああ、なるほど。聞いたら驚くぞ!」
彼は期待に目を輝かせ、笑顔で僕についてこいの合図をした。
そして僕を、
壁が見える場所まで連れて行った…
高さ百コド以上の城壁と比べ、僕たちはまるで蟻だった。
いや、それ以下でもあった気がする。
加え、こんな低地からでも、無数の監視塔を目にする事が出来た。
その、何百年以上の歴史を持つ巨大壁はこの国でも珍しく、まさに圧倒的な構造を誇っているとのことだ。
ガブリエルは、そんな壁を見詰める。
そして、ニコニコしながら指差した。
「この壁を」
彼は笑顔のまま、後ろを振り向いて言った。
「アファロス壁をぶっ壊すんだ」
その目には、疑いの欠片もなかった。
《ぶっ壊す…》
は。
ハハ…
僕は心の中で笑い、思わず声を漏らす。
――その瞬間、自分がどんなグループに加わったのかを初めて理解したのだった。




