19節 暖かい食堂
やっぱり、って感じではないですが更新日を毎週の水曜でなく、金曜にしよう思います。もしかしたら、土曜と月曜もするかもしれません…
どっちつかずな人でごめんなさい。
「『腹が減っては戦ができぬ』ってよく言うだろ?」
それは倉庫を出る前に、ガブリエルが何気なく放った言葉だった。
それを冗談で言ったのか、または茶化して言ったのかは、僕には分かる由もない。
が、正直それでよかったと思う。
太陽はすでに沈みかけていて、一番星もうっすらと見えるようになった時間帯。
彼はロベルトと僕を、ブレング川(メリク湖から北東へ伸びる川)沿いにある小さな飯屋へ連れて行ったのだ。
※※※
「ここだ」
大きな建物の前に止まると、彼は小さな嘆息とともに、二人にそう告げた。
ちょっと久しぶりかもな、など、独り言を加えながら。
建物は外から見るにまあまあの広さがあり、一階建ての家二軒分の大きさはあった。
それも、前方だけを見れば。
しかし、コンクリートの壁が薄汚れていて、外の看板の文字もほぼ消えかけていたことから、しばし手入れが行われていないと分かった。
また、入り口に扉がないせいで内側の明かりが外へ漏れていたが、
周囲に街灯がないことも相まって、妙に不気味な雰囲気を醸し出していた。
「はあ…」
壁の中と全く違う。
そう思った僕。
もしくは、隣に立っているロベルトが息を漏らしたのかもしれない。
確かなのは、続いて僕が息を呑んだことだ。
「さっさと入ろう」
ガブリエルの視線を感じて、彼がすでに歩き出していったことに気づく。
時間の余裕もない――わけではないのだが、些か急ぎ足で、僕もそれを追った。
「失礼しまーす!」
飯屋に入ると同時に、ガブリエルが威勢よく挨拶した。
彼はこんな人だったのか。
いや、ここが馴れた場所だったからなのか。
それを見て、僕も思わず「失礼します…」と小さく呟いた。
それにガブリエルは、なぜかにやりとした。
「いらっしゃい!」
誰かが間を空かずに返事をした。
ゆっくりめの喋り方と穏やかな口調から、恐らく年寄りの女性の声。
カウンターの方をいくら見渡しても、その姿が見当たらなかった。
でも、その更に右奥に小さな扉があることに気づき、その向こうから返事が来たと悟った。
厨房なのだろうか。
それを考えようとした時、ガブリエルはカウンターへ向かって歩き出した。
「普通にしてれば良いさ」
顔だけ振り返りながら、彼は何気なく言う。
“普通”とは何なのか、いまいち理解できないが。
《って、ほぼ無人じゃねえか…》
三列に並んでいる十数卓以上のテーブルはほとんど空で、右角だけには、一人の男が座っていた。
大きさの割には淋しい。
そんな第一印象が、あらかた間違っていたみたいだ。
どたどた。
ばたばた。
カウンターに着くと、奥から物音が聞こえ始めた。
やはり、厨房だろうか。
いや、それにしては騒がしいかも。
と、ぼーっとしていた時。
「よいしょっと」
幼い声。
完全な棒読み。
小さな掛け声と同時に、例の扉がいきなり開いた。
「あら、久しぶりねガブリエル」
するとそこから、二人の人物が姿を現した。
多分十歳に満たない少女と、見た目からして七十代を超える老婆。
店の主人と思われる彼女が、明るくにっこりしながら挨拶をする。
エプロンを身につけており、料理の最中だったらしい。
「久しぶりだなーガブ爺とロベルトさん。
…その人は誰?」
少女は、その可愛らしいと言えなくもない見かけによらぬ台詞を放つ。
いや、おかしいのは台詞自体っていうよりは、その独特な棒読みの方だったと思う。
「こら!お客様に何を言ってるの!」
と、おばさんは少女に軽くげんこつ。
少女は「いてっ!」とだけ言い、頭を右手で押さえた。
その様子を見て、ガブリエルと僕は苦笑した。
「ロベルトも久しぶりね。それで、そちらは…?」
温かい視線が僕を向く。
隣にいた少女も興味津々に僕を見詰めた。
今週何度目になるか分からないが、僕は名前くらい、簡単に言うことにした。
《自己紹介はあまり好きじゃないんだけどな…》
「僕の名前は、ア…アレハンドロです」
くっ。
さっきから、舌が思うように回らない…
またもや名前を噛みそうになり、僕は些か頬を赤らめる。
それを聞いて、女性はやんわりと笑った。
「まあ、素敵な名前ね」
お世辞と言われればそうかもしれない。
が、個人的に、満更でもない言葉だった。
「それで。今日もまた特別な用があるの?」
間髪入れず、彼女は話を切り替える。
その質問は言うまでもなく、ガブリエルに向けたものだった。
「いいえ、今日はそんなんじゃなくて、純粋に食事をしたいだけです」
丁寧語でありながらも、どこか抜けている口調。
しかし、妙に“失礼”とまではいかなかった。
「あら、そうなの?だったら、どうぞ座って」
ガブリエルの回答に少し驚いたようで、しかし変わらぬ笑顔。
おばさんは視線をずらし、そのまま三人を近くのテーブルに誘導する。
その間。
彼女は所々、ロベルトの表情を覗いていたように見えた。
そして。
テーブルに着くと同時、僕たちは一斉に腰を落とした。
「いつものをお願い」
僕と向かい合わせになったガブリエルは、目を合わせると、早速注文をする。
“いつもの”とは何なのか。
そもそもメニュー見せてもらってないんだが…
いや、もしかして。
ロベルトはともかく、まだ初対面の僕の好みなんぞ、すでに網羅しているっていうのか!
《…んなわけあるか》
と、小さく呟いた。
「分かりました。少々お待ちを」
礼儀正しく言い残して、おばさんと少女は厨房の方へ去って行く。
小首を傾げながら、僕はそれを見送った。
こちらの事情もある程度把握していて、けれども、さして干渉しない。
ガブリエルの距離感も微妙で、彼女の立ち位置も分からない。
本当に、何だろう。
この人は、誰なのだろう…
「……」
僕は、固唾を呑んだ。
やはり、見て見ぬふりは敵わないようだ。
それも、右隣にいるのだからなおさら。
指で太陽を隠すくらい、思考を巡らせるのは無駄な行為だった。
《だったら何をしろと…》
自然と身が竦んでいく。
視線が左へと動いていく。
嘆息すらできそうにない空気の重さに押し潰されながら、ただ、無言で料理を待つ。
――入団初日にしては、実に気遣わしい情景なのだろう。
…けど、とよかく言っていられない。
僕だって、誰だって。
皆、どうのこうの言っている資格がなかった。
※※※
ロベルトの話は、もはや『話』と呼べるものではなかった。
「俺は逃げてきた……」
「ジュニオールとウンベルトは死んだ……」
その二つを繰り返すだけで、会話はほとんど成立しない。
腕を掻き続け、目も合わさず、汗に濡れたその姿は、見ているだけで胸が苦しくなった。
《その場から、一早く出たかった…》
それでも、彼の独白の欠片から分かったのは、二人を殺したのが“正体不明の第三者”だということ。
――何者かに組織の存在が知られた可能性は高い。
そう判断したジュリオは歓迎を後回しにし、街に残した物の回収を優先した。
近所に顔が知られているジュリオは動けず、代わりにナタリアとカミロが街へ向かう。
その間、ジュリオと僕たちは人目につかない場所で待機することになった。
《ざっくり言うと、こんな状態…》
はぁ…
考えをまとめてから、僕は深く呼吸をした。
いやはや、本当に信じ難い状況だ。
まだこの組織に馴染めていないというのに、早速初対面の人と共食。
しかもその内一人は話せる状況にない…
いや、それ以上に、一日で“仲間”を二人も失ったことが、脳内で、一向に現実味を帯びない。
率直に言えば、悲しいとかではなく、ただ単に事実を受容し切れていないのだ。
《それだけではない…》
僕には、まだ受け入れ切れてない点がもう一つあった…
「ここにいて、大丈夫なんですか?」
霧みたいな、頼りない声。
あまりの静けさに耐えきれなくなり、無言でコースターを弄っていたガブリエルが、僕の方を向く。
「…まあ、壁の外は中と違って警察の動きが少ないから、見つかることはない。
なおさら、工場地帯でもないこういう村ではね」
彼も少し小声で、軽々と答える。
僕は微かに眉を曲げ、視線を上げた。
《それはどうでもいい…》
「いや、僕が聞きたかったのは…」
「――ナタリアとカミロが街に行ったのに、俺たちはここにいていいのか、ってことだろ?」
彼は僕が言おうとしたことを先読みしたかのように、台詞を遮った。
その得意顔に、僕は言葉を失った。
「なんだ? もしかして、あいつらに何か起きるんじゃないかって心配なのか?」
ガブリエルは微笑みながら、少しからかうように訊いてくる。
《違う》
心配なのは、正直彼ら二人ではない。
いや、それは嘘だ。
確かに心配だが、この沈黙を壊すほど強力なものではないんだ…
「あいつらは街でほとんど知られていないし、見た目以上に賢い。心配する必要はないさ」
違う方向に話を進める彼に、何度か、僕は口を挟みそうになる。
《違うんです》
僕が誰を気にかけているのか、あなたにも十分分かるはずでしょう…
今、誰よりも仲間の支えを必要としているのは、彼ら二人でも、ジュリオでも僕でもなく…
一人しかいないでしょう…
「ハハッ」
ガブリエルは快活に笑った。
「俺たちの心配や気苦労なんてなくたって、一人でもやっていけるはずさ」
その言葉に、僕はなぜかはっとした。
同時に。
「――おい、いつまで無視するんだガブ爺」
情緒のない棒読み台詞。
僕とガブリエルは思わず震えた。
「これだから…」
皿を両手に一つずつ乗せて、僕の右側、よってガブリエルの左側に佇んでいた。
もしかして、何分もそうしていたのだろうか。
《あっ…絶対怒ってる》
っていうか、それよりも、皿の中身が今にも溢れそうだ。
ガブリエルの羽織り布か、彼女自身のドレスに…
「ああ、すまん」
コースターをすぐさまその場に捨て、少女の皿を両方とも素早くテーブルに置いた。
彼女は肩を竦め、大きなため息ともに踵を返した。
「あのぉ、ガブリエルさん…」
少女が完全にいなくなったと確かめてから、しかし念のため周りを窺いながら、僕は尋ねる。
「今更ですけど、“ガブ爺”って何事ですか…?」
少し悄気た風に、ガブリエルは嘆息する。
「色々だよ……色々…」
彼は気まずそうに視線を逸らした。
「はぁ…」
僕はそれ以上、踏み込むのはやめた。




