2節 不平等社会
買い物を終えたミゲルは、いつものように家路についた。
今日こそ、自分も父さんも幸せに暮らせる。
――その期待に胸を弾ませながら。
「うわー最悪だ…」
彼が歩いていた先では、ある男が突然転んで、買い物袋に詰めたリンゴを落としてしまった。
ミゲルは無視して通ろうとしたが、彼の良心はそれを許さなかった。
「手伝います…」
彼はゆっくりしゃがみ、静かにリンゴを拾うのを手伝った。
「ああ、ありがとう」
男はミゲルに微笑み、感謝した。
そして全部拾い終わると、彼はそのうち一つを、少年に渡した。
「ありがとうございます…」
ミゲルは少し戸惑ってから、そのリンゴを両手で受け止めた。
しかし、その瞬間、ミゲルの手首が僅かに露出した。
男は急に態度を変え、素早くその場から離れた。
一方で、ミゲルはそれに気づかなかった。
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「調べりゃすぐだ。住民記録にいない親子。廃屋に住み着いてる不審者」
父親は無言のまま、地面を見続けた。
その様子に、ティアゴの笑い声が漏れる。
「つまり――お前らは最初から“アウト”なんだよ」
ティアゴはそう言うと、他の警官も続いて笑い出した。
《……僕のせい…》
あの時の男の表情。
慌てて離れていった理由。
ミゲルは、自分の不注意が父を危険に晒したのだと、ようやく理解した。
喉がきゅっと締まり、胸が痛んだ。
「分かったか?」
ティアゴが、彼を見下ろして笑った。
他の警官もそれをニヤニヤしながら見た。
「お前のせいで、父親はこうなったんだよ」
ミゲルは顔を上げた。
そこにあったのは、軽蔑でも怒りでもない。
――“どうでもいいものを見る目”だった。
「……違う」
警官たちが笑う中、ミゲルは呟く。
誰に向けたものかも分からない、かすれた否定。
「違う…」
父が殴られるのは、自分のせいじゃない。
母が死んだのも、違う。
村を追われたのも、違う。
全部、違う。
だったら――
「……なんで?」
気づけば、口に出していた。
警官たちの視線が、一斉に向く。
「――なんで、父さんは殴られてるんですか…?」
彼は声を震わせながらも、真剣な眼差しをティアゴに向けた。
「なんで、僕は隠れなきゃいけないんですか…?」
ディエゴはミゲルの腕を離し、驚いて彼を見詰めた。
「何を…?」
ティアゴは少年の言葉に、自然と苛立ちが込み上がった。
しかし、なぜか何も言えない。
「なんで、母さんは死ななきゃ…いけなかったんですか?」
目の潤いを抑え、ミゲルは彼らを見上げる。
ティアゴは彼の目を見て、愕然とする。
「…我々に聞くな」
吐き捨てるような一言。
それにミゲルは少し笑ってから、再び地面を向いた。
――見下すような目。
それらがすべて自分に向かっているように感じる。
しかし、それは決して新しいものではない。
いつだって、どこでも、自分と父親に向かっていた。
当たり前のように。
けど、果たしてそれは普通なのか?
誰もが経験することなのか?
《違う》
今、この場で、ミゲルはやっと目を開いた。
「知らないなんて……おかしい…」
少し笑うと同時に、目の奥に熱を灯り始めた。
「貴方たちは普通に暮らしてるのに…家族と笑って生きてるのに…」
彼の声は段々大きく、はっきりとしていく。
警官たちは誰一人として少年を取り押さえず、ただ側で見ていた。
「この違いは……」
強く、歯を食いしばる。
「――この壁は…なんなんですか――」
そう言い終わる前に、強い衝撃が腹を走る。
ミゲルは、咄嗟に腹を押さえた。
「うっせなあ…」
ティアゴはまるで子供のように、感情のままミゲルに殴りかかった。
そして何度も彼に蹴りつけた。
その様子を、通行人も、他の警官たちも無言で眺めた。
「これはな――“そういう世界”なんだよ」
「やめろ…!」
奈落の底に落ちていく息子の様子。
立ち上がることも敵わず、父親は悔しそうに見詰めることしかできなかった。
それを見ていた警官たちもこのままでは不味いと悟り、やがてティアゴを止めに入った。
「……違う」
ミゲルは泥で汚れた顔を上げ、深く息を吸った。
痛みよりも、別の何かが勝っていた。
「ただの…不平等です…」
その言葉を口にした瞬間、
ミゲルの胸の奥で、黒い何かが、ゆっくりと燃え始めた。
――――――憎しみ。
警官たちへの憎しみ。
この街の人々への憎しみ。
この“不平等社会”への憎しみ。
ティアゴが再び殴りかかろうとするも、ディエゴが間に入った。
「しっかりしてください――」
――殺すまでは許されていないから。
そう言い訳しながらも、警官たちは内心では分かっていた。
ミゲルを殺してしまえば、自分たちの負けだと理解していたのだった。
※※※
警官たちは脱走者を引き取りに来る担当者を待っていた。
その間、ミゲルは彼らを睨み続ける。
――その目に宿るものは誰も知らない。
同じ頃、この街のどこかで、一人の青年が静かに歩き出した。
ベレー帽を深く被り、誰にも気づかれぬまま――。
ここまでがプロローグ、次から本編となります。
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それでは、続きをお願いします。




