15節 生きてきた証
「実に長い話だったな」
探偵は銃を正眼に構えたまま、扉の方を向く。
「は…」
ジュニオールは混乱しそうな頭を必死に抑え、目の前の状況を理解しようとしていた。
だがそれは敵わず、指一本も動かすことができなかった。
「少し感動的ではあったものの、同時に凄く無意味で無駄な会話だった気がする」
彼は銃口に問題ないかを確かめながら、非常に落ち着いた態度で言った。
ジュニオールは、自分の頭から汗が流れ始めるのを感じ、呼吸が荒くなった。
そして、自分の顔に赤い液体の粒が飛び散ったと気づき、それを腕で拭こうとしたが、それもできず膝をついた。
《痛ぇ…》
彼はあの探偵に右脚を撃たれたのだった。
「すまないが、あまり勝手に動かないでくれ。
この銃を持っていても、君一人で精一杯なんだ」
防音もどこまで効くかも怪しいしな――と、付け加える。
ジュニオールは痛みを耐えながら、目の前で倒れたラウルの死体を再確認した。
《本当に死んでる…》
クソとでも言うように、彼は唇を噛み締めた。
「なぜ…なんでラウルを…?」
ジュニオールは俯きながら、さえない口調で聞いた。
「膝の傷は気にしないのか?」
怪我よりも他人を優先。
探偵も少し驚き、でも冷静さを失わなかった。
「そうだな……理由は案外簡単だ」
彼はくしゃくしゃになっていた紙切れを取り出し、ジュニオールに見せた。
ジュニオールは顔を上げ、その内容を読み、唖然とした。
「『PESTE』」
探偵は容赦なく、その言葉を読み上げる。
「要するに、国家制定使用禁止用語に対する法律、第31条:犯罪·反国家組織の組織名及び組織構成者の名を使う·言及することを…」
「いい…」
ジュニオールは亡きラウルを見詰めながら、唸るように呟いた。
「すまないが、彼が犯罪者になってからでは遅い。“災いは未萌に防げ”っていうやつだ」
探偵は肩をすくめ、首を軽く横に振りながら言い、銃口を再びジュニオールに向けた。
今回は、頭に当てるとでも宣伝するように、銃を二回、上下に動かした。
「だからって、殺す必要は――!!」
「――あったさ。十分に」
死んだ犬のような目をジュニオールに向け、その無機質な声で彼を黙らせた。
そして少しだけ目を細めて、ため息ついた。
「今になっては遅いかもしれないが、彼の言っていたことは一部正しかったと認める。
そのジュリオってやつは、お前ら並みの調べ甲斐がありそうだな…」
ジュニオールは鋭い眼光を光らせる。
その目を見て、探偵は銃を下ろした。
そして、ジュニオールに近づいてしゃがんだ。
「そんな視線を向けた所で状況は変わらない。
お前も、そいつも同じさ。
――死ぬほど無力だ。」
その言葉を聞くと、ジュニオールは顔から力を抜いた。
そして、僅かに眉をひそめた。
――死ぬほど無力。
それは、ジュニオールが幼少期から一番嫌いで、恐れていたことである。
「まあ悲しむことはない。なにせ、死ぬ時は皆、同じ土に帰るからな」
ジュニオールはそれを聞いて、なぜか、少し笑ってしまった。
《ああ…これ、前にも…》
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「君たち三人、身体の割には随分弱いね」
ある男が、彼をロープで縛りつけ、動けなくしてから話しかける。
その男の仲間は怪我をしたので、傍で治療をしてもらっていた。
「それはテメエらが小賢しい真似をしたからだ」
ジュニオールは鼻血を垂らしながら、臍を曲げて言う。
他の二人は意識を失っていて、隣に縛られて座っていた。
――雑魚二人。
そんなヤツらに負け、今までにないほど悔しかったのだった。
《この会話…》
「言い訳するなよ。君たちが負けた理由は一つで、明確。――無力を恐れた」
「無力?」
「ああ。聞いた通りだ」
男はそう言い、椅子に座って説明を始めた。
「君って恐らく、強いメンタルを持っているんだ。もちろん、過信とまでは行かないけど」
ジュニオールは黙って見詰める。
「そして、君たちの動きもそれに従った、正面から有利に戦う――喧嘩ではとても強い戦法だ」
男はジュニオールの顔色を窺いながら話を進めた。
「だけど、一つだけデメリットがあるんだ…」
男はにっこりして、黒目を輝かせた。
「君たちは有利に戦おうとしている」
説明を続けた。
「君たちは不利を恐れるあまり、それを避けているんだ。だから君たちは、相手が不利だと安心してしまう。
“相手が不利=自分が有利”という単純な思考のせいで、“相手=自分=不利”の時、何もできなくなる」
ジュニオールは首を傾げ、男にその理由を聞いた。
「だって、不利か有利か――無力か有力かは一瞬で変わる。永遠に継続することじゃない。
それでも、君たちはその一瞬にしがみついているんだ」
ジュニオールは男の話に理解と納得ができた。
できたが、一つ聞きたいことがあった。
「だったら、どうしろと?」
「――もっとしがみつけ。」
男は瞬時に返答し、ジュニオールは困惑した。
「しがみつくって、何に?」
予想通りの返事を貰って、男は少し安心した。
そして、
「そりゃもちろん、“その一瞬に”だ。」
と、平然と答えた。
「は?でも、お前はさっき…」
「勘違いしないでくれ、私は別に君たちの姿勢(やり方)を否定してる訳ではないんだ。
もはや好きと言っても良いくらいだ」
男は息継ぎをして、真面目な顔をした。
「ただし、どうせなら、それを貫いた方がいいと思う。
君はその『有利にいたい』、『無力は避けたい』という目標を常に狙い続けるべきなんだ」
側にいた男の仲間は、彼をニコニコしながら見ていた。
「無力を認めるな。いつだって有利を狙え。
そうすれば、君たちは強くなるさ。」
「そんなの求めた所で…」
――死ぬ時は死ぬ。
そう言うとしたが、それがもうすでに男に伝わっていた。
「それはそうだ。――人間は皆、同じ土に戻る。」
彼はジュニオールと目を合わせ、彼を指差した。
「――ならせめて、自分は良土に戻ろうじゃないか」
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《どうでもいいことを…》
突然、彼はケラケラ笑い出し、自分の負傷した膝を、抵抗なく触った。
《死ぬ時に思い出すのは、親の顔で十分だ》
探偵は彼の異常な行動に気づき、警戒して下がった。
「…どいつもこいつも……そんなにアイツを舐めてると痛い目に遭うぞ」
《なっ!?》
探偵が引き金に力を入れようとした瞬間。
ジュニオールはズボンの右ポケットからナイフを取り出す。
そして脇目も振らずに、それを投げつけた。
《やはり隠し持っていたか…》
先程、探偵はジュニオールが何かを隠していたことに気づいていたのだ。
《その傷で…》
刃物を投げたタイミングで、ジュニオールも探偵に突っ込む。
猪突猛進。
「良いぞ、良い判断だっ」
初めて見せるような笑顔。
向かって来るジュニオールに向けて発砲する。
一発。
尖った先が肉に入り込む。
探偵はナイフを片手で受け止めた。
「痛えなぁおい…」
ジュニオールは立ったまま、微笑む。
探偵はナイフを投げ捨て、目の前の光景に目を凝らした。
「何…」
探偵は、僅かに戦慄した。
《弾がかすった…》
ジュニオールの首から、少量の血が垂れる。
しかし、肉が削れた程度に過ぎなかった。
「…いつだって、俺は有利さ」
首から流れる血を右手で触ってから、また走り出す。
一発。
肩が跳ねた。
それでも止まらない。
二発。
肉が裂ける。
それでも足は前へ出た。
「いい加減っ!」
探偵は銃を捨て、向かって来る巨人を殴った。
しかし、その拳は難なく止められる。
《なっ》
そして、より大きな拳が彼に向かう。
「ゲホッ」
吐血。
「……」
静寂。
「……何だよ」
ジュニオールは薄い笑みを浮かべながら、探偵を見下して言った。
「――俺のほうが強ぇじゃねぇか」
探偵はため息をつき、距離を置いた。
「ドンッ!!」と、何かが倒れる強い音が部屋に鳴り響き、勝負は終わった。
そう。
ジュニオールが最後の拳を打てずに…
――戦は終わったのだ。
※※※
「中々良かったぞ」
探偵は服についた血を確かめながら、微笑んで言った。
その、わざわざ銃声を小さくするように頼んだはずの銃を、見詰めながら。
少しは聞こえたのだろうかと、そんなつまらないことを考えながら。
「そうか…お前も、“年寄り”にしてはよくやったんじゃねえか」
ジュニオールは仰向けで、自分の体が少しずつ軽くなっていくのを感じた。
「ふん、もう気づいていたのか?」
彼は先程捨てた銃を拾い、銃口を自分の袖で拭いた。
「…ジュニオール、一つ聞きたいことがある」
簡単な前置き。
探偵は銃を額に向ける。
「この仮面は、どうやって見破った?」
“ついでに”。
そう思っての、くだらない質問。
「お前にはなかった…ゲホッ!!」
ジュニオールは声を上げて咳込む。
《すまないな、ラウル、ロベルト、ウンベルト、皆、そして……》
「何が?」
《――そして、後は任せた。》
「――生きてきた、証がぁあ!」
探偵は再び微笑み、引き金を引いた。
そして、禿頭を輝かせ、
いつものように笑いながら――
――ジュニオール・ブラソは眠った。




