13節 ただの自己満足
バーから歩いて四分ほど。
街の中心部と城壁の中間に位置する住宅街に、ジュリオの家はあった。
厳密には貸家だが、特権階級者が使っている以上、貸主には何の権限もない。
そのような家に、二人の男たちは足を踏み入れた。
「誰もいない…」
試しに引いてみたドアノブを見詰めながら、ラウルは呟く。
本当に鍵がかかっていなかったことに、微かに笑みを浮かべた。
「ああ」
探偵はラウルに冷たい視線を送る。
ラウルは特に悪びれた様子を見せず、その足で中へと入った。
「……」
数カ月――もしくは数年ぶりに中を見ることになるが、あまりにも変わっていない。
予想外、あるいは予想通り過ぎたのだ。
「早く…終わらせましょう」
ラウルは探偵と目を合わせたが、かえって肌寒さを覚えた。
そうして、一瞬も待たず、彼らは二手に分かれた。
目的はなるべく早く調査をすること。
詳しく言えば――あの三人が帰る前に何かしら、見つけることだ。
※※※
実は、ラウルはいきなり人の家に行こうとなど言うほど無鉄砲な人ではない。
彼はここ数カ月、ありとあらゆる場所から、無作為に情報を集めていた。
もちろん、彼一人ではなく、探偵にも手伝ってもらっていた。
その中で、一つ。
『ジュリオは内側に来る度、いつも裏口を開いたままにする』
それは、よくバーに来る近所の客や、あの三人の何気ない会話の中で、何度か耳にした話だった。
ジュリオはこの街に来るたび、裏口を開けたままにしている――しかも、それは単なる閉め忘れではないらしい。
何のためにそんなことをしているのか、ラウルには分からない。
だが、言われてみれば、彼自身にも似たような記憶があった。
だから、その妙な癖だけは忘れずにいた。
使うことなどない方がいい。
そう思いながらも、いざという時のための“もしもの手段”として、頭の片隅に留めていたのだ。
しかし昨日、アレハンドロの発言を聞いて、彼の心情は変わった。
『アレハンドロが来てしまったことで、ジュリオが動き出すかもしれない』
状況も状況。
それを踏まえて、彼は実行することにした。
――でも、時間がない。
それを常に考えながら、
台所、便所、私室は探偵、
その他はラウルが担当した。
---
「本?」
ラウルは一番大きな部屋である居間から調査を始めることにした。
その理由は別に深いものではなく、単に、やや面積が大きいから。
調べ甲斐がありそうだから、というだけのもの。
彼はその中の、ソファの隣の本棚から調査を始めていた。
と言っても、それ以外に何かがあったわけでは無いが。
「どれも見覚えがあるな…」
物思うかのように、一つの本を開ける。
しかし異常はない。
続いて、別の本――図録らしきものを開けてみる。
《は…》
これにも、特に何も無かった。
普通の、変哲のない本。
ラウルはもう一度、ページを一つ一つ、順番に捲った。
「嘘だろ」
本当に何も無い。
メモ一つ。
ページ同士の隙間に手紙や紙切れ。
しおりですら。
彼は別の本を取り、ページを確かめ、また同じ場所に仕舞う作業を数十回続ける。
「ジュリオのやつ…」
彼はそう言って、最後の本を戻した。
並んでいる本の多くは、ジュリオが引っ越してきた頃に買ったものばかりだった。
要するに、何年もそこにあったのだ。
この部屋の、この小さな本棚に。
懐かしさより、ラウルは不気味さを感じた。
なぜなら、本だけではない。
棚だけでもない。
コーヒー用の一脚テーブルと、客の分も含めてあるだろう2つの小さな木製の椅子。
それすらも、昔から何も変わっていない。
何も増えていないし、減ってもいない。
《いや、居間を使ってないだけか…》
少し歯がゆい気分で、彼はそこを立つ。
別の部屋でも、状況は似ていた。
「この家…まるでなにもないな…」
少し腰をかがめて、探偵は食器棚を開ける。
そっと、力なしに開けたはずが、バーの鈴のような不快な音を部屋中に響かせた。
皿。
それしかない。
探偵は息を漏らしながら、その不快な音と共に棚を閉めた。
《こんな事があるのか…》
そう。
台所も居間と同じような、殺風景。
あまりにも寂しい、虚ろな部屋だったのだ。
「見事なまでだ」
そう言う空間に慣れている彼ですら不気味だと思ってしまうほど、この家には何もない。
――確かに、テーブル、イス、ヤカン、調理器具など、最低限の物はあるかもしれない。
が、それでも。
この部屋はあまりにも無機質で空っぽ。
今現在は誰も寝泊まりしていなかったとしても、
趣味、生活、人間関係の跡は何かしら残るはず。
この空虚は、物足りなげな雰囲気は、今からあるわけではなく、ずっと前からの物なのだろう。
「元特権階級者が、よくこんな所に住めたものだ」
不敵な笑みを浮かべながら、探偵は部屋の扉を閉める。
彼にとって、これは中々珍しい事態ではあったものの、だからって、決して予想外ではない。
実際、ラウルの話からして、“ジュリオがあまり派手な人ではない”だろうと、さぞかし察していた。
廊下を出ると、所在なさそうに、ラウルが壁にもたれて立っていた。
その浮かない表情から、怪しい証拠は何一つなかったと悟った。
「…何か見つけました?」
目を逸らしながら、ラウルは物足りなげな口調で訊いた。
探偵は相変わらず、彼に冷徹な視線を送った。
「いや、何もなかった……怖いほどに」
その渋い声は、がらんとしている廊下を更に暗くし、
ただでさえ居心地の悪い空気をより重いものにする。
ラウルは静かに息を漏らすと、視線を廊下の奥へと定めた。
――残る部屋は一つ。
そして、ラウルに残っているチャンスも――きっと一つだけだろう。
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なぜ、ラウルはジュリオの、友人の家を調査しようなどと思ったのか?
手段はともかくとして。
なぜ、そうした結論に至ったのか?
もちろん、“消去法で考えた”て言うのも一つの答えだ。
ジュリオの所在は明確じゃない以上、探す場所は限られる。
けれども。
もっとも、理由はそれだけではない。
とある、妙な噂が相まっているのだ。
『ジュリオが家から、変な人と一緒に出たのを見た』
――そう証言する人。
数カ月毎に出てきては、当分は静まる。
はっきり言って、客観的に見れば、信憑性の高い噂ではなかった。
なかったが、ラウルにはそれで十分だった。
十分すぎたのだ。
彼は、一二回聞いただけで、何かが起きていると確証できた。
何故そう思うのか?
答えは、至極単純なもの。
――昔も似たような事があったから。
一時期、ジュリオは自分を避けるようになり、怪しい連中と絡み始めた。
ラウルは、妙だとは思っても、それに直接干渉することはなかった。
その挙句、ジュリオは色んな問題に遭い、死の一歩手前まで辿り着いた。
何をしてそうなったのか。
何に巻き込まれてそうなったのか。
知る由もない。
しかし、それを踏まえ、ラウルはジュリオという男を疑うようになった。
完全には、信じられなくなった。
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ラウルは目を瞑ってから、一歩、前へ出る。
「さっさと済まさなきゃ…」
独り言を呟きながら、固唾を飲みこむ。
探偵は返事をすることなく、ゆったりと歩き出す。
《時間の無駄にならないと良いんだが》
ギシギシ。
進むにつれ、一歩が少し重くなってゆく。
そして、部屋の前では最大限に達した。
そこには、少し前まで人がいた痕跡――三つの椅子がある。
それを見て、探偵は目を細めた。
「朝、彼と会ったんだって…?」
やや威圧的に、探偵は確認を取る。
「直接は…いいえ」
ドアノブに手を置いて、ラウルはバツが悪そうに答える。
数秒すると、そうか、と、探偵の一言が聞こえた。
それを合図に、ラウルはいよいよドアを開けた。
※※※
彼らが入ったのは特殊な部屋だった。
カーテンはすべて閉ざされ、部屋の中央には椅子と机だけがぽつりと置かれていた。
それらを照らしているのは、弱々しい油性ランプの明かりだけだった。
ラウルはこの見慣れた光景に、脂汗を浮かせる。
そして、探偵が何かを言える前に、部屋中を探し始めた。
《おかしい…何もないはずが…!》
謎のクローゼットを開けるも、中は空。
カーテンを開けてみたが、外は無人。
壁を調べてみたが、秘密の穴や入り口がない。
《何もないはずが……》
唇を強く噛むと、ラウルは取り乱すかのように、より乱暴に調査を続けた。
実際、ジュリオの家に証拠がなければ、ラウルはほぼ詰みと言っても良い。
証拠無しでは、誰も彼の言うことを信じはしない。
誰もジュリオを“助けて”はくれないのだ。
それをどうしても認めるまいと、ラウルはひたすら何かを探し続けた。
文字、
血跡、
爪や髪の毛、
何でも良いから、彼は探した。
《絶対あるんだ…何かしら…》
小さい頃から、諦めの悪い性格と言われ続けたが、それがまさに証明されていた。
「……」
ため息をついて、探偵はその様子を眺める。
彼だって、何もなければ同じく困るはずではある。
だって、本来の目的に使うべきだった時間が無駄になってしまうからだ。
それでも。
――それでも彼は、時間がどうこうということより、
ラウルに対する――可哀想――と思う気持ちが、現れ始めた。
「友のためとか言いながら、この有様は、実に見苦しいな」
憮然としながら、ラウルを見下ろす。
ラウルは調査に熱中しているため、その言葉すらも聞こえない。
それを見て、探偵はなおさら落胆した。
勝手に友の家に入って、
勝手に友を疑って、
勝手に"友のため"と言い訳をする。
それは友のためではなく、ただの自己満足に過ぎないことを、ラウルは気づかなかったのだ。
そして、気づかないだけでなく、頑なに、それに熱中する。
その様子は子供のようであって、同時に、子供以下でもあった。
“友情”、という概念をよく理解していない者にでさえ、それは明瞭だった。
「はぁ…」
ようやく帰ろうと、探偵は決めた。
その時。
「…ん?」
天井の穴から差し込む、か細い光。
片隅のテーブルに向かって、何かを際立たせていた。
《紙切れか?》
ラウルばかり見ていたせいで今まで気づかなかったが、そのテーブルの上には、小さな、少し焦げたような紙切れが置いてあった。
《今朝のものなのか…》
中身を確かめるために近づいた瞬間、彼は――
「誰かの気配…」
――を感じ取った。
ラウルもそれに気づき、素早く振り向く。
「は…ぁ…」
愕然としながら、彼はまぶたを大きく開く。
「おいおい、冗談と言ってくれ…」
その声、そのシルエットは彼にとって見慣れた人物のもの。
――その輝く禿頭は、
間違いなくジュニオールだった。




