10節 面白い豆知識
「この街の面白い豆知識、聞きたくないか?」
知らない通りを歩いている途中、ジュリオは何気ない発言をした。
「聞かなくても、どうせ言うんでしょ…」
通勤ラッシュが過ぎた今、道路に人は少ない。
おかげで、暑苦しい物は日光だけで済んだ。
「随分と厳しい口振りになっているねぇ…」
誰のせいだ?
――なんて言ってしまったら、僕の負けだろう。
彼の、ぐうの音も出ない反論を聞かされて完敗するに決まっている。
《…って、なんだよその思考!》
勝手に負け組になっていた自分に、首を振ってみせた。
「…ジュリオさん」
息を漏らしながら、僕は軽快に歩いている彼に語りかける。
「今更会話がしたいという気持ちは分からなくはないです。が、その前に、人としての何かを忘れている気はしませんか?」
先程から凛々しい様子を見せている彼だが、この僕にとっては鬱陶しくしか見えなかった。
「何だ?風呂なら昨日入ったはずだけど…」
いかにも芝居がかった、素知らぬ顔を彼は平然とする。
脳の奥がムカッと震えるのを感じた。
「謝罪です、謝罪!!」
またもや、我慢できずに声を上げてしまう。
その反響が自分に返ってくると、思わず身を竦めた。
「…それなら、少し悪いと思ってるさ」
ジュリオは笑みを絶やさず、目つきだけを和らげる。
三人の時と同様に、少したりとも謝罪の意が感じられなかった。
僕を縛るように命令したことはともかく、先程の件も謝罪をしてもらっていない。
これと言った対応もしてもらったわけでもなく…
あれ?
もしかして、僕って結構悲惨なのか……
自分が少し可哀想に思えてきた。
「まあ、良い…」
へそを曲げながらも、追及は止めた。
彼にダメ出しが効かないことくらい、解っている。
「で、そのさっき言っていた豆知識ってやつ、何なんです?」
自分から逸らした話を、造作なく元に戻す。
正直、少し気になっていたのだ。
「ふふん、気になるか」
彼はくすりと笑った。
そして、嬉々とした視線を僕に寄越す。
「この街を歩いて、気づくことはないか?」
悪い顔をして、彼はそう尋ねた。
《真面目系かよ…》
いきなり投げかけられた質問に、少し戸惑う。
その意図もそうだが、答えも意外と分からないものだ。
そもそも、このタイミングでそれを訊いて来るってことは、このあまり長くない道程でも分かることであるのだろう。
“観察していれば”、十分分かることであるのだろう。
「一つヒントを言えば、この街の特徴に関係している」
彼は人差し指を僕に向けて言う。
僕はそれに、再度眉を潜めた。
この街の特徴と言えば、第一に浮かんだのはメリク湖。
街の中心にあり、そこから四つの川が派生している。
そしてその川は、街を四つのエリアに分割する。
東西南北。
面白い作りだとは思うが、色々と不便な気もしないではない。
結局、住めば都なのだろうけど…
《で……なんだろう?》
僕はまだ西と北エリア(の一部)しか見れていない。
ジュリオのバーと家、目的地は北にあるし、当然と言えば当然。
全然と言っても、本当に全然。
彼もそれを分かって訊いただろうから。
南は貧困層。
北は可愛い子が多い。
など、各エリアの特徴は無視して良い。
僕は周囲の家々を見つめる。
少し汚れたレンガや窓。
中心部とは違った質素な造り。
広場や、商店街の少なさ。
ロミル橋も、言われてみれば中心部から遠かったはずだ。
ここで、僅かに閃いた。
「家が…古くなっている?」
ぽつりと、かろうじて聞こえる声で呟く。
ジュリオは感心して、二回拍手した。
「ご名答だ」
不思議に、その声から奇妙な落ち着きを感じた。
今のが試練だったとでも言う風に。
いや、それは思い込みかもしれない…
「…あれを見ろ」
彼は、僕が先程から見入ってる場所。
少し遠くに、複数ある建物の隙から見えるあの大きな湖――メリク湖を向いた。
僕からすれば、四千コド(二キロメートル)――いや、それ以上あってもおかしくない。
この街の水事情をすべて解決できるくらいの水量を備えている。
何より、美しい。とても、美しい。
…ただ、街の高低差が全体的に少ないので、小説のような、
丘から見下ろすような光景は実現できないことだけは、少し残念。
「――中々デカいだろ?この国でも最大級なんだ」
ジュリオは僕の表情を覗くようにして、しれっと横に並んだ。
僕はそれに、鋭い視線を向ける。
「あれが…あの中心から離れると、設備が怠るんですね」
突然、主要道路に入ると僕は小声で言った。
正午が過ぎたと言えども、人の往来は止まない。
中には急いで職に向かったり、何かの予定に遅れるまいという一心で車を走らせている人だって、いるにはいたのかもしれない。
それでも、朝と比べれば十分穏やかだ。
少しズレた鞄の持ち手を、肩に掛け直した。
「ああ。街の構造上、しょうがないことだけどね」
彼は気負いもなく、軽やかに僕の前を歩く。
「金を持つ人は内側で身を潜め、そうでない人は外側に追いやられる。
決して珍しいことでもない」
そうなのか。
言われてみれば、そういう気もしなくもない。
円心円状の都市で、均等に人が分布できることなんて、確かに考えにくい。
「君が見てきた住民のほとんどは前者。後者は主に工場で力仕事をしている」
ほうほう。
こくりと、僕は深く頷いた。
これには、少なからず思い当たりがあった。
寧ろ、ジュリオに言われずとも、街のあちこちでそれを学んできたはずだ。
ジュリオは思案顔をしている僕を顧みて、微かだが、意味ありげに微笑んだ。
「メリク湖という中心と、城壁という境界線。
――その役割が、何だか興味深くないか?」
振り向いたまま、彼は楽しそうに言う。
快活に笑う彼に、僕は小首を傾げた。
何を、言ってるんだ…?
いや、何が言いたいんだろうか?
彼はこの話通して、何を伝えたいのだろうか?
会話の内容は、ひとまず分かった。
としても、先の話はまだ読めない。
その意図が、結論が、良く分からないのだ。
《もしかして、また僕を誘導して……》
「――まあ、アレハンドロには難しいか…」
僕からの返答が来なかったせいだろうか、彼は勝手にそう結論づけた。
はぁ、と。
脈絡のないその言葉に、僕は思わずため息をついた。
「なんでそうなるんですか…」
腑に落ちない部分の多い話だったけど。
だけど、けれど――これもそうだ。
後で分かれば良い。
そういう類の話であるだろう。
そうだそうだと、一人で納得していた時。
「――久しぶりぃ、ジュリオ!」
正面から、老人らしき声がはっきりと聞こえた。
その声に、僕より早く、ジュリオは止まった。
「お、久しぶりだなあ、ダナン」
ジュリオは目を見開き、愛想よく返す。
おそらく、友人でもなければ、ましてや、親戚であるわけでもないだろう。
知り合い――と、僕は勝手に察した。
《何事だ…?》
「少し心配したよ、最近、全然きみを見かけないからねぇ…」
落ち着いた、柔らかい口調。
より、その左手に掴んでいた、少し高級そうな杖に目が行く。
「こっちも色々忙しいんですよ。まあ、暇があれば、バーに寄るようにはしてますが」
ジュリオはやけに、鮮やかな様子を見せる。
それでも、いつもの不気味な雰囲気は隠していなかった。
今更だが、彼の外見よりずっと、その嘘でも本当でもあるかのような、
奇妙な雰囲気を宿った話し方が、一番の特徴だと思った。
「この前、きみのバーに行った時も、ラウル君しかいなくて少し心配したぞ…」
ごほんっと、少し心配になる大きさの咳払いに続き、皺だらけの目元を僅かに細めた。
ジュリオは場の雰囲気に合わせるかのようにして、小さく笑った。
《ラウル…》
確か、あのバーで見た名前。
あの黒髪の店員の、名前だったような気がする。
「うん?もしかして、どこかに行く途中だったかい…?」
僕の存在にようやく気づいたらしく、彼は小さく訊いた。
僕は、軽く挨拶代わりに頭を下げる。
「な、なぜそれがっ!?」
いつものような、大袈裟な態度を見せるジュリオ。
その仰々しい反応に、年寄りはカッカッと笑った。
「やっぱ君は面白いやつだぁ…
特権階級者にこんな人がいたなんてねぇ。
――まあ、君たちは急いでるだろうし、無駄話はここまでにしとくよ」
苦笑気味に言い残して、彼は踵を返した。
その様子を眺めるジュリオの笑顔も、少し意味深長なものに見えた。
「あの人は前者…それとも、後者ですか?」
少しの間を置いて、随分と間抜けな質問を、僕は躊躇なく尋ねる。
しかし、ジュリオは機嫌を損ねた様子を見せなかった。
「さあね」
彼は肩を竦めると、再び歩き出した。
※※※
この後もちょくちょく、ジュリオの知り合いに会うことがあった。
《結構顔が広いんだな…》
彼は意外と、この街、この人々に馴染んでいる様子だった。
住民側も、彼を特別扱いはしなかった。
(プロミネンテであることは、常に気にかけていたが)。
しかし、
そんな彼が国を変える存在であることは…
――誰一人も予想していないだろう。




