8節 手紙の意味
「ノタムに✕(バツ)ってかっこいいよなー」
いずれ友人になるリコが、頗る子供っぽい、生意気な口調で言った。
「それなー。俺も、こんなダセェのやだ」
隣にいたビクトルも調子に乗って、少し大袈裟に相槌を打った。
確か、これは国民学校に通っていた頃の、ある放課後の些細な出来事。
詳細はよく思い出せないが、子供たちは手首の見せ合いっこをしていて…
まあ、本当に全く分からないが、何かしらの流れでこの話に行き着いたのだろう。
《…この時は、まだ……》
そして、僕はというと…
――その部屋の一角で、静かに彼らを見詰めていた。
記憶が正しければ、この頃の僕はまだ、彼らみたいな人たちを毛嫌いしていたはずだ。
いや、それは少し違う。
毛嫌いではなく、どちらかと言えば”無関心”に近い状態だった。
例の事件から一、二ヵ月。
引っ越してから数週間経ったくらいで、何もかも馴染めていない頃――
――一人になりたくてどうしようもないような時期だった。
でも、孤独って辛くないの?
普通ならそう思うのかもしれない。
はっきり言って、その意見はもっともだ。
憂鬱、寂寥感、喪失感。
争いと同じように、孤独からは良いものは生まれない。
それでも、僕は同時に、「孤独」を「平穏」として捉えていた。
心が休まる――傷つかないための方法だと思っていた。
無縁こそ、平和だって思っていた。
それ故に、自分がやっていたことがどれほど身勝手で、周りが傷つくものであったことに見向きもしなかった。
《“できなかった”と、言えなくもないけど》
「かっこよさは微塵もないわ!!」
確か、それはマルタの発した言葉。
手を腰にやりながら、仁王立ちで少年たちの前に現れたのだった。
彼女は若い頃から強い性格を持っていた。
女子であるにも関わらず、同い年の男子との言い合いは日常茶飯事。
特に、ビクトルやリコが悩まされていた覚えがある。
「「なんでだよ?」」
リコとビクトルは声を揃える。
「何もないよりはかっこいいだろ!」
リコは訴える。
「そうだそうだ!!」
ビクトルは彼を追うかのように、慌てて言う。
マルタは一対二の不利な場面に、口を噤んだ。
「え…えっと…」
自分から入る割に、(たちの悪いというか何というか)、彼女は口喧嘩に弱い人だ。
しかし、そんな彼女を庇うとでもいう風に、先程まで隅で本を読んでいた彼女は応える。
「だってその✕(バツ)印は、自分の立場を剥奪された人がもらう“罰”だからよ。
高雅な身を貶す。そういう意味よ」
冷静に、でも同時に二人を煽っているかのような口調が部屋に響き渡る。
男子二人は、突然話に入り込んだ彼女を睨みつけたが、彼女は澄まし顔で躱した。
「よく言ったわルシアちゃん!!」
余りにも頼もしい助っ人に、マルタは感嘆の声を上げる。
「授業で習ったことだし、知ってて当然よ」
至極当然にルシアは応える。
偽の微笑みを備えて。
《微笑ましいかもしれないが…》
――どうでも良い会話だ。
この時はそう思っていたに違いない。
そして、まるでそれが分かっていたかのように。
見透かしていたかのように。
突然、彼女は鋭い視線を僕に向けた。
『――そうでしょ、アレハンドロくん?』
※※※
「おいっ」
少し、心配気味の声が僕を起こす。
「何ぼーっとしてんだ?」
それは、確かにジュリオの声。
まだ、彼との会話は終わっていない。
「あー、悪い」
頭を抱えて、小さく呟く。
ジュリオは訝しむようにこちらを見詰める。
寝ぼけが直ってないのだろうか。
一瞬、彼が何かをポケットに仕舞ったような気がした。
「まあ、良い…
それより、君の名前はいつ言ってくれるんだ?」
彼は場を軽く流ししつつ、僕に詰め寄った。
流石に言い逃れなんて通用しないだろう。
《名前くらいなら…》
嘆息してから、彼を睨み返す。
「僕の名前は…アレハンドロ・オンブロです」
僕ははっきりと、きちんと答えた。
ロメロの時と違い、僕の名前には少しの関心を示した。
「オンブロ…なるほど」
先程と違って、白を切ることなく、何かが分かったかのように、
何かを見つけたかのような様子で笑った。
「…これで私は名前を言ったし、君も言ったことになる。
では、立場的に、君の質問に答える前に、君が私の質問に答えてくれ…」
彼の視線は、急に剣呑なものになる。
「――私を、探していた理由はなんだ?」
先程までの軽薄さが嘘のようだった。
「あのバーに行くまでして私を尋ねたからには、それに見合った理由があるはずだ」
彼の口調と表情が若干真剣になり、ポケットにしまっていた手を組む。
僕も彼を睨み返した。
《ほお…猫を被っていたってのか…》
一瞬そう思った。
でも、それは僕の勝手な思い込みだったのかもしれない。
危機感が足りなかっただけなのかもしれない。
ベレー帽を被り直そうとしたが、持っていないことに気づいた。
あの男たちに没収されたのだろう。
「…ロメロを、探しに来ました。彼の知り合いです」
警戒心を強めながらも、正直に答えた。
万が一、ここで争いを始めた所で、その結果は見え見え。
しおらしく――ではないが、慎重に言葉を選んで行動するべきだ。
「ロメロ…?」
彼は探るように言う。
「ああ、知ってるさ。昔は友人だった。
…でも、彼を探してるのに、なぜ私を?」
彼にとって、十分な答えでないようだ。
少し端折ったのかもしれない。
《っていうか、「昔は友人だった」と言ったな…》
――今も友人なのか?
自分に問いかけるが、その答えは分からない。
身のため、深掘りもできない。
それに、彼は追放されてもなお、“ほぼ”プロミネンテのようなものだ。
彼ほどの人間なら、僕一人潰すことなど造作もない。
もし、僕の計画を知ったら、通報されるかも知れない…
それは御免だ。
《だったら、何を言えと…》
この期に及んで、自分が不味い状態だと自覚した。
「――もしかして、」
彼はいつもと同じく、内心を読んだかのように、煽るような口調で言った。
《まさか…》
その方を向けば、彼は手の間に何かを握っていた。
やはり、一歩出遅れたようだ。
「もしかして、この手紙が関係してるのか?」
その手には、あの紙切れがあった。
バーの住所しか書かれてない、ロメロからの手紙。
「“特に何も書かれていない”。誰だってそう思うだろう。
君もそう思ったんじゃないか?」
ジュリオは少し乱暴に、その紙切れをパラパラと振って見せた。
「…どういう意味ですか?」
自分の物が、勝手にいじられている気分。
――と言うより、人から貰った贈り物が弄ばれているような気分だった。
「ハハッ、見てみな」
彼はそう言ってポケットに手を突っ込む。
「おい!?それは!!」
取り出したライターのようなものを、彼は少しずつ手紙に近づける。
なんだコイツ…
真剣になったと思ったら、こんな手を…
やっぱイカれやがったのか…!?
ロメロの唯一とも言える手がかり。
一瞬腰を引いた僕だが、今は彼に向かって鋭すぎる、敵意に満ちた視線を向けた。
「ジュリオ、本当にそれは…!」
彼はこっちを見て、うっすらと笑った。
「――黙って見てろ」
次の瞬間、カチッと音が鳴る。
すると、装置に火が灯り、手紙が炎を上げて燃え始めた……わけではなかった。
《文字…か?》
ジュリオがライターを仕舞うと同時に、僕は大きく息を呑んだ。
「ハハッ、すごいだろ?」
彼は満足そうに、手紙を隣のテーブルに置いた。
そこで、ある疑問が頭を過った。
――どうしてジュリオは隠された文字の存在を知っていたのか?
どれだけ注意深く観察したって、普通は気づけない。
もし、そんな簡単に見えるものなら、僕か義父さんがとっくに解読していたはずだ。
眉をひそめて、文字を読もうとしたが、距離があって見えなかった。
ジュリオは視線を床に落とし、目を瞑ってから、再び僕を見た。
「実はアレハンドロ…君を待っていたんだ」
僕は静かに顔を上げた。
《何だよ急に…》
咄嗟すぎる告白に、にわかに呆然とした。
「…待っていた?」
オウム返しに、訊き返す。
彼は微動だにせず、頷く。
「あぁ。君が必要なんだ」
急に向き直ったかのような態度に違和感しか感じなかったが、
それでも、その言葉を聞き逃さなかった。
「――この国を変えるために」
その瞬間、手紙の本当の意味を理解した。
つまり、だ。
手紙の目的は"ロメロを探す"ことではなく、
僕を"ジュリオに会わせる"ことだったのだ。
※※※
実は、ロメロがアファロスに家を持っていることは、到着後に確認した。
だが、誰もおらず、近所の人に聞いても、“しばらくは見ていない”という。
なので、この疑問の答えは、ある程度予想していた。
いや、分かりきっていた…
――なぜ彼は僕にバーの住所を教えたのか?
それが今なら分かる。彼は――
――ロメロはこの街にいない。
手紙を渡した時点で、彼は自分が不在になることを知っていたのだ。
だから、ジュリオのバーの住所を教えた。
ジュリオはバーを離れないから。
ジュリオはアファロスを離れないから。
《全てが繋がった…》
心の中で、長い間探したパズルのピースがやっと見つかったかのような満足感を覚えた。
「だったら、僕がここに来た理由が…もう…?」
ジュリオは意味ありげに微笑んだ。
「もちろん。そして、それがどれほど危険なことかも分かってる。君もだろ?」
彼は涼しく、落ち着いて言った。
さも、「用が済んだ」と言わんばかりに背を向けると、彼は扉の方へ向かった。
その時、ふと、天井に小さな穴があることに気づく。
《あれは…》
そこから差し込む光が、テーブルの上の手紙を照らし始める。
おかげでようやく。
そこに書かれた文字が読めた。
「PESTE」
単純な言葉。
僕はそれを読んで不意にも苦笑した。
その言葉を見るのは、これで二度目だ。
そして、僕が立つ準備をすると同時に、ジュリオは扉の前で立ち止まり、尋ねた。
「来るのか?
――それとも、来ないのか?」




