第91話 精霊の祝福をあなたに 4 ―― 紅蓮
魔獣となったガルルガの大剣が、レンドルの頭上にあった。
それが、凄まじい勢いで振り下ろされ、脳天へと肉薄する。
剣で防ごうにも、防いだところで一刀両断にされるだろう。
レンドルは、頭上に掲げた長剣の柄から、斜め下へ刃を傾けた。
大剣を片手で軽々と振り回す膂力。武器の強度。刻印された魔法剣の脅威を考えれば、何度も打ち合うことはできない。
武器だけでなく、あの鋭い牙も鎧の上からでも穿つほどの破壊力はあるだろう。
一度か二度の攻防で、終わらせる必要があった。
ガルルガの振り下ろした大剣を、レンドルは刃を滑らせるようにして受け流し、そのまま魔獣となった男の首を狙った。
レンドルの長剣は何の抵抗も感じなかった。
切っ先がガルルガの首をすり抜けた。剣すら溶かすように斬っていた。
莫大な魔力と厚みを持った魔力防御も、まるでなかったかのようだった。
レンドル自身も驚き、信じられなかった。
ガルルガの体は、剣を振り下ろした勢いのまま前のめりに倒れた。
切り落とされた魔獣の首がエドマンの足元に転がった。
主を失った体躯は、規則的に血を吹き出している。
肉体が死に至ったことに気がついていないのだ。
死を知らぬ心臓が、なおも脈を打ち続けていた。
「あひぃいいあぁあッ!」
エドマンは、悲鳴を上げながら後ろへと飛び退き、篝火のない暗闇の中へ逃げ込んでいく。
気づけば、灰兎族の傭兵は音もなく暗闇に溶けていた。僅かな光と闇の境界線で一瞬目が合った。
音のない追跡者が確実に奴隷商人を捕らえてくれるだろう。
身体強化された体で、監視塔の重い油樽さえ運べたのだから、引き摺って来ることも容易いはずだ。
「イステア。さっきの赤雷が心配だ。念のために何人か、タタの後を追ってくれ」
「そ、そうね。タイロン、フィル、二人で行って。私たちは、他の冒険者たちを」
上ずった声で返事が返ってきた。イステアが驚いた表情のままで、こちらを見ている。
何かおかしなことを言ったわけでもないが、彼女の反応に引っかかった。
呼ばれた軽装の二人がすぐに、タタの向かった先へと駆けだす。所属の分かる旗を掲げていた。正しい対応だった。
《酒樽と蒼い狐》の傭兵団は、レンドルが倒した冒険者たちの武器を回収しながら、素早く捕縛していく。
ジュカが団長に近づき手当てを始めている。彼女の体から青白い光が見えた。
傭兵団長の傷口を拭った後には、傷跡すら残っていなかった。
「ありがてえ。さすがジュカだ」
傭兵団の団長は苦笑いを浮かべる。深手に見えたが、これも一瞬のうちに治った。
ただ、血を大量に流していたことを考えれば、しばらく動かないほうがいい。
「イステア。サナロアは?」
「監視塔の休憩所で休んでるわ。ジュカと行ってあげて」
金属音を響かせ、松明を掲げた集団がこちらに向かって来ている。
騒ぎを聞きつけた衛兵のようだった。
「一体何の騒ぎだ」
その声には聞き覚えがあった。
明かりの先には顔に包帯をしたままの、ノックス大隊長がいた。
「なんだ、レンドルか。――これは魔獣なのか」
白い毛に覆われた巨躯を見たら、誰でもそう思うはずだった。
大隊長の周りには数名の騎士と、衛兵がいる。十名ほどの戦士を、大隊長自ら引き連れている。
「そいつは、剣牙族の傭兵でした。その獣人が魔獣になりました」
それを聞いてノックス大隊長の眉間にしわが寄った。
獣人が魔獣になったからといって、すぐに信じられるほど簡単な話ではない。
「獣人族に伝わる秘術なの。意識を保ったまま、一時的に魔獣になれる」
ジュカがすぐに応えた。この場で答えられるのは、彼女しかいない。
「なんでそんなやつが、この要塞にいるんだ?」
レンドルはノックスに、獣人は奴隷商人のエドマンと一緒にいたことを伝えた。
包帯の下には険しい表情を浮かべているようだった。
仲間の傭兵が追っていることを伝えると、すぐに連絡兵が駆けていった。
その直後に暗闇から、追跡に向かった傭兵たちに連れられて、エドマンの顔が見えた。
「捕まえたよ。暴れたから、ちょっと拘束したけどね」
暗闇から戻ってきたタタが言った。奴隷商人がレンドルを認識すると、恐ろしい化け物でも目にしたかのように叫ぶ。
「魔獣を殺した赤髪の化け物だ! あああァッ!」
エドマンはまだ荒ぶっていた。
「お前は何を言ってるんだ。どう考えても化け物はガルルガだろ。俺は人族だ」
一瞬の沈黙のあと、タタが口を開いた。
「レンドルあのさ。魔法の剣を斬って、そのまま魔獣の首を落とせる人族なんて、どこにもいないよ」
我に返ったような衝撃だった。タタの言うとおりだった。
魔獣をそんな容易く殺せるなんてことはありえない。
父でもそんなことはできない。ずっと、この目で見てきた。
何人もの冒険者たちが連携をしながら、魔法と罠も使って倒す。
イステアの驚いた表情を思い出し、思わず彼女を意識すると、引きつった苦笑いをしているのがわかった。
彼女の反応は正しかった。自身の認識だけが狂っていたのだ。
今さらながら気づいた。手に入れた力は、規格外だった。
――加護の力、なのか。
また、遠くで空が光り、雷鳴が轟く。その光が要塞に近づいてきているのがわかった。




