第89話 精霊の祝福をあなたに 2 ―― 白狼
雷に打たれた。死を感じていた。
そんな時、体の中に柔らかい魔力が一気に流れ込んでくる。
覚えがあった。ジュカの治癒魔法だ。
全身の壊れた肉体が、瞬く間に修復されていく。
激痛も何もかもが、嘘のように消え失せた。
「レンドルさん!」
ジュカの声がした。遠のいていた耳の感覚が、急速に戻っていく。
「あ゛ああああァア゛あッ!」
けたたましいエドマンの叫びが、うるさいくらいだ。
それを聞いてレンドルが目を開けると、すぐ目の前にジュカの顔がある。
「ジュカ……助かった。今のは」
「ああ! 間に合って良かった……。今のは、裁きの赤雷と呼ばれるレイナダの力」
ジュカの潤んだ瞳から、今にも涙が零れそうだった。
彼女の両手がレンドルの顔を優しく包んだ。
ひんやりとした手が妙に心地よく、生きていることを実感できた。
死の間際だったのは間違いない。彼女の言葉に偽りはないからだ。
死体を焼いたときのような、焦げた匂いが鼻につく。自分の身体が焼けていたのだと理解した。
左腕の粉砕骨折を治癒したどころの話ではなかった。
目も耳も内臓も焼けていたかもしれない。それほどの致命傷が完治した。
彼女の規格外の治癒魔法で救われたのだ。
本当に驚くばかりで、感謝しかなかった。
――赤雷。
奴隷契約で縛られているジュカが違反をしたら、こんなものが彼女の全身を巡るなんて、酷すぎる。助かるはずがない。
「あの男は、あたしの契約者じゃない。でも、この首輪の刻印が光って、あたしとあいつを主従と認識したみたい。依頼を受けたって言ってたから。それでレンドルさんは雷に打たれたと思う」
レンドルは剣を握ったまま起き上がり、ジュカの言葉を聞きながら周りを見渡した。
エドマンを見ると、奴隷商人は腕を押さえている。レンドルを見て恐怖におののいている。
ジュカは、自身の手首に絡みついている切断された手を、ゆっくりと外す。
彼女の掴まれていたところが、痣になっていた。
手首を外す間も惜しいくらい時間がなかったのだろう。
ほんの一瞬の差だったのかもしれない。
レンドルは命を助けられた。
「だから、あの人族が死ぬと、あたしが赤雷に打たれるかもしれない」
衝撃だった。レンドルの振るった剣のせいで、また誰かを失うことになるかもしれなかった。
言い知れぬ不安が、胸の奥を冷たく締めつける。
どうして、契約もしていないレンドルがレイナダの雷を受けたのか。
正確な理由はわからない。わからないことが多すぎた。
ジュカは、倒れこんだ奴隷商人のもとに向かった。
エドマンの腕に手首を合わせて、すぐに治癒魔法をかけ始める。
青白い光が眩しく輝いた。光が消えたあとには、手首が綺麗に繋がっていた。
ジュカが、エドマンの目や鼻から垂れた不浄な液体を拭ってやると、手首を繋がれた奴隷商人が大声で叫んだ。
「な、治したからといってもだめだ。お前は連れて行くぞ!」
思わず、レンドルは奴隷商人の胸倉に掴みかかった。
「がはッ! あかがみ……はな……せ」
「聞け、奴隷商人。ジュカは俺の大切な仲間だ。二度と近づくな」
「仲間!? れ、レンドル隊か。し、知らなかったんだ。俺は、その女を見つけたから、報酬をもらおうと――」
依頼を受けたというエドマン。何の報酬がもらえるというのか。ジュカをなんだと思っているのか。レンドルの中に強い怒りが込み上げた。
「ジュカ。すまないが、また赤雷にやられたら治してくれ」
彼女は驚いたように目を見開いた。
効果があるかわからないが、魔力防御を身体の表面ではなく、内側に充填させた。
レンドルは、エドマンの腹部を強めに殴りつけた。
赤雷は発動しなかった。命の危険がないからなのか。連続では起きないのか。
ただ、確かめておく必要があった。もし、赤雷が落ちた場合に防げるのか。
こんなことを、この場でやること自体おかしい気もするが、確認する方法が他になかった。
悶絶する奴隷商人から手を離すと、タタのもとへ向かった。
しばらくこいつは動けないだろう。
「おいおい。エドマン、話が違うだろ。そこの赤髪、なんて魔力をしてやがる。傭兵団《白狼の剣牙》のガルルガだ。こっちじゃ知らないだろうから、今回は見逃してやる」
口元に、鋭い牙が見えた。
「黄色の目に鋭い牙――剣牙族か」
父が倒した凄腕の剣士ガガットのことを思い出した。父は両脚を斬って逃げ足を奪っていたが、この男はどうにも逃げ回るような雰囲気ではない。その尊大な態度に、激しい苛立ちを覚えた。
「なんだ知ってるのか。お前、人族にしては魔力が多いが、やめときな。剣を納めろよ」
レンドルは奴隷商人の護衛を全員打ち倒したが、この剣牙族の獣人は恐れる様子がない。よほど自信があるのだろう。
「俺は百人長のレンドル・ブレイズ。この部隊の隊長だ。その大剣には刻印魔法が施されているな。そんな危ないものを振り回しておいて、剣を納めろだと?」
「死にたくないだろ」
ガルルガの口元が歪んでいるのが見えた。挑発されていた。
「その女の治癒魔法は凄いだろ。連れて帰れば、ドッテヌーアの旦那も団長も喜ぶからな」
角牛飛ばしの傭兵の名だ。だが、そいつはもういない。
「知らなかったのか? 巨人族の傭兵なら俺が殺した」
剣牙族の獣人の雰囲気が変わった。それでも、口だけはまだ疑いを手放していなかった。
「ははッ、なんの冗談だ……。おい、エドマン。本当なのか」
悶絶している奴隷商人は「本当だ」と短く答えると、再び苦しそうに呻いた。
ガルルガの先ほどまでの軽薄な態度は消え失せ、冷酷な殺気が漂い始める。




