第83話 夕日の沈む死者の国 17 ―― 人質戦術
レンドルの側にペルギアが寄ってくる。今度は鞘に手を置かなかった。
耳元で女商人がレンドルに囁いた。
「私はな。昔、あの男にひどい目にあわされたことがあったんだ。この場で借りを返せそうだよ」
そう言った女商人と目を交わす。改めて間近で見る目は、本当に蛇のように見える。
燭台の炎の色を映し込んだように、その眼は赤みのある葡萄色に染まっていた。
きっと太陽の光のもとで見ると、本当は鮮やかな紫色なのだろう。
艶やかな黒髪が、炎の揺らぎに合わせて仄かに赤く照り返していた。
「あの男は、覚えていないだろうがな」
伯爵は、確かに女商人に気づいていないようだった。
彼女のいう「覚えていない」は、どれほど昔のことなのか。
口元が薄いヴェールで隠されていることもあって、女商人の顔はわからない。
だから、伯爵は気づかないのかもしれない。
伯爵と女商人の間に、何があったのか気にはなったが、あまり深入りしないほうがよさそうだ。
「まさか本当に商人を雇うとは、信じられんことをする」
伯爵の言葉をよそに、レンドルはペルギアに静かな声で問いかけた。
「ジークを返すことが、皇国の名誉になる理由はなんだ?」
「何も答えてないわね」
「ジークはラクロアンと、どんな契約をしたんだ?」
「何も答えてないわね」
矢継ぎ早に問いかけるレンドルに対し、ペルギアの答えはすべて同じだった。
伯爵は、レンドルに理解させるためではなく、むしろ煙に巻くように、難しく言葉を並べて応答していただけだった。
「ペルギア。伯爵が何を話したか、わかるように教えてくれ」
伯爵は訝しんだ様子でレンドルを見ている。
「ジークを返せと言っている理由のことね。保護区にいるエルフが、ラクロアンで生活するため。保護区にいるエルフが、エルフの森へ帰国するため。そしてエルフの森との和平交渉のため。それらすべてのためには、ジークが必要なようよ」
「ジークが、しなければならないことは?」
「ラクロアンへの協力ね」
ただ、それだけではよくわからない。レンドルは、もう一度問いかけた。
「彼女は何をラクロアンに協力するんだ?」
「屍人となった黄金騎士を単独で倒すほどの強力な魔法。つまり、彼女の戦う力を求めているのよ」
ペルギアの言葉に、レンドルは眉をひそめた。
確かに彼女の魔法は強力だった。
だけど、そんなに重要な存在を、この要塞に連れてきたのは、なぜだ。
もし、彼女の身に何かがあれば、伯爵の言う和平交渉はできなくなるはずだ。
「重要な彼女を、この戦争に連れてきた理由は何だ?」
「サンガードの皇帝を、ルベリア王国とエルフの強硬派が襲ったでしょ。そこにエルフのジークがいれば、エルフの森の融和派がサンガードとラクロアンに味方するだろうと考えた、というところかしら」
レンドルは一度ペルギアに向き直った。薄々わかっていることだが、確認しておくべきだと考えた。
「もし、ジークが協力しないとどうなるんだ?」
ペルギアは皮肉げに目を細めた。口元の薄いヴェールの奥は見えないが、うっすらと口角が上がっているのがわかる。
「慈善事業じゃないらしいわ。保護区のエルフは、どうなるのかしらね」
「そうか」
レンドルは、これまでの話を整理し、伯爵の言葉の裏をまとめた。エルフのジークは、ラクロアンと協力し、ルベリア王国と戦う。その見返りとして、ラクロアンはエルフの保護区をエルフの森へと返還し、さらに和平交渉を行う、という内容だ。
保護区のエルフがどうなるかによって、和平交渉がうまくいくかが決まる。つまり、保護区のエルフが人質にされているようなものだった。
最初、黄金騎士や蛇鱗騎士団たちは、要塞に不在だった。
このことを、同盟相手のラクアも知っていたはずだ。
だから、手を組みコルタナ要塞を攻めることになった。
ところが、実際はルベリアの援軍を地下坑道から送り込むという裏の計画があり、不在だったはずの黄金騎士や騎士団も要塞に潜んでいた。
つまり、ルベリアが罠を張って待ち伏せしていたのだ。
まさか、門に現れたラクロアン軍は、実は皇国側じゃなくて、ルベリア側の援軍だったのではないか。
黄金騎士が倒れたから、サンガードの援軍として振る舞ったのではないか。
ラクアは、到着するのが遅れたと、仕掛けられた一騎打ちの時に言っていた。
どちらの旗も振れるようにしていた。両天秤にかけていた。
だから、最初から遅れるつもりだったのだ。
いや、思いついたことだが、そんな単純な話なわけがないと、レンドルは心の中で首を振った。
ただ、どういう経緯でラクロアンと同盟になったのか、騎士団長に聞いてみたい。
今の話をしたら、騎士団長はどう答えるのだろう。
「ペルギア、ありがとう」
「銀貨十枚の儲けよ。こちらが礼を言いたいわ」
女商人は、そう言って一歩下がった。
レンドルにとっては高い買い物だったが、そのおかげで、目の前の男の歪んだ表情を手に入れることができた。
「和平を望みながら、ジークを人族の戦争に使っている。彼女がラクロアンに協力しなければ、保護区のエルフがどうなるかわからない。人質をとって脅しているようなものじゃないか」
伯爵が黙って聞いていることが、少し不気味に思えた。レンドルは、伯爵が何を考えているのかわからなかった。
この後の話の展開を読み、次の言葉を用意しようとしているのではないだろうか。
このまま会話をしても、事実を突きつけても、伯爵はジークを諦めないかもしれない。
燭台の炎は揺れていないが、ジークを見ると彼女の瞳には揺らめく炎が映っていた。
潤んだ銀瞳が、彼女の苦しみを物語っていた。




