第82話 夕日の沈む死者の国 16 ―― 教育なら戦場で受けてきた
ペルギアは、なぜ伯爵に冷ややかな目を向けているのか。
「では、ジーク殿。明日の朝にでも、お迎えにあがりますよ」
その言葉に、レンドルがジークに目を向けると、彼女は首を小さく横に振った。
否定されたにも拘わらず、悪役の宮廷魔術師は、口元に笑みを浮かべながら、言葉の刃を向ける。
「あなたの手を取った騎士は、口を閉ざした。物語は終わりです。あまり手を掛けないでほしいものです」
この悪い宮廷魔術師の倒し方がわからない。
レンドルが黙っていても、彼女は明確に意思を示している。
ただ、首を横に振っていても、ジークの顔は、半ば諦めたようにも見える。
レンドルは胸の奥に棘が刺さったように感じた。
自分がどうして伯爵の言葉に苛立ち、こんなにも悲しみを感じるのか。
レンドルは、この要塞で彼女と会ってからのことを、思い返していた。
最初、ジークは自分の父親は死んだと言っていた。
でも、サンガードのベギラダの神殿にいたことを話すと、彼女は喜びに震えていた。
ジークの父親ネオネスに会わせてあげたいと、レンドルは思っていた。
レンドルは銀狼に母エルザを殺されてから、ずっと喪失感を抱えていた。
もし彼女と彼女の父ネオネスを会わせることができたなら、彼女の中のそれもなくなるだろう。
そうすれば、自分自身の心の隙間も埋められるような、そんな気がした。
だから手を取った。
そして、星巡りを語った後に微笑むジークの姿を、レンドルは美しいと思っていた。
それは、サナロアがレンドルに向けた好意と、レンドルがサナロアに向けたものに、よく似ていた。
だから、この感情と彼女が望む父親との再会を踏みにじられるのが、どうにも許せないのだ。
このままでは終われない。
「ちょっと待て。俺はまだ納得してない」
「おや。黙っていたので騎士殿は、退場したのかと思いましたよ」
こういう時、父は何をした。自分でわからないことなら、何をすればよかった。
「ジーク殿をまだ引き留めようとするなら、盟主ラクアの治療も含めて、ラクロアンに対する被害を賠償請求しますよ? 騎士殿が借金しても払えるかどうか」
言いたい放題だ。また話が変わった。賠償金を払うために借金だって――そうだ、借金だ。
「ペルギア」
レンドルは、女商人に向かって呼びかけた。
「おや、何かな。私に何かしてほしいのかい?」
商人は、真顔で答えた。だが、すぐに口角が上がった。何も話していないのに、彼女はこちらの意図を見抜いたのかもしれない。
この女商人は「ルベリアに遠征できたのは誰のお陰か」と言っていた。この戦争に資金を投入した商人だった。この場に集まり、皇国に対して最初に質問の口火を切ったのは彼女だ。つまり、この商人たちのなかでも、もっとも力のある人物だ。
交渉事に長けていないはずがない。
「ペルギア。あんたをこの場で雇う。いくら支払えばいい」
突拍子もないその言葉に、宮廷魔術師はレンドルに向き直った。
「は? レンドル殿は何を言い出すんだ」
ロズベルグ・アシュロハイト伯爵の声色が、明らかに変わった。
「そうね。銀貨十枚というところかしら。でも、レンドルには払えそうにないわね」
サンルードの聖跡で祈祷に必要な金額と同じだ。
この場限りとはいえ、商人の加護は確実に手に入る。
「その銀貨十枚を貸してほしい。借りた金で、ペルギアを雇う」
ペルギアの表情から妖艶さが消え、間違いなく商人の目になった。口元は薄いヴェールに隠されているが、その眼差しだけでわかった。父に連れられて、商人同士の交渉を間近に見てきた、あの商人たちと同じだった。
「レンドル!?」
ジークの驚いた声が、レンドルを呼んだ。だが、レンドルは視線を女商人に向けたままだった。
「ジーク。きみは俺に、世界のことを、星巡りのことを教えてくれた。もう聞けないと思っていた、歌を歌ってくれた」
レンドルは顔を上げ、皇国の騎士団長を見据えた。
「グリフォート騎士団長。ジークの返還はラクロアンと皇国同士の話じゃない。ラクロアンとジークの問題だ。だけど、ジークは戻らないと言っている。俺はその手助けをした」
グリフォート騎士団長が、正直なところジークをどう思っているかはわからない。呼び捨てにしていない時点で、敬意を払っているのだろう。氷魔法で門を塞いだ功労者なのだから。だが、皇国の人間でもない者を、特別に庇い立てする義理も、ないに等しい。だからこそ、騎士団長はレンドルにこの場を任せたのだ。
レンドルは、伯爵へと視線を移した。
「――そうか。だから交渉相手に俺を選んだんだ。俺を言い負かせれば、ジークを取り戻せると。ラクロアンに正統性があると、そう示したかったのか」
伯爵の眉間に僅かに皺が寄った。
騎士団長が顎に手を触れながら、納得したように「確かにな」と頷いた。
「こういう話に必要な文官は、屍人となってしまったからな。儂も耄碌したか」
騎士団長は、多くを語らなかったが、やはりレンドルにこの場を任せてくれるようだった。
「伯爵の相手は、最後まで俺がやります」
「いいだろう。皇国は関与せん」
「馬鹿な。皇国の公爵ともあろう人が、この若造の言いなりか」
伯爵の言葉遣いに変化があった。冷静さを欠いている証拠だ。レンドルがペルギアを雇うと言ったときから、焦りが滲み出ていた。
「伯爵は何をそんなに焦っているんだ? ペルギアは俺の質問に答えるだけでいい。伯爵とのやり取りは、俺がやる。こんな若造を言いくるめて終わりだと思ったのか」
伯爵の顔が少し赤い。この交渉でレンドルを言い負かし、自分の思い通りに話を運べたと思っていたのだろう。
「ペルギア。やってもらいたいことは、俺の質問に答えることだけでいい。口約束でも、契約は成立するよな」
「いいわ。成立よ。雇われてあげるわ」
レンドルの言葉に、ペルギアが口角を上げた。正直断られると思ったが、意外にもすんなりだった。
女商人は、伯爵に冷たい眼を向けていた。二人の関係は分からないが、少なくともペルギアは伯爵に対して、よい感情を持っていないと思った。
「レンドルってファレンよりもひどいのね」
ペルギアが囁いた。口元を隠したヴェールもあってか、彼女の声は誰にも聞こえなかっただろう。だが、レンドルの耳には届いた。
父より何がひどいのだろうか。
伯爵を見ると、目つきも顔つきも違う。思い通りに行かなかったことに、憤りに震えているのかもしれない。
「最初にも言ったが、ジークは自分の意思でラクロアンを離れようとした。それは事実だ」
「ふん。果たしてそうですかな? あなたが無理やり言わせているのでは。誘拐をしたも同然だ」
「俺はジークの手を引いただけだ。あんたは軍属の俺を絡めて、皇国の名誉に関わるような言い方をしたな。だけど、結局のところ、ラクロアンがジークを説得すればいいだけのことだ。なんせ、ジークはこの場にいるんだからな」
「何が言いたいのかな、英雄殿は」
「誘拐と言ったな。なら、ジークはなぜこの場にいる。俺を苛立たせようとしたが、もう通用しない。それに、俺がペルギアを雇うことに文句は言わせない。ラクロアンには関係がないことだからな」
「この場ですることではない、と言っている」
「誰が決めたんだそんなこと」
「信じられん、この場で商人を雇うだと。皇国の英雄殿は、おかしいのではないか」
「戦争には軍隊を。魔獣退治には冒険者を。なら契約と交渉に長けているのは商人だろ。おかしなことじゃない」
父と見てきた商人同士の交渉じゃない。これは国を相手にした交渉だ。
いや、一人の女性をめぐっての喧嘩のようなものだ。
そこに、何も知らない若者が、わけのわからないことを持ち込んだ。
物腰の柔らかかった男の口調が変わった。自分のペースを乱されたからだ。
「ブレイズ家は騎士爵のはず。仮にも貴族の一員だ。一体どんな教育を受けてきたのか」
「教育なら戦場で受けてきた」
「な、なんだとッ」
宮廷魔術師は想定していないことがあると、それ以上言葉がなくなるらしい。
「伯爵は違うんだろ。ここは戦場だ」
レンドルは、数年前に父が話していたことを思い出した。
父は危ないことに身を置いていた。
それを、おかしいことだと思っていた。狂っている、と。
だが、そうじゃなかった。
この世界で生きていくには大事なことだった。
少しばかり、おかしいくらいでないと、戦えないのだ。
レンドルは父以上だと、ペルギアはそう言っていたのだとわかった。
今、答えがわかった。




