幕間 ファレン ―― ただより高いものはない
どうして、うちは借金をしているのか。そう父に問いただしたことがある。
夕餉の片付けを終えた食卓で、父は使い込んだ革の手入れ道具を並べていた。蝋の匂いが鼻をくすぐる。母が死んでから、妹が寝静まった後のこの時間は、いつも二人きりだった。
確かに母が死んでから、父の稼ぎだけで暮らすのは苦しい時もあるが、生活できないほどではない。父が受ける個人依頼の報酬も中々のものだからだ。だからこそ、なぜわざわざ借金をするのか、少年のレンドルにはわからなかった。
「生活するだけならそうだ。だが、俺は冒険者だし賞金首稼ぎだからな。情報を得るためには、それなりに金がかかる。俺の命を狙ってくるやつもいるわけだ」
父は手を止めることなく、事もなげにそう言った。物騒な言葉のわりに、その口調はあまりに軽い。
「父さんを? それは気の毒な相手だ」
「そうでもない。飲み物に毒を入れる。お前たちを誘拐する。色々ある。それを未然に防ぐためにも、金がかかる」
冗談なのか本気なのかわからず、レンドルは黙って父の手元を見つめた。
「どこに金がかかるの?」
レンドルが首を傾げると、父は当然のように答えた。
「商人とのつながりだ」
訳がわからなかった。
「俺が借金をすれば、商人は何としてでも俺に金を返させたいわけだ。つまり、俺を守ってくれるんだよ。俺が留守の間に護衛まで用意してくれる。もし俺が仕事中にお前たちに何かあったら、俺の怒りがその商人に向かうとわかっているからな」
さらに意味がわからなかった。金を貸した相手が、どうして守ってくれることになるのか。
「まず、俺の命を狙う者がいれば、情報を無償で提供してくれる。厄介な相手の居場所を教えてくれるわけだ」
「それは、そうかもしれないけど。でもそうなのかな」
半信半疑のまま、レンドルは相槌を打った。でも、父の理屈は、聞けば聞くほど筋が通っているようで、どこかずれている気がした。なんだろう、違和感がある。
「他にも、商人が厄介な連中と対峙しなければならないときに、俺に仕事が回ってくるわけだ」
「そうだね」
レンドルが適当に頷くと、父はさらに言葉を重ねた。
「わざわざ俺を探しに来てくれて、相手の情報を集めてくれて、教えてくれる。そして厄介なやつをお膳立てしてくれる。強くなると思わないか?」
「そう、だね?」
「金は借りる。力を示す。仕事をきっちりこなすと信頼になる。そして、仕事が勝手にやってくる。また金を借りられるわけだ」
「なるほど。仕事がないってわめく冒険者と違うわけだ」
「そうだ。商人と仕事をすると、借金返済の分として護衛を引き受ける代わりに、遠征費用はすべて商人持ちだ。食べ物もな。倒した魔獣の素材も、通常の護衛と変わらず分けてくれるわけだ」
「父さん、全部タダだったってこと?」
「タダだったんじゃない。これからもだ」
その言い方に、レンドルは妙な迫力を感じた。当たり前のことのように言われると、なぜか背筋が伸びる。父にとってこれは駆け引きではなく、もう当然の摂理のようなものなのかもしれない。
それはつまり、この関係が終わることを想定していない、ということだ。商人も、父も、お互いを利用し続けることを前提にしている。友情でも、義理でもない。ただ、そのほうが都合がいいから続く。そういう関係が、世の中にはあるのかと、レンドルは漠然と思った。
「父さん、色んな商人から借金してるよね。なんで?」
一人に絞ったほうが、もっと信頼されるのではないか。そんな疑問が頭をよぎった。
「タイミングよく同時に仕事が来ることがある。そういう場合どうすると思う?」
「どっちかを選ばないといけないよね」
当然の答えだと思った。父の顔を見ると、なぜか楽しそうにしている。この手の質問をするとき、父はいつも少し意地悪な顔をする。
「そうだ。でも選ぶのは父さんじゃない」
「なんで?」
選ぶ権利があるのは、依頼を受ける側のはずだ。なのに、なぜ自分で選ばないのか。レンドルには、それこそが一番わからなかった。
「商人同士に、どっちの仕事を先にやるか、競わせるんだ」
「なんのために?」
人に選ばせて、何の得があるのか。面倒なことを、わざわざ他人に押し付けているだけにしか思えなかった。
「この身一つで二つの仕事はできない。わざわざ失敗させたいのかってな。そうすると、本気の商人の交渉を見ることができる。タダなんだぜ? そして負けた相手は俺を恨まず、相手の商人を恨む。俺を恨んでもしょうがないからな」
父は満足げに頷いた。まるで、それが正しいと言わんばかりに見えた。
「なるほど、わかったよ父さん」
レンドルは、答えがわかった。
普通の冒険者は命を狙われない。家族もだ。父の本来の仕事は魔獣討伐なのだ。なんの恨みを買うというのだ。
危ない橋をあえて自ら渡っていることに、気づいていないのだ。
それが、違和感の正体だった。はなから借金をする必要がないのにも関わらず、そこがすべての元凶だ。
だから、父はちょっと頭がおかしいと確信した。




