第77話 夕日の沈む死者の国 11 ―― ロープの使い方
「弓兵、撃ち方やめ!」
サナロアの声が聞こえた。ありがたいことに、弓矢は飛んでこないはずだ。
ロープを少しずつ緩めて、城壁を登る巨人までの距離を調整する。魔力を全身に巡らせて城壁を駆け抜ける。ロープが大きく弧を描き、レンドルの身体が巨人へと引き寄せられていく。
巨人の動きは速いが、こちらには気づいていない。城壁通路の上を見ていたが、巨人が頭を城壁に付けた途端、さらに登る速度が上がった。
まぎれもなく好機が訪れた瞬間だった。魔力を長剣に込める。この一撃で確実に斬ることができると信じて、城壁を蹴った。
ロープの弧の勢いに乗り、一回転しながら巨人の背中を通り過ぎる。その刹那、凄まじい熱気がレンドルを襲った。
長剣を持つ手には何の抵抗もなかった。魔力を纏った長剣が巨人の首を通り抜けた。
そのままロープを手繰り寄せ、斜め上に壁を駆け上がり城壁通路へ戻った。
巨人の胴体と離れた首が、同時に落ちて、炎の中に消えていくのが見えた。
レンドルの髪も焼けていたのか、群がる屍人たちの焼ける臭いと混じって不快だった。
そして、巨人族の男が落ちる音が城壁の外に響いた。
「やったぞ!」
「巨人族を二度も殺したぞ!」
城壁通路のあちこちから、歓声が上がった。兵士たちの笑顔が見える。異常事態に直面していた彼らの顔から、ようやく緊張が解けたようだった。
屍人たちは、壁を登ってきてはいない。跳躍しても、壁に掴まるわけでもなかった。黄金騎士や巨人族とは違うようだ。屍人たちは、生前のような思考をしないようだが、あの二人は違った。それが、未練の強さなのか。それとも加護を持った者たちだったからなのか。わからないし、確かめようとも思わなかった。とにかく、喉が渇いた。
タタが駆け寄って来る。彼の耳はピンとして、興奮しているのがわかった。
レンドル自身も正直なところ驚いていた。今までなら、あんなこと上手くいくはずがなかった。
魔力操作に馴染んで、身体が思うように動かせるようになっていた。だから、軽業師や妹のフィーネがやっていたロープの使い方を、真似ることができる気がした。銀狼と戦う時も、こんな風にロープを使うことになるかもしれない。
歓声の中、サナロアがレンドルに近づいてくる。呆れたように笑って言った。
「お前の妻になる女は、きっと大変だな」
それを聞いていたタタや兵士たちが笑う。灰兎族の男の耳は踊るように揺れていた。
「これくらいできないと、銀狼まで届かない。それを、待ってくれる人じゃないとな」
彼女は髪をかき上げて、ため息をこぼしながら、小さく笑った。
朝になれば、夜を彷徨う者たちは、動かなくなるはずだ。兵学院で、そう学んだ。だが、精霊の悪戯によって蘇った者たちは違った。
「サナロア。朝を迎えても屍人たちは止まらないと思う」
「そうだな。明るいうちから動き出した、つまり――」
彼女は、一瞬言葉を詰まらせた。
「私たちは、閉じ込められているわけか」
そういうことだった。屍人となった巨人族の傭兵を倒しても、終わりじゃなかった。朝が来ても、屍人たちは止まらないだろう。この要塞から出るには、戦わなければならない。勝手に屍人が減るわけじゃないし、腐って骨だけになっても、結局のところ骸骨が動き出すだけだ。
「屍人を全滅させるしかないのか」
「そうなるな」
サナロアは端的にレンドルの問いに同意した。彼女の表情は変わらない。そうなるなら、そうするしかない。そういう眼をしていた。それが逆にレンドルの不安を拭った。
冒険家スルズクワイトが、死者の国から逃げ出したのは、こういう状況になったからだろう。
タタが、よく聞こえる耳で二人の会話を聞いていたのか、進み出て言った。
「やっぱり、屍人を燃やそうよ。脆くなって骨も砕けたら、その分戦うのが楽になるよ」
レンドルとサナロアは確かめ合うように顔を見合わせて頷いた。
沈黙が流れた。
どうすべきか、レンドルが固まっていると、サナロアが微笑みながら声をかけた。
「レンドル小隊長、指示を」
それを聞いたレンドルは、苦笑いしかできなかった。自分が小隊長だったのを、一瞬忘れていた。全部サナロアにやってもらっていた。
「残りの油樽を全部くれてやろう。燃やし尽くすぞ!」
隊長らしいことを、ようやくやったような気持ちになった。兵士たちは元気よく返事をした。積まれた油樽が、兵士たちによって、要塞の外に集まった屍人たちへ次々と送り届けられていった。
その時、屍人たちのうめき声とは別に、遠くから何か違う声が聞こえたような気がした。
篝火の熱も、油樽が燃えて空に向かう熱もあるはずなのに、吹いた風が一瞬だけ冷たく感じた。
それは、夜の気配とは違う、氷のような冷気だった。




