第76話 夕日の沈む死者の国 10 ―― 炎の巨人
茜色の空は、山の峰にわずかな輪郭を残すだけだ。
暗闇が城壁通路を覆おうとしている。空には無数の星々が見え、青き月も浮かんでいた。
要塞に届く月の光は影を生み、足元は暗い。篝火がなければ、目を凝らしたところで、何も見えないだろう。
「もっと篝火を焚け!」
副官のサナロアが、すぐさま指示を出す。レンドルが隊長でいいのかと、疑問に思えてならなかった。
切り替えの早さは、サナロアのいいところだ。今は外した両手で覆っていた顔は、篝火のせいか、僅かに頬が赤く染まっていた。
それにしても、夜を彷徨う者相手の戦いが、こんなにも采配を必要とするとは思わなかった。
タタが周りの兵士に声をかけ、油樽を次々と城壁に流している。レンドルが着火した油は勢いを増すばかりだ。
油樽ごと落としている兵士もいる。これだけの炎だ。落とした油樽も簡単に燃え上がるだろう。それに、この高さから落とせば樽も容易く壊れる。落とした先に屍人がいれば、少なくとも一体の屍人を潰せて効率的だ。
―――ドオォンッ!
城壁の外にいた巨人が油で滑り落ちた音だった。要塞の外は燃えた油で周辺がよく見えるようになっていた。火の勢いはものすごく、落ちた後どうなったかは見えない。ただ、淀んだ赤い双眸が妖しくこちらを見ていた。同じように赤く濁った目が、闇の中に無数浮かび上がっている。押し寄せる屍人たちの目だった。
すかさず弓兵が、巨人が落ちた真下に向かって無数の矢を撃ち込んだ。
「油をもっとだ!」
サナロアが次の指示を的確に出す。判断の速さに、レンドルはただ感心していた。
数名がかりで持ち上げた、大きな油樽が運ばれた。次々と城壁通路から落とされていく。
―――ドンッ! ドンッ!
ルベリア兵たちが用意していた油樽は、本当によく燃える。ただの油じゃない。魔法薬でも混ざっているのかもしれない。
サナロアが出した指示の通り、続々とこの通路に油樽が集まってきている。この要塞の油樽の全てがここに積まれるのかもしれない。それで、あの巨人族の傭兵を倒すことができるなら安いものだと思った。一緒に集まっている屍人たちも、骨だけ残るだろう。
「なあタタ。骨になっても動く屍人がいるんだよな。冒険譚で読んだことがあるんだ」
「実はボクも気になっていたんだ。浄化しないとだめなんじゃない」
「骨だけになった屍人も夜を彷徨う者になる。ボクはみたことないけど、今日の死体って、死んだ先から蘇っていたから、嫌な予感しかしないんだよね」
凄まじい数の屍人だった。野戦で亡くなった勇敢な戦士たちが、夜の亡者となって押し寄せていた。
百や二百じゃない。すべてがここに来ているのかもしれない。そして、今も増え続けている。それが、燃えて骨になっても、また蘇るなら、燃やすことは意味があるのだろうか。
燃えながら、大きな手が城壁にかかる。なんてことだ。巨人は、また壁を登ろうとしていた。
巨人族の髪の毛は焼けてなくなっていた。だが、火に焼かれながら、身体の方は再生しようとしている。
燃えるのが先か、火傷が治るのが先か、どちらが早いかなんてわからない。
魔力防御は使われていないようだ。再生中は使えないのかもしれない。
「巨人がまだ登ってくるぞ! 手を狙え!」
サナロアが出す指示は的確だ。だが、いずれ火は消える。手に打ち込まれた矢も、焼かれるか、抜かれて治ってしまう。
火が消えれば、視界は暗闇になり、弓で正確に狙うこともできなくなる。
油樽はまだあるかもしれないが、それに頼っても限度がありそうだ。
兵士が落とした油樽が、巨人族の開いた口に見事に収まった。そして、それをかじると、油が口の中からあふれ出た。そこに火矢が放たれる。油樽は瞬く間に大炎となった。口からは火柱が立ち上った。
「まるで、霜雪の巨人との死闘のようだ!」
兵士の誰かが叫んだ言葉に歓声が上がった。スルズクワイトの冒険譚のように燃え盛っていた。これなら巨人も倒せると、皆が思った。
巨人は口から火を吹き出し燃え上がっている。全身を炎が包み、もはや炎の巨人と呼ぶにふさわしい姿だった。体の中から燃え尽きそうな勢いだ。
――ボンッ!
巨人族の傭兵の腹の中で、爆発したのだ。
業火が立ち上った。腹が吹き飛び、内臓を撒き散らしたのが見えた。それでも巨人は死の淵から這い上がるような執念で、まだ登ろうとしていた。軽くなった分、登る速度が速くなった。
巨人が依然として城壁にしがみついている。振り上げた腕を思い切り壁に叩きつけ、指を壁に打ち込んでいる。滑らないように、落ちないように、強引に登ろうとしている。
「うそだろ」
レンドルはあまりの光景に、自然と声が出てしまった。
「ア……カガ……ミ」
どんなに燃やされようとも、あの男が目指しているのはレンドルだった。
あの赤く濁った眼は、登る先にいるはずのレンドルを見ていた。
レンドルは何か使えるものはないかと、あたりを見回した。一緒に弓を撃つべきか。そんなとき、壁を登ってきたロープが目に留まった。
巨人が壁を登るなら、両手は塞がる。ならば巨人が城壁を登り切る前に、やはり首を落とすしかないと、レンドルの中では結論が出ていた。
「サナロア。弓を撃つのを待ってくれ」
その声に振り返ったサナロアが、なぜだ、と言わんばかりの驚いた表情を見せた。
レンドルが先ほど登ってきたロープを掴むと、彼女はさらに目を大きく見開いた。
「レンドル!? 何をするつもりだ、おい! やめろ!」
サナロアの制止を聞き流し、レンドルは鞘から剣を抜いた。
これから自分がやろうとしている狂気の沙汰に、思わず笑いがこみ上げてきた。
だが、やるしかない。レンドルは、覚悟を決めた。
そして、ロープを強く握りしめたまま、レンドルは城壁の外へ飛び降りた。




