第74話 夕日の沈む死者の国 8 ―― 私のレンドル
夕日の明かりが静かに夜を迎えようとしている。
コルタナ要塞には、夜の神モルナディアの闇が訪れようとしていた。
監視塔に灯火がともされた。目指すはあの塔の近くの城壁通路だ。
レンドルは、まだ茜色の空に明るさが残るうちに、なんとか監視塔の近くまでたどり着いた。
呼吸を整える時間はない。屍人たちを引き離し、稼いだ距離と時間は命綱だ。手足に集中して魔力を込める。壁を登り始めた。
粗い造りをした城壁は、監視塔と同じく、とっかかりがあった。
十メートルほど登ったところで、地上の屍人が飛びかかってくるが、レンドルには届かなかった。
しかし、巨人族の男が、屍人を捕まえて膂力にものを言わせて投げつけてきた。
――グバシュッ!
投げられた屍人が壁に叩きつけられ、跳ね返って落ちた。
「レンドル! ロープだ!」
頼れる副官の声が飛ぶ。ロープが城壁通路から垂らされた。登りやすいように結び目がある。さすがサナロアだ。
レンドルはそれを掴むと、壁を駆け登りながらロープを手繰り寄せて、あっという間に壁を登り切った。
コルタナ要塞の城壁は、三十メートルはあろうかという高さだ。サンガードにある要塞の倍以上もあった。
大型の魔物を相手にするために、何度も改築された要塞だと兵学院で学んだ。よく見ると造りの粗さが目立った。
軽業師から学んだロープの使い方が、こんなところで役に立つだなんて思ってもみなかった。
安心したせいか、かなりの汗が滲んできた。冷たいレモン水が飲みたい気分だ。
城壁通路には弓兵や、皇国の魔法使いたちがいた。彼らは、要塞内で蘇った屍人を攻撃して、鎮圧に努めていた。そのお陰もあって、要塞内からの戦いの喧騒は遠かった。
壁に背を預けて座り込むと、息を整えながら汗を拭った。
ロープはアロースリットに通されていて、がっちりと結ばれていた。
城壁通路には篝火が焚かれている。こんな状況のせいか、数が多い気がした。
明かりの中で揺れ動く暗い人影が、一瞬、屍人のように見えた。
きっと、要塞の中でも外でも、随分見てきたからだろう。
サナロアが近づいてくる。明かりに照らされた蒼髪は鮮やかな紫色が混じって見えた。
座り込んだレンドルに彼女が水袋を差しだした。レンドルはそれを受け取ると喉を鳴らし飲み干した。まだ呼吸は荒かったが、サナロアを見上げて息を吐いた。
「はあ……ふぅ。助かったよ。サナロア」
彼女は何か言いたげにレンドルを見下ろしている。その顔を見て、何となくそう思えた。だから彼女が話し出す前に、レンドルが先に口を開いた。
「わかってる。なんで、要塞の外に出たんだ、だろ」
「いや。あの巨人を門の外に誘導して、氷で門を塞ぐためなのはわかった。無茶をしたとは思うが……」
意外だった。怒られるものだとばかり思っていたのに。揺らめく明かりで、サナロアの表情が動いている気がしたが、怒ってはいないようだった。
「あの時、タタと監視塔を登っていたしな。登れることは知っていた。そうでなければ、怒っていたさ」
彼女は、状況を理解してくれていた。それが無茶なことだとしても、彼女は信頼してくれていた。
「ここから、ラクロアンの騎士たちと、巨人族の戦いを見ていたんだ。エルフの女性が、門を凍らせているところも見た」
どうやら、ジークは門を塞いでくれたようだ。何度も魔法を使っていたから、相当疲弊しているはずだ。護衛騎士の二人に任せることができて良かった。彼らなら、無事に監視塔まで送り届けてくれるはずだ。
「私の言いたいことは、タタのことだ」
「……無事なのか」
「ジュカが治癒魔法をかけていたからな。傷もそこまで深くはなかった」
「よかった。いきなり攻撃されたからな……」
「あの騎士はラクロアンのラクアだと、タタから聞いたんだが、なぜ戦いになったんだ?」
援軍として現れたはずのラクロアンと戦った。その疑問は当然だ。
「ラクロアンは援軍で、このあと同盟を結ぶと騎士団長から聞いていたんだが……」
「……同盟? 俺も騎士団長と話をしたけど、それは聞いてなかったな」
グリフォート騎士団長が血を吐いたり、カルザス中隊長が屍人になったりで、色々あった。遠征前の食堂で、ラクロアンと手を組むらしいと言っていた、ダーウィの言葉を思い出した。噂話は本当だった。
「俺が要塞の外で風に当たっていたら、あいつがいきなり一騎打ちを仕掛けてきたんだ。首を突かれて、殺されそうになったんだよ」
「なんだって……ッ!」
サナロアの表情が青ざめた。周りにいた兵士たちも、ざわめきを隠さなかった。城壁の外のうめき声が聞こえないほどだった。
そんな中、樽を持ってきている兵士たちが見えた。注文した油樽だろう。続々と目の前に積み上げられていく。
レンドルは話を続けた。
「そしたら、屍人が襲ってきて乱戦になったんだ。だから、その隙に今度は俺から斬りつけたんだ」
「あの男は、そんなやつだったのか。殺せなかったのは残念だな」
サナロアは結構あっさりとしていた。さらりと『殺す』と言うところも、彼女らしい。
もっと、同盟がどうなるとか、そんな状況で戦うなんておかしい、とか。色々とそういうことを言ってくるかと思った。
「怒らないんだな?」
「怒るも何も、私のレンドルを殺そうとしたんだぞ。あっ、ちがう! まて、ちがうぞ! みんな間違いだからな! 私たちの隊長をって――」
兵士たちから笑いが漏れる。張り詰めていた緊張が解けた。
「ああ――ッ! 言い間違えただけなんだ……」
彼女は両手で顔を隠した。タタが「サナロアの仕草は可愛い」と言っていたが、本当にそうだ。
好意を寄せられていることは、今更だが鈍感なレンドルにもわかっていた。
言い間違いだろうけど、さすがにレンドルも恥ずかしかった。ただ、不思議と悪い気はしなかった。




