第72話 夕日の沈む死者の国 6 ―― 誘いの言葉
ラクロアンの英雄は、巨人族の拳で吹き飛ばされた。
「これで、護衛の心配はなくなったのかな」
レンドルは、無理にでも軽口を言った。だが、本心からそう思っているわけではない。ラクアたちと戦えばよかったと、心の中では思っていた。
吹き飛ばされたラクアは、微塵も動かなかった。レンドルもそうなるかもしれないと思うと、背筋が凍る思いだった。
「あんなの食らったら死ぬぞ」
ダロムが静かに答えた。すると、吹き飛ばされて動かなくなったラクアの元に、髪の長いエルフの女性の姿があった。淡い光がラクアを包むと、一瞬、あの男の腕が動いたように見えた。
「あれは治癒魔法だ。生きてるのか!」
レンドルは驚き、あの治癒士が誰なのか隣のジークに尋ねた。
「アルティド。エルフ保護区で育った、まだ若いエルフだけど、治癒士見習いの子よ」
あの治癒をしているエルフは、まだ小さい少女のように見えた。ジークは氷魔法の使い手だ。なら、騎士団長の甥を殺したというのは、あのエルフの治癒士なのだろうか。とてもそうは思えなかった。
「保護区?」
レンドルは聞きなれない言葉を、素直にジークに尋ねた。
「ラクロアンの中にあるの。戦争孤児だったり、大怪我をして動けないエルフ達が大勢いる」
初めて知った。そんなものがあるなんて、聞いたことがなかった。
しかし、ジークの言葉は事実だろう。理由は不明だが、彼女はラクロアンにいたのだから。
「それよりも、あの巨人をどうにかしないと」
戦意を失ったとはいえ、ラクロアンの騎士たちはラクアを守るため、必死にあの巨人の攻撃を凌いでいた。だが、時間の問題のように思えた。
「ドコダ……ドコダ……!」
何かを探している。人族の言葉を話していた。聞き間違いじゃなかった。巨人族は普段どんな言葉をしゃべるのだろうと興味が湧いた。雇われ傭兵になるくらいだ。人族の言葉が話せても不思議じゃない。ましてや長命の種族なら、尚のことだ。多種族の言葉を理解する時間は十分にある。
「……ア…カ…ガミ」
恐ろしかった。巨人族の片言は確かに赤髪と呼んでいた。探しているのは、間違いなくレンドルのことだ。
あの巨人と戦っているときには、ヘルムを被っていたはずなのに。もしかしたら、階段から落ちた直後は生きていたのかもしれない。赤髪のレンドルと、みんなが叫んでいた。それを聞いたまま永遠の眠りについた。だとしたら、顔も知らなくても、自分を倒したのが赤髪だと認識できる。あれだけ頑丈なら、そうだったとしてもおかしくない。
ラクロアンの騎士たちが薙ぎ払われた。集団で固まっていたところを、狙われたのか。
「俺たちも距離を取ってたほうがいいな」
レンドルの言葉に、ダロムとザッサは距離を取った。自分たちも集団で固まっていたら、棍棒に薙ぎ払われて終わってしまう。
その時、巨人族の男が深くかがみ込むと、一気に飛び跳ねた。
「なにぃ!」
ダロムが叫んだ。巨人はザッサの方に、文字通り飛び込んでいった。ザッサが回避しようとしたところに、両手で持った棍棒を叩きつけた。彼はなんとか転がりながら避けた。すかさずダロムが巨人族の背後に近づき斬りつけようとするが、巨人が棍棒を背中側に振り回すと、ダロムは急停止した。背中側まで腕が伸びてきた。随分と柔らかい体をしていて驚いた。
巨人族は人族と違ってあまり知能が高くなく、単純なことしか考えない。服を作る手先の器用さも、文字も、金銭の概念もない――父の仕事の付き添いで、酒に酔った冒険者がそう語っていたのを思い出した。東の国に行ったこともあると言っていた。ただ、そんな腕も知識もあるようには見えなかった。だから話半分に聞いていた。
本当にそうなのか。あの巨人が得た加護は、祈祷をしなければ得られないはずだ。祈りができるということは、知能は低いどころか、賢い種族の可能性すらある。あの巨人に見合うような鎧も服も、人族が作れるかだって怪しい。
ジュカを追って他の国から来たのだから、ルベリア王国への地図も見られる。傭兵はお金の計算ができなければ、まともな生活も送れない。稼ぎがあるから、あの巨躯でも食べるに困らない。レンドルは、とんでもない思い違いをしていたと確信した。
階段の上で効率よく皇国兵を落としていたのは、指示された戦術を理解し、戦い方を知っていたからではないか。剣技に頼る必要のない膂力があれば十分なはずだ。現に英雄ラクアを倒しているのが、その証拠だ。
思い返せば、レンドルが投げた槍を、丸太を突き出して受け止めるなんて、到底真似はできっこない。あれは防御と攻撃を同時に行った高度な棍棒術だったと、今になって理解した。
それに、屍人たちは異様な速さと跳躍力だったのを忘れていた。
あの巨人も屍人なのだから、同じように動けるはずだ。それを理解しているからこそ、跳躍して遠距離から攻撃しようとしたのだ。
なぜ気が付かなかった。声に出して注意を促せたはずだ。あの護衛騎士たちも、屍人と要塞内で戦っていたのだから、同じ事実に思い至ってもおかしくなかった。だが、誰もが疑うことなく、悠長に構えてしまっていた。あの巨体では飛んでこないと勝手に思い込んでいた。
戦い方を切り替えないと全滅する。生前よりも、身体能力が上がっている。
あの男は傭兵なのだ。契約が交わされていたということだ。契約の概念を知っていた。知能が低いなんてとんでもないことだ。
レンドルは、考えを改めた。目の前に立つは、この要塞随一の強者――戦を知り尽くした、歴戦の戦士に他ならない。
「ジーク。俺が巨人を引き付ける。要塞の外に誘導するから、その間に氷で門を塞いでくれ」
「要塞の外にって、屍人がたくさんいるのよ、死ぬ気なの!?」
誰もがそう思うはずだ。外に行ったら死者の大群に囲まれてしまう。逃げ場などない。
「大丈夫、すぐ戻るよ。城壁を登るんだ」
「そんなこと、できるわけないじゃない! どれだけ高いと思ってるの!」
彼女が驚く姿は新鮮だった。色々なことを知っている彼女が、知らないことだってある。それが少し愉快に思えた。
「意外と登りやすいんだよ」
ジークの顔から生気が消えた。彼女が怒るのも無理はなかった。こんな高いところを素手で登れる人間などいるはずがない。さすがの彼女も、そんなことができるはずがないと思ったのだろう。
「今度、ジークにも登り方を教えてあげるよ」
「高いところは、好きだけど……」
「凄い高いから、デーン王国の黄竜花だって見えるさ」
「それ、一緒に見ようってこと? デーン王国だと『一生、僕があなたを守ります』っていう婚約の誓いなんだけど。私たちって会ったばかりなのに、素敵なお誘いね」
なんてことだ。恋物語なんて読んでいなかった。サナロアも教えてくれなかった。知らずとはいえ、婚約の誓いを口にしていた。物語に登場するような情緒的なことは、現実にはありえないことだと思っていた。レンドルはどうしたらいいか分からず、言葉に詰まってしまった。
「誰かから聞いた話? 歴史って難しいから、冒険譚や恋物語になるのよ。どうせ読んでないでしょ」
表情が引きつったレンドルをよそに、ジークは楽しそうに、クスリと笑った。
「でも、本当に登れるの?」
「この城壁はもう登った」
そう言って、レンドルは腰に差していたナイフを一つ手に取った。
タタと一緒に登った時は難なく登れた。滑らかに作られているように見えた監視塔よりも、城壁のほうがごつごつしていて、作りが粗い。監視塔よりも登りやすそうだ。
レンドルは、後退するダロムの方に向かって駆けだした。ダロムが距離を取るのと入れ替わりに、レンドルは巨人族の目の前に立つと、手に持っていたナイフを、巨人族の顔に向かって投げつけた。
巨人族の男は、腕を曲げてそれを難なく防いだ。魔力防御をしていても、顔に向かってくるナイフは弾くようだ。生前のことを思い出して防いだのかもしれない。
そういえば、どうしてタタの短剣は、巨人族の目に刺さったのだろう。魔力防御をしていた巨人族の目に刺さるとは思えなかった。灰兎族のタタも、何かをしたのか。魔力を込めた短剣を投げたのか。黄金騎士の大槍は、手が離れても魔力を纏っていた。
そして、鎮魂の風のような、魔力を斬り裂く剣や、ジークの氷の剣のような魔法を使ったのかもしれない。
レンドル自身も、黄金騎士の魔力を斬り裂いて両手を落とした。怒りに身を任せて、どうやったか今でも思い出せないが、魔力防御も万全ではないということだ。
「また両目を塞いでやるぞ! かかってこい!」
巨人族の男を誘うと、男の表情が歪んだ。激昂した男は棍棒を手に、こちら一直線に突進してくる。この誘いは、婚約の誓いではなく、ただの挑発だったようだ。
「アァァアアカガミィ!」
完全にレンドルに狙いを定めたようだ。狙い通りだ。それを確認すると、レンドルは門に向かって駆けだした。身体強化をかけながら、ゆっくりと魔力を眼に集中する。
レンドルの世界が徐々に速度を落としていく。
視界の端には巨人族の男が、棍棒を振り上げているのが見えた。




