第71話 夕日の沈む死者の国 5 ―― 冷えたエールで乾杯を
巨人が地鳴りのような咆哮を上げた。腹の底から響く、重苦しい咆哮だ。体中にあった幾つもの切り傷が、みるみるうちに塞がっていく。傷口から、どす黒い粘液が溢れ出て、新たな肉が蠢きながら形成される。見たこともない光景だった。
タタが言っていた。巨人族の傭兵は加護を持っていると。今この目で見て分かった。自分を癒す何らかの力だ。潰したはずの両目は、赤黒く濁っている。どうやら、目は潰しても再生するらしい。そして、斬りつけた膝裏も、あれだけ動き回っている以上、完治しているのは明らかだった。
巨躯は大地を震わせながら、こちらに向かって歩を進める。レンドルを見据え、低い声で何かを唸る。巨人族の言葉だろうか。聞き取ることはできないが、酷く不機嫌そうだ。きっと、赤髪を殺す、と喚いているのだろう。レンドルに向けられた殺意は本物だった。再生した両目は、光を取り戻し、レンドルをしっかりと捉えていた。
先ほどまであった夕日は、もう見えない。茜色に染まる黄昏の空に、夜の帳が静かに降りていく。もうすぐ周囲は、深い闇に包まれるだろう。要塞の内部は、無数の篝火や魔導の灯火で照らされるはずだ。だが、闇の中で戦うとなれば、いつ自分が物言わぬ死者と化すか分からなかった。
首を空に向けると、そこには無数の星が瞬いて見える。あの星のどこかにも、レンドルたちと同じような剣と魔法の世界が広がっている。きっと、死者の国もあるのかもしれない。そんなことを考えると、なんだか不思議な気持ちになった。
不死者の巨人が、脇に生えていた樹を掴み、何の抵抗もなく引き抜く。そして、それを真っ二つにねじり切り、両手に無骨な棍棒を携える。巨人の顔が、邪悪に歪んだ。どうやら獲物が手に馴染んだのを、確信したようだった。
あの巨人族の男を、階段から落とすなんて策はもうできない。そんな時間もない。斬りつけても回復される。あの太い首には、剣は届かない。タタもサナロアもいない。今ここにいるのは、自分とジーク、そしてダロムとザッサ。
彼女の氷の魔法は、城門を塞ぐのに必要だ。魔法の援護を頼める状況になかった。
「ダロム、ザッサ。予定が変わった。俺一人で囮になる。あいつは俺に用事があるみたいだからな」
わざわざ新しい棍棒まで誂えていた。きっと、あの時の意趣返しだろう。
「なるほどな。……さっき吹き飛んだのが、ラクアだったか」
「おい、ザッサ。レンドルが死んだら、次は俺たちの番だ。エルフの女――ジークが城門を塞ぐまで、死んでも守るぞ」
ザッサが斧を自身の胸にぶつける。重い金属音が耳に届いた。どうやらやる気のようだった。
「レンドル。お前が屍人になっても、俺は迷わず首を刎ねるからな」
「そうはならない。叩き潰されて屍人にすらならないよ」
そうだ。こういう時こそ軽口が必要だ。
「百人長に階級が上がったんだ。あとで酒でも奢ってくれよ」
「酒、飲めるのか?」
「ぬるいエールは無理だが――」
レンドルは、ジークの魔法で冷やしたエールを思い浮かべて、答えた。
「ジーク、エールを冷やしてくれ」
「酒樽いっぱい冷やすわ」
ジークが苦笑いしながら答えた。ダロムとザッサが豪快に声を上げて笑った。
ダロムが笑いながらレンドルの肩を叩いた。
「生きて戻ったら、乾杯だ」
屍人と化した巨人が、傷を再生させるなど、どんな冒険譚にも存在しない。
もはや、伝説の竜が吐く灼熱の炎で灰も残さず焼き尽くすしか、どうすることもできないと思えるほどだ。
ダロムとザッサは城門に向かって進みだした。
「そうだ。あの巨人を燃やしたら、倒せるんじゃないか」
唐突にレンドルは呟いた。ジークは小さく首を傾げる。
「私、火の魔法は使えないけれど」
「この要塞には、防衛用の油樽が山ほどあるんだ。酒樽の代わりに、油樽を奢ってやろうかと思ってさ」
「冷えた油樽なら、喜んで飲んでくれるわ」
巨人の喉へ油樽を叩き込んで火を放てば、一気に燃え尽きるはずだ。魔法で冷やした油樽でも、はたして勢いよく燃え上がるのだろうか――そんな場違いな疑問が、一瞬だけレンドルの脳裏をよぎった。




