幕間 フィーネの記憶 ―― 甘い葡萄パン
兄は勉強も剣も、全部下手だ。
ただ、同年代の子たちと比べたら、当然上手いし、稽古でも負けることはない。
上級生と戦っても、いい勝負をしている。
力任せだったり、強引なだけではない。
狙いがあって、相手の隙を作ったりしている。
お父さんがいつも言っていることを、しっかりと自分のものにしようとしていた。
でも、フィーネの目には、身体がぎこちなく動いているようにしか見えなかった。
兄と剣を交えることは断るようにした。お父さんとだけ剣をふるうことにした。
レンドル兄さんは、別段それを気にしていなかった。
街の道場に行くから、別にいいよと。
フィーネは剣が嫌いなんだな、と兄は思っているようだった。
でも、本当は違う。人を怪我させるのが嫌だった。
フィーネは、黒髪のせいで怪我をさせられることが何度もあった。
だから、もし剣で勝ったら、どんな恨みを買うか分からなかった。
そんなことを考えていると、兄さんが声をかけてきた。
横には、兄の道場仲間らしい男の子がいた。
「フィーネも、明日から道場に通うんだろ。一回、剣を振ってみたらどうだ」
「うーん。別にいいかな」
「なんだ、前に話していた『赤髪のレンドル』の妹か?」
道場仲間の男の子が、不思議そうに尋ねてきた。
兄は道場で、赤髪のレンドルとみんなから呼ばれていた。
この道場では稽古中、ただの名前だけでは呼ばれない。
武器屋のアイラとか、冒険者の息子ゼンといった具合にだ。
名前が同じ子もいるから、同じゼンがいても『パン屋のゼン』とか、わかるようになっていた。
「そうだよ。明日から稽古に来るんだ。強いよ」
「お前より強いのか? それは楽しみだ」
男の子はからかうように笑っていた。
「ああ、そうだ。俺も負ける。最後に勝ったのはいつだったか」
意外だった。兄がそんなことを言うとは思わなかった。
「はあ? お前より強かったら、上級生に勝てるってことだぞ」
「フィーネはすごいんだよ。何でもできる。軽業師のリリトさん知ってるだろ?」
「もちろんだ。時計塔をロープ一本で登ったり、壁を蹴って走るように大きな屋敷の屋根に上ったり、あの身のこなしはすごいよな」
「父さんが言ってたんだ。建物の扉を破れないときは、屋根に上ったり、二階のバルコニーから入るから、冒険者も傭兵もみんな覚えるんだって」
「そう言えば、レンドルの親父さんは、冒険者だもんな」
「うん。俺もさ、リリトさんに色々と教えてもらって、ようやくロープの使い方や体の使い方がわかるようになったんだ。けど――」
兄さんが、こちらを見てきた。
「フィーネは一回でできたから、教えることがないって」
喜びながら、兄さんが頭を撫でてきた。いつもは手を払うけど、褒めてくれる時は正直嬉しい。
「へえー。おもしろいな。よし、フィーネ。俺とやろう。俺は『パン屋のゼン』だ」
「え、いやなんだけど。明日からでいいよ」
今日は見学だけだった。父さんはお昼ご飯を買いに席を外していた。
「もしフィーネが勝ったら、俺の家の『干し葡萄パン』をやるよ」
食べ物でつられると思っているみたいだった。
「え、いいの? やる!」
甘いものに目がないフィーネは、甘いパンが食べられるだけで舞い上がっていた。
「おい、ゼン! おまえ負けるぞ」
今日のお昼に、葡萄パンが追加になるなんて、すごく嬉しい。
だって、身体全体に魔力を流したら力も強くなるし、眼も集中すれば動きが遅く見える。
あとはお父さんと同じように剣を振ればいいだけ。
だから、『パン屋のゼン』には悪いけど、負けることなんて考えられなかった。
簡単だった。
ゼンのおうちの干し葡萄パンはすごくおいしかった。
明日も、稽古をつけてくれって、お願いされてしまった。
でもパンをくれるというので、いいよと返事をした。
フィーネは、剣を振ることが楽しくなった。
稽古は、甘いパンがもらえる楽しい時間になった。
お父さんと兄さんにも、パンを分けてあげた。
二人は、美味しそうに食べていた。




